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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



JR山陰線の二条駅から東に向って歩くと、すぐに二条城の外堀の南側に出る。

外堀南西角



外堀を東に歩くと見えてくる南門は、大正4年に新たに作られたもので、この南門と西門は外堀を渡る橋が撤去されているので使用することができない。



二条城の城内北東には北大手門もあるが普段閉鎖されているので、二条城へは外堀の堀川通に面した東大手門からだけ入場することができる。



二条城内には、5つの城門があり、二の丸を東西に分ける北中仕切門と南中仕切門、二の丸と本丸を結ぶ通路への入り口となる鳴子門と桃山門、その通路から内堀を渡った本丸への入り口となる櫓門である。

櫓門



東大手門から外堀を渡って城内に入ると右に番屋があり、正面の土塀に沿って左に歩くと二の丸への入り口の唐門が見えてくる。

東大手門の内側と番所(左)



重要文化財に指定されている二条城唐門は、1626年後水尾天皇の行幸に際し建てられたもので、西本願寺などにも類似の門がある。



唐門の正面には1603年に創建された国宝二の丸御殿があり、その前を左に歩くと御殿と同じ頃に作庭された桃山様式の池泉回遊式庭園である二の丸庭園に出る。



小堀遠州の代表作である二の丸庭園は、神泉蓬莱の世界を表した庭園と言われ、また八陣の庭とも呼ばれている。

後水尾天皇行幸当時は、新たに増築された行幸御殿、中宮御殿、長局等に取り囲まれた中庭的な庭園としてつくられていた。



この庭園は二の丸御殿大広間上段の間(将軍の座)、二の丸御殿黒書院上段の間(将軍の座)、行幸御殿上段の間(天皇の座)・御亭の主に三方向から鑑賞できるように巧妙に設計されている。

庭園から見た二の丸御殿大広間



江戸末期、将軍慶喜の上洛時、二の丸庭園は荒れ果てて樹木がほとんどなく、池は枯渇して枯山水風の庭園景観を呈して荒廃していたという。

その後、明治になって宮内省に所管されてからは離宮的・迎賓館的な城として改修され現在の庭園になったらしい。

現在の二の丸庭園は京都の寺社に数多ある庭園の中で、人気ベストテン10位にランキングされているという。


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