ランクル60に乗る時にラジオを付けなくなってから半年以上が過ぎている。ラジオを付けなくなったのは行政のプロパガンダを聞かされるのが苦痛であったからだ、ラジオや音楽の無いランクル60の運転は愉しさの再確認であった。2Fエンジンのリズム、トランスファーケースの唸り、タイヤが路面を転がる音、風切音。鍵に付けたキーホールダーがプラスチックに当たる音、積荷の軋み。現在の静かな車に比べると実にやかましい乗り物である。動きがその存在を音で示し合っている。これらの音は Noise (雑音) と呼ばれて片付けられてしまう。感覚的には無いほうが好いとする価値観を持つ人も多いのかとは思う。しかし、僕にとってこれらの音は雑音ではなくて、英語で書くと Know is (知覚) であると理解している。その複合的な音の中で少し意識を集中すると、各音の識別が出来る。適度な音と走行時のリズムは車の状態を教えてくれる。街を走る最新のスーパーカーやハーレーが音を発するのは、昔の戦のドラムの音と闘志の高まりを20世紀以降に表現した一つの実体なのかも知れない。それらの音は人間で言うと生命力となる、マシーンの生命力を音で表現する手法である。ランクル60のノイズは自分自身があまり自覚していなかったのかもしれないが、気持ちを高めてくれる。ランクルで走るという事は音を聴く愉しみの機会であるという事。
補聴器は全ての音を拾ってしまうが、人間の耳は、聞きたい音を選択できるらしい。
自然の音は癒し、人工の音は雑音として捉えられる世の中にあって、車から発する音の種類を聞こうするのは車の調子が悪くなって、どこからか異音がするのを耳を澄ます時くらいだった。
今日は、車を音を新鮮な気持ちで聞いてみようと思う。
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