日々の忙しさに流されてしまう毎日、週末には時間をつくってチョークを引く。気温が低い冬季の朝に2Fエンジン始動のためにチョークを引いてイグニッションを回す。アクセルペダルでピストンに送るガソリンの具合を感覚で調節する。エンジンが吹き上がると最高に引いたチョークを半チョークにして暖気を継続する。マフラーから吐き出される白煙を気にしながらラジオのボリュームを調節する。チョークを戻して数回エンジンを噴かしてタコメーターを見ながら音を確かめる。電圧系を確認しハンドブレーキを戻す。ギアをローに入れてクラッチとアクセルの繋ぎを意識しガソリンの匂いを残してランクルは始動する。
週末の朝は交通量も少なく動き出して直ぐにトップギアに入れる。周りのクルマを見ながら明らかにこのランドクルーザーFJ60が別次元の乗り物である事を自覚する。一時停止で止まっていた街のポリスカーのポリスが手を挙げて挨拶してくれる。いつもパトロールで廻っているので路肩に停まっているロクマルは街では周知の存在だと思われる。今朝は車両維持の為の気分転換の為のドライブであった。生活の為に毎日乗っていたロクマル生活から気分転換の為に休日に駆るドライビングカーとなったロクマルライフであるがドライビング感覚は常に非日常である。以前は非日常が毎日続き、今の非日常は休日の朝の愉しみとなっている。結果的にロクマルを駆る日数が減った事はそれだけ愉しみが減ったのである。人間は一度知った愉しみは忘れない、それどころか更にそれを求め、それ以上を求める欲の枯れない存在なのだ。少なくとも僕はその部類に属す性質である。それにしても僕は幸せな男だ、なぜならば、日常生活に流されそうになったらチョークを引くという選択をまだ持っているからである。
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