“わびさび”という日本人の持つ独特の美に対する感性は質素で閑寂な情緒のある本質的な美の世界を現すと言われている。古いランドクルーザーと友に生活する事は錆との付き合いであるが、それは同時に寂びを思い、錆を寂美として受け入れる事によって錆からの負のストレスから開放され、もっと自由な感覚で古いランドクルーザーを楽しめる秘訣ではないだろうか。
使っているランドクルーザーのボディの一部が錆びたっていいんです。
錆も楽しみましょうや!という姿勢が心を開放するのです。
と、このランドクルーザーFJ62を観て思った。
ニューヨークの静かな郊外で生活の足となっているこのFJには驚く。
錆びて放置されているFJは今まで沢山観てきたが、実用に使われているFJでここまで錆びている物は希少である。拍手を送りたい...
停まっている状態の立ち振る舞いから、外観は錆だらけだが機能的には整備の手が入れられている雰囲気がした。
錆によってボディの下部はほとんど喪失している。
おそらくリジッドの付け根のフレーム辺りも錆が侵食しているはずだ。
タイヤハウスの周りも錆び付き、錆を削ったらクルマの中と外が繋がるであろう。
かさぶたを捲りたいという衝動があるはずだが、捲らないでよく耐えている。
ボディの錆はまず下から発生し、 時間と共に上に上がってくる様子だ。
オーナーには会ってはいないが、おそらくボディの錆を気にはしていないであろう。錆の繁殖を黙認する事で、ランクルは気楽な足となる。錆を寂美として年月相応、使用地域相応の変化をゆっくりと眺め、ボロカッコイイを楽しむ?査定価格や体面とは距離を置いて、錆を排除しようとする硬直した姿勢から、錆と付き合うというゆるい気持ちになった時にこそランドクルーザーを楽しむ事が出来るのじゃーないかと感じさせられた一台であった。
そんな中、今回の記事を読んでなるほどと思うと同時に少し気が楽になりました。
自分の中でどこか見栄を張っていたのかもしれません。
これからはもっと純粋にヨンマルを楽しもうと思います。
参考になるかどうかは分かりませんが、私が実践しているランクルの錆との付き合い方についての概念です。
それはある年配の方が昔ベトナム戦争の前線で体験し、目撃した事実の話からヒントを得たものです。
戦争の前線で傷を負い負傷した兵士に対して衛生的で十分な医薬品は届きません。足に深傷を負って動けなくなった兵士の傷口には蝿がたかり傷の膿に卵を産み付けます、やがて傷口には蛆虫が涌きその膿を餌に成長を続けます。
蛆が成長する頃には傷口の膿は綺麗に掃除され、やがて傷は回復に向かいます。傷口は決して綺麗ではありませんが、とりあえず直るそうです。
膿を錆に置き換えて、ランクルの錆に対応します。膿を取らなくては傷口は治りません。膿を取り除いた後は醜い形状になるかもしれません、または、穴が開くかも知れませんが、錆が進行する苦悩を抱えてランクルと付き合うよりも、錆を落して変換剤を塗りながらランクルを使い込むほうが気分がいいんじゃないかとは思います。
私にとって錆と付き合う、という事は指をくわえて錆の発展を見ている事ではなくて、自分で出来る範囲で錆の発展をいかに食い止めるかです。そうやって戦ってきたランクルのボディから寂美の趣が感じられると思います。また、ランクルはそうやって使うクルマ、そうやって使えるクルマなのでしょうね。
あくまでも、参考で-す。