職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★お盆は旧友に逢う機会が多いが歳のとり方には2種類ある&2学期初めはアイデンティティの危機に寄り添う

2013-08-12 20:12:06 | 僕のモンマルトル日記
 

 

茫漠特急
歳のとり方には、アイデンティティのこだわり方によって、粗く2種類ある(と僕は思っている)
2013
08.12

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★お盆だ。
 昔の友人や、昔の教え子に逢う機会が多くなる。
 歳のとり方には、アイデンティティのこだわり方によって、粗く2種類ある(と僕は思っている)。
 1つは、自己の時間的・歴史的連続性にアイデンティティを求めるタイプ。
 もう1つは、所属する社会との連続性にアイデンティティを求めるタイプ。

 前者のタイプは、たとえば40代になったときに、30代の自分も、20代の自分も、10代の自分も、地層の断面や樹木の年輪のように、あるいは歴史年表のように、くっきりとそれぞれの「時代」の跡を残している。
 だから、10年、20年、30年とへだてても「よう!」「おお!」という感じで、即、2人が時空間を共有していた「時代」にもどれる。
 時間的・歴史的タイプの僕は、この瞬間に無上の喜びを感じる。

 後者のタイプは、ま、イメージ的には、〈30代〉になるときに〈20代の自分〉を融合させてしまう、〈40代〉になるときに〈30代の自分〉を融合させてしまう……というふうに、常に新しい自分を創出しながら歳をかさねていく。
 だから、ずいぶん違った感じに変化していることが多い。
 時間的・歴史的タイプの僕――自己に対してアイロニカルな言い方をすると、自分が若かった頃にしがみつき、もう将来的には絶望的な状況にあるにもかかわらず、執拗に未来に希望をつなごうとする僕(ノ△・。)は――「よう!」と言いかけたものの、まったく別人の、既に立派な大人の、その人が眼前にいて、ドギマギして、その「よう!」をグッと飲みこんでしまう。

 お盆は人生のスペクタルが味わえる。
 今夜は、ペルセウス座流星群でも仰ぐことにしよう(^_^)v。


職員通信 2013/08/12号
★2学期のはじめは、アイデンティティの危機に寄り添う―― 学年・学級経営のポイント①&②
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★アイデンティティという語に対する適切な日本語訳がないといわれる。
 実際、日本語のいろんな文脈のなかで、「正体」、「身元」、「本質」、「独自性」、「主体性」、「本性」、「存在証明」「自己像」「本来の自分」……などと使われている。
 先日の模擬授業大会でも、講師の野口氏が「先生方のアイデンティティ……」という言い方をし、それを受けるかたちで、僕もお礼のことばのなかで「野口氏のアイデンティティ……」という言い方をした。
 しかし、たぶん2人の「アイデンティティ」の概念には微妙なズレがあったと思う。

★僕は迷わず(というか長いあいだ「迷」った結果として、現在は単純、頑迷に)「同一性」と直訳している。
 と同時に、これを時間(垂直)軸と空間(水平)軸の2軸でとらえている。
 「時間軸」は、もちろん自己の時間的・歴史的連続性、つながり。
 「空間軸」は、所属する社会との連続性、つながりである。
 (なお、先の野口氏は「存在証明」的な意味で使われたのだと思う。)

★今、長期休業後=2学期の始めに向けて話題にしたいのは、空間軸のほうだ。
 空間軸の例として、
(1)学級・学年の友人とのつながり
(2)教師とのつながり
(3)家族とのつながり
(4)地域の人々とのつながり
(5)インフォーマルな友人とのつながり
(6)部活動仲間とのつながり
(7)いわゆる「第4の領域」の仲間とのつながり……等々。

 経験的にいって、いわゆる「急性のアイデンティティ混乱」も含め、2学期はじめは、自己の存在の意味を見失ってしまう中・高校生が多い(自殺者も圧倒的にこの時期が多い。)

 空間軸の崩壊が、それに複雑に絡みつつ形成されている時間軸の崩壊につながるのだろう。
 いわゆる日本的美意識としての無常観に少し似ている。
 僕はキライではない。
 しかし、子どもが長期間、この精神状態にあることは危険だ。

★欲をいえばきりがない。
 かなり粗い話だが、僕は(1)~(7)のどれが1つが、つながっていれば、「さしあたって今は大丈夫」と考えている。

 先生方には、「3日会わざれば刮目してみるべし」という視点(=「この子は、2学期、どんなところがよくなりたいと思って出校してきているのだろうか?」)とともに、ひとりひとりの(1)~(7)のつながり(=空間軸のアイデンティティ)を観察してほしい。
 そして、空間軸のアイデンティティが消滅しかかっている子に寄り添ってほしい。

 「観察」については
(1)子どもといっしょに「存在」する。
 ただ、いっしょに「存在」するだけでいい。
 「いっしょに存在しているんだ」と念仏のようにつぶやくだけで、子どもたちの見え方が違ってくる。
(2)アンケート調査(含ミニ課題作文)
(3)チャンス相談……など、プロとして多様な手法を組み立てて工夫を。

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 「寄り添う」については、いつもの上記の「カウンセリングの三角形」でいうと「A←一体になる・B←味方になる」部分をぶ厚くする(=即助言というのは、避ける)ことを基本に、
(1)将来への目標を持たせる。
 体育祭に向けて……市中体にむけて……文化祭にむけて……修学旅行にむけて。
 経験的に、行事というのは、こういう状況ではかなりの威力を発揮する。
 先生方ご自身の2学期の夢もぜひ熱っぽく語ってほしい。
(2)自分のよいところに気づかせる
(3)自分の存在が他のためになっていることに気づかせる……など。

★教師一般の体質もそうだが、社会全体がマイナス評価する、あるいはマイナス的(含悲観論・危機管理という観点からの予防)な評価ができる人間を高く評価する方向に傾いている。
 自己肯定感が育たない原因の1つだ。
 この流れに抗して、徹底して自己肯定感を育ててほしい。
 悲観論は感情だが、楽観論は思想だ。

 
人と人とのつながりを広げる 学年・学級経営のポイント②

★上記で「欲をいえばきりがない。わたしは(1)~(7)のどれが1つが、つながっていれば、さしあたって今は大丈夫と考えている」と書いたが、このことは言い換えれば、1つよりも2つ、2つよりも3つと、たくさんのつながりがあるほうが安心というか、子どもの自己形成空間が充実していることになる。
 三間(空間・時間・仲間)の減少。
 多人数異年齢集団の遊び集団から少人数同年齢集団化。
 職住分化(家族の共同性の衰弱化)。
 自己選択的消費文化の浸透(他者との共同行為の衰退)。
 地縁ネットワークの衰弱化。
 地域空間の均質化……等々。

★空間軸のつながりの少ない子どもが問題なのではない。
 背後にあるこういう歴史的、文化的、社会的な変化を経て、社会全体がもがいているのである。
 この状況、またこの時期(2学期はじめ)を踏まえて、人と人とのつながりを拡充する教科経営、学級経営、学年経営、はどうあればいいか? 教職員の役割はなにか?ということを強く意識し、プログラムを企画していくことが、今、大切であると思っている。

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