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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

元統一教会解散では終わらない新興宗教団体問題

2025年03月27日 15時56分54秒 | 統治制度論
 新興宗教団体とは、第二次世界大戦後にあって突然に出現したわけではなく、戦前にありましても、大本教や天理教など、神様からお告げを受けたとされる教祖達が始めた宗教団体は存在しています。海外に視線を移せば、イエズス会など、新興宗教団体の古株が世界大に根を張っています。新興宗教団体と政治との繋がりも、戦後の新興宗教団体に始まるわけでもありません。その一方で、今日の新興宗教団体には、分断と対立を狙うグローバリストの実行部隊としての側面がもはや隠しようもなく表面に現れているようにも思えます。

 長らく政権与党の座にあり続けてきた自民党と元統一教会との関係は、安部元首相個人に限ったものではありません。政治家の秘書の多くが統一教会の信者であり、選挙に際しても活動員が提供されていたことは、その組織的な繋がりを示しています。秘書であれば、議員のスケジュールを把握して教団に報告することができますので、自民党の内部情報も、全て統一教会に掌握されていたのでしょう。そして、今般の解散命令にあって問題視された教団の集金マシーンとしての側面は、政党と教団との‘持ちつ持たれつ’の関係を支えてきたはずです(政治とお金の問題は、企業献金のみではない・・・)。見返りとして、自民党は、その求めに応じて何らかの利権を教団側に提供しているはずなのですから(この点、カルト風味のムーンショット計画も、文(Moon)の姓名に因んだ計画かも知れない・・・)。

 かくして、保守政党を名乗りながらその実グローバリスト政党である自民党は、新興宗教団体といわば二人三脚の如くに日本国の政治権力を行使することとなるのですが、この状況にさらに輪を掛けて悪化させたのが、創価学会を支持母体とする公明党との連立ということになりましょう(日本国は、事実上、狂信主義政権に・・・)。創価学会もまた、教祖とされてきた故池田大作氏に関して朝鮮半島や中国出身説があり、かつ、近年、海外への布教にも熱心です。日本国民よりも外国人や外国を常に優先する自公連立政権の政策運営は、グローバリストの下部組織と目される新興宗教団体の意向を反映させたため、とも推測されます。そして、日本国の皇室のみならず、世界各国の王族にあって新興宗教団体やグローバリストとの関係が指摘されるのも、伝統的な民族主義を破壊、もしくは、これらをも自らの組織に取り込むことができるからなのでしょう。

 民族主義も宗教も、それが自然発生的で抑制的なものであれば人々を纏める統合作用として働くのですが、時にして激しい分断と対立をもたらすことは歴史が示すとおりです。何れにしましても、これらの精神作用には統合と分裂という両極端の二面性がありますので、本来、極めて慎重な扱いを要する分野なのです。そして、それ故に、政治的には利用されやすく、グローバリストは、まさにこの二面性を巧みに使い分けることで、自らの支配力を広げていったと言えましょう。戦後に顕著となった保守政党と新興宗教団体との強固な結びつきは、近現代にあって構築されてきたグローバリストによる世界支配体制に、日本国も組み込まれていることをも示唆しているように思えます。

 このように推理しますと、今般の旧統一教会の解散には、表向きの理由とは異なる幾つかの解釈が可能となります。第一の解釈は、近年の新興宗教団体の退潮ぶりからしますと、グローバリストは、同集団をもって間接支配を敷く従来の方法を止め、デジタル技術を用いた日本国民の直接支配に切り替えたとするものです。直接支配の形態としては、国民の個々人を対象とするもののみならず、旧統一教会や創価学会等を介さず、また、自民党や公明党に限らず、日本国の政治家全てを直接にコントロールという手法もあるのかもしれません。すなわち、新興宗教団体は“ご用済み”ということになります。第二に、旧統一教会の解散は、トカゲの尻尾切りに過ぎないかもしれません。グローバリストが複数の新興宗教団体を操っているとしますと、旧統一教会の信者達を他の配下の教団に移せば、解散命令は有名無実となりましょう。そして、第三の可能性は、旧統一教会の背後にアメリカが付いており、創価学会の後ろに中国が控えているとしますと、前者の解散は、米中対立の演出の一環であるというものです。新興宗教団体の間では、両者を操る上部の存在を知らされておらず、真剣に敵対関係にあると思い込んでいるのかも知れません。そして、何れのケースであったとしても、一般の日本国民にとりましては、悪夢でしかないのです。

 極右とも称される新興民族団体にせよ、新興宗教にせよ、自国の独立並びに安全保障を脅かす存在となっている今日、元統一教会の解散をもって同脅威が取り除かれるわけではありません。リスクという同一の基準に照らせば、旧統一教会のみならず、創価学会も解散させるべきですし、新興宗教団体という存在を、それが、個人の信教の自由を越えた政治的な組織である場合には、政教分離の原則を徹底し、何れの教団であれ、その存在は認めるべきではないと思うのです。

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