万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

北朝鮮の体制保障要求は無理では?

2018年05月02日 14時03分57秒 | 国際政治
 北朝鮮の核・ミサイル問題については、同国は、非核化の取引条件としてアメリカに対して金正恩体制の保障を求めるとする指摘があります。アメリカもまた、しばしば体制転換を求めない、とする立場を表明しておりますが、北朝鮮の体制保障とは、一体、何を意味するのでしょうか。

 北朝鮮の国家体制とは、1948年9月9日にソ連邦が“抗日の英雄”として指名した“金日成将軍”なる人物を首班として建国された独裁国家であり、後ろ盾となったソ連邦と同様に共産主義を基調としながらも、金一族による世襲体制が敷かれています。同国の正式名称は、朝鮮民主主義人民共和国ですがその実体は真逆であり、民主的制度も殆ど皆無な上に、人民は独裁者の手足であり、共和政でもありません。世界広しと雖もこれほど欺瞞に満ちた倒錯した国家も珍しく、‘地上の楽園’どころか、恐怖政治の下にある国民にとりましては‘地獄’と言っても過言ではありません。楽園に住めるのは独裁者唯一人なのです。

 北朝鮮という国が、過酷な国民弾圧と人権侵害が横行する体制を強権を以って維持している点を考慮しますと、その体制保障自体が自ずと倫理上の問題を提起します。かつて、国際法の父と呼ばれたヒューゴ・グロチウスは、国民弾圧国家に対する人道的介入を正しい戦争と見なしましたが、独裁者に国民が苦しめられている国に対しては、諸外国は‘見て見ぬふりをすべきか、否か’という深刻な問題を投げかけるのです。

 こうした倫理上の問題に加えて、北朝鮮の体制保障には、民主主義の観点からの問題も無視できません。それは、北朝鮮国民が金一族独裁体制に反旗を翻し、体制崩壊を望んだ場合の対応です。核・ミサイル問題に関しては、同国は、リビアの前例から見てアメリカの体制保障に対しては懐疑的であると常々指摘されています。リビアの独裁者カダフィ氏は、核放棄の見返りに体制を保障されたものの、結局、国民の側からの‘アラブの春’を契機に内戦状態に至り、体制崩壊に至ったからです。

 しかしながら、リビアの体制崩壊に至る一連の動きは、アメリカが直接に引き起こしたわけではありません。独裁体制に対する国民の反カダフィの機運と国内事情が直接の原因であり、体制を維持し得なかった根本的な理由はカダフィ氏自身の統治の失敗にあります。仮に、この状況下にあって‘リビアの体制を確実に保障する’となりますと、アメリカは、リビア国内の民主化勢力を弾圧するという‘暴挙’に出なければならなくなります。19世紀初頭、ナポレオン体制崩壊後あって、ヨーロッパでは“ヨーロッパ協調”とも称されたウィーン体制が成立しましたが、この際に締結された神聖同盟では、ロシアは、‘平和’の美名の下で自由化や民主化を求める他国の反政府運動を潰すべく、軍事介入しています。自由と民主主義の旗手であったアメリカが、北朝鮮の体制保障のためにこの種の介入、即ち、北朝鮮国民の自発的な民主化運動を、武力を以ってしてでも弾圧するとは、到底考えられません。

 しかも、北朝鮮が自主独立を謳うならば、体制の保障という言葉自体が前者と矛盾しています。自主独立ならば、北朝鮮の国制は同国自身が決めることであり、他国から保障してもらうものではないからです。このように考えますと、‘体制の保障’が、未来永劫にわたる完全なる独裁体制=金王朝の保障という意味であるならば、北朝鮮の要求は、やはり無理なお話なのではないかと思うのです。

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コメント (2)
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