万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

問題山積の日本国憲法第9条-交戦権を‘認めない’のは‘誰’?

2018年05月04日 14時37分27秒 | 日本政治
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 昨日、5月3日は、現行の日本国憲法が公布された日として祝日に指定されております。しかしながら、第二次世界大戦後の占領期に制定されたため、日本国憲法が抱えている問題は深刻です。

 憲法改正に際して最も焦点となるのが憲法第9条である理由は、その文言が、日本国の国際社会における地位までも左右するからです。占領期にあって、GHQが作成した草案に基づいて制定された日本国憲法は、敗戦国に対する軍備縮小といった戦勝国による制裁的な内容が含まれております。憲法第9条は、平和憲法の礎として評価される一方で、国際社会における独立主権国家としての権限については極めて制約的であったと言うことができます。

 そして、第一に問題点として指摘し得ることは、第9条2項末における「…国の交戦権は、これを認めない」という一文です。英文では、“The right of belligerency of the state will not be recognized.”と表現されており、受動態の一文となります。邦文であれ、英文であれ、この文章には、“誰が”という行為主体が明記されておりません。言い換えますと、憲法において日本国の交戦権を認めないていないのは‘誰’であるのか、判然としないのです。

 GHQが主導した憲法制定過程を考慮して素直に読めば、交戦権を認めていないのは、戦勝国である連合国と解されます。敗戦の結果として、日本国の交戦権は戦勝国によって否認されたこととなるのです。降伏後、戦争法の下で敗戦国が軍事行政下に置かれるのは国際社会の慣例であり、日本国もまた例外ではありませんでした。しばしば、日本国憲法の制定は国際法に反しているとする議論も、「陸戦ノ法規慣例二関スル規則」第四三条が定める‘占領地の法律の尊重’に違反しているとする主張に基づきます。もっとも、日本国政府はポツダム宣言を受け入れておりましたし、当時にあっては戦勝国が国際法に基づいて裁かれることなどつゆとも考えられておりませんでしたので、現時点にあって、その違法性を問うことは困難であるかもしれません。

 占領期における軍事行政は当然としても、講和条約が成立しますと、敗戦国は、独立主権国家の地位を回復します。この点からすれば、サンフランシスコ講和条約が発効した時点で、敗戦国の地位に起因する憲法上の文言は削除されるべきこととなります。第9条2項の交戦権の否認こそ、実のところ、真っ先に修正されるべき個所であったのかもしれません。

 もちろん、この“誰”については、日本国、あるいは、日本国民とする解釈もあり得ます。しかしながら、同じく第9条2項の戦力については“これを保持しない”とする能動態で表現しており、日本国の自発性が読み取れますが、交戦権については、敢えて外部の承認者の存在を示唆する受動態で記されていることには、それなりの意味合いがあったと推測せざるを得ないのです。

 憲法第9条については、兎角に戦争放棄の範囲や自衛隊の合憲性などに議論が集中しがちですが、交戦権に関する表現こそ、実のところ、第9条問題の根の深さを示しております。明治期の日本外交は不平等条約の改正に心血を注ぎましたが、サンフランシスコ講和条約の発効からゆうに半世紀を超えたにも拘わらず、未だに敗戦国の地位を憲法に残すことは、自ら日本国の地位を貶める行為であり、国際社会に対しても無責任ではないかと思うのです。

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コメント (2)
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