
音楽専科の教師が必ずしもよい合唱をつくり出すとはかぎらない。それよりも少しぐらい音楽の指導ができなくても、教育がわかっている教師のほうがよい合唱をつくり出すことがある。
だから、音楽専科の教師の場合、教育がわかっている教師の場合は、とてもよい合唱をつくり出す。そうでない場合は、音楽専科の教師だといえども痩せた、干からびた、固く冷たい合唱になる。
そもそも音楽は精神活動である。心が開かれているときや楽しいときに歌声が自然に出てくる。学校でいうならば学校生活が充実しているとき、授業の内容がわかっているとき、仲のよい友達がたくさんいるときに明るく温かく張りのある歌声が出てくる。 したがって、よい学校とかよい学級を見分けるには歌声を聞けばすぐわかる。歌声はそれを判断するバロメーターとも言える。
私の知っているYK先生は、音楽専科の先生である。しかし、国語をはじめ他の教科の指導も素晴らしい。学級づくりも上手である。つまり、教育がわかっている教師である。だから合唱も素晴らしいものができた。人間的で温かみがありとてもよかった。子どもたちの歌っている顔、身体が美しかった。ここまでよく指導されたと感心した。今までのその学校の合唱とずいぶん違ったものになった。これはある地区の音楽発表会を見たときの私の感想である。
YK先生の今後の指導がさらに楽しみになった。