
部屋の整理をしていたら、詩集が2冊出てきた。私が30代半ばの頃(昭和55~58年)子どもたちに詩の朗読を指導しようとしてつくった詩集である。
4月から3月までの年間計画を立て、毎日「朝の会」などに朗読を指導した。その時の子どもたちは6年生であった。
子どもたちは、喜んで詩の朗読をした。1人で、2、3人で、群読で、立ち位置を考えたり、身体で表現したりして朗読した。今でも子どもたちの素晴らしい読みと、その動きが鮮やかに蘇ってくる。
7月には3つの詩の朗読を指導している。
夕だち(村野四郎)・虹いろの魚(村野四郎)・土(三好達治)である。
虹いろの魚
村野四郎
ことしも夏がきたら
また 母の里の田舎へいこう
大きい麦わら帽子をかぶり
ひぐらしの鳴く森かげをとおって
あの川へ
あの魚をとりにいこう
なんという魚なのか
その名はしらない
はらも ひれも きれいな虹いろ
わたしの思い出のなかを
いつも ゆらゆらおよいでいた魚
ことしも夏がきたら
また ひとりで取りにいこう
あの川へ
あの虹いろの夢の魚を
※ここに出ている「虹いろの魚」というのは、「オイカワ」という魚ではないだろうか。この魚は川に棲息しており、産卵期になるとオスは非常に美しい婚姻色になる。つまり虹色になるのである。この魚は、私の住んでいる近くの川にもいた。私の子どもの頃は、この詩に出てくる子どものように、よくこの魚をとりに行った。小さな川であり、銛で突いたり、魚網でとったりしたものである。今でも楽しい思い出となって瑞々しく蘇ってくる。
この詩を書いた村野四郎さんもこの詩と同じような体験をしたのであろう。現在の子どもたちは、電子ゲームによって精神的な安定を保っており、気の毒でさえある。村野四郎さんが書かれたような詩の世界へ子どもたちを引き連れていってやりたい、子どもたちに大きな自然と向き合わせてやりたい。こんな思いもあってこの詩を選定した。