ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

だが心中は御免こうむる

2017年04月23日 23時26分52秒 | Weblog
数年前から労基の監査局がどうのとかで、月に一定以上の超過勤務時間が
溜まった社員について、産業医面談とかそういったものが実施されている
のであるが、個人的には何の役に立っているのか分からない。
これで超過勤務が減ったのかというとそんなことはなく、面談が当の本人
だけというのも合点がいかない(本人は必要と感じているから働いている
のであって、作業を振った上司は同席しないで良いのか)。

ある人ははじっくり面談して仕事の時間が削られる(勤務時間が延びる)
のを嫌って、適当に受け答えして流したりという、残業代支給に当たっての
おまけのように感じている節もある。
穿った見方をすれば、労働過多でリタイアとなった時に会社側をして『いや、
あいつ大丈夫って言ってたし。面談したし。』と言って責任を回避するための
方策と思えなくもない。(ちゃんと面談等のケアが機能していれば会社側の
責任は十分に果たしていると言えるが…)

他の会社はどうなのか、おそらくもっとひどい所の方が多いのだろうとは
思うが、もう少し人的資源を大事にして欲しいと思ってやまない。
2~3人潰れたところで、新しい人員を補充した方が早い&安いという現状が
あったにせよ、そこはもう少し長い目で見てくれという話。

話は変わり、体感的時間の話。
例えば五歳の頃の一日の長さの感覚と、30歳の頃の一日の感覚とが違うように、
一日の中の朝10時からの一時間の感覚と夜10時からの一時間の感覚もまた
違うように思う。

良く言われるのは、今まで体験してきた時間の総和に対して、今の時間が
比較対象になるので、後に行くほど感覚的な時間は短くなるという話であるが、
それが一日という短いスパンの中でも起こっているはずだということである。

そしてそれはずっと続くものではなく、どこかでリセットが行われている。
体内時計のリセットという言葉は昔聞いたことがあり、それは朝日を受ける
ことで行われるという内容だったが、その時は一日の感覚(24時間サイクル)
を正しいものにすると解釈していた。それがこの度多分本来の意味にようやく
気が付いたという次第である。

睡眠も大事だが、体内時計のリセットも大事。この二つが揃わないと、どうにも
能率が上がらない。人によっては別の何かで体内時計がリセットされる体質に
なっていることもあるかも知れないが、あまり多くはあるまい。

ともかく思うことは一つ、こんなにもみんなが身を粉にして働かなければ
世の中が回らないというのだろうか?(もっと休みたいなあ…)
コメント
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