ふと思ったこと。
美味いものを食べるのは人生の楽しみ(美味いものを食わないのは
人生における損失)という言葉があるけど、美味いものの味を覚えてしまったら
以降食べるものが物足りなくなったり、エンゲル係数が上がったりといった
不幸が始まるのではないか、と。
食の満足度を左右するのは、質、量、環境、状況で、それらのどれかが
ある程度以上あれば良いと個人的に思う訳です。
つまりは海原雄山の同席する場所で出された至高のメニューより、
気心知れた人とキャンプ場とかで食べるレトルトカレーの方が美味い場合が
あるという事です。
かように質にこだわらずとも満足が得られるのなら、美味い(上質な)もの
など口にしない方が良いのではないかと思いました。
実際ぼくの人生で最も思い出に残っているのは学食のかけそばで、
味も思い出も勝るものはないと現在に至るまで思っています。
それくらい食や味へのこだわりは個人的なものなので『美味しんぼ』や
グルメ番組のように、食へのこだわりに対する啓蒙じみたものや、
いたずらに食欲を煽るものに対してはいささか懐疑的です。
病み上がりや疲労時に食べるものはシンプルな程美味く、気心知れた人と一緒に
食べるものはそれが何であろうと大抵は楽しい。それで良いじゃないかと。
さすがにもてなす時とか、気心知れていない人と食べる場合においては
その限りでは無いのかも知れませんが。
美味いものを食べるのは人生の楽しみ(美味いものを食わないのは
人生における損失)という言葉があるけど、美味いものの味を覚えてしまったら
以降食べるものが物足りなくなったり、エンゲル係数が上がったりといった
不幸が始まるのではないか、と。
食の満足度を左右するのは、質、量、環境、状況で、それらのどれかが
ある程度以上あれば良いと個人的に思う訳です。
つまりは海原雄山の同席する場所で出された至高のメニューより、
気心知れた人とキャンプ場とかで食べるレトルトカレーの方が美味い場合が
あるという事です。
かように質にこだわらずとも満足が得られるのなら、美味い(上質な)もの
など口にしない方が良いのではないかと思いました。
実際ぼくの人生で最も思い出に残っているのは学食のかけそばで、
味も思い出も勝るものはないと現在に至るまで思っています。
それくらい食や味へのこだわりは個人的なものなので『美味しんぼ』や
グルメ番組のように、食へのこだわりに対する啓蒙じみたものや、
いたずらに食欲を煽るものに対してはいささか懐疑的です。
病み上がりや疲労時に食べるものはシンプルな程美味く、気心知れた人と一緒に
食べるものはそれが何であろうと大抵は楽しい。それで良いじゃないかと。
さすがにもてなす時とか、気心知れていない人と食べる場合においては
その限りでは無いのかも知れませんが。