今さら、4月のことを記事化して、すみません。
4月25日の朝は、舞鶴市内にある某ホテルで迎えた。
母親も一緒である。
ホテル内のレストランで、バイキング形式の朝食をとったあと、チェックアウトした。
そして、レンタカーに乗って出発した。
その日、はじめに向かったのは、松尾寺である。
松尾寺は、西国33か所の第29番札所で、その旅行では、松尾寺が一番の目的地だった。
国道をしばらく東へ向かって走り、JR小浜線沿いに走った。
山間のある場所に、松尾寺への案内表示板が建っていたので、その場所で国道から細い道に入った。
そして、曲がりくねった狭い道を走り山の中へ入った。
8時20分頃、わたしたちは、松尾寺に到着した。
駐車場にレンタカーを止めて、雨の中を歩いた。
松尾寺は、真言宗醍醐派の寺院で、創建年は708年である。
参拝後、納経料と駐車場料金を納め、納経長に御朱印を受けた。
そして、松尾寺をあとにした。
それから、走ってきた道を引き返し、国道に出ると、西へ進んだ。
しばらく西へ走ったあと、ある交差点を右折し、湾沿いを走った。
次に向かったのは、舞鶴引揚記念館である。
舞鶴引揚記念館には、旧軍人のシベリア抑留に関する資料が多数展示されていた。
また、シベリア抑留中の生活の様子などを再現した模型や、引揚に活躍した船舶の模型などもあった。
近くには、引揚記念公園があり、その日は、八重桜がきれいに咲いていた。
公園の見晴らし台からは、湾などを見下ろすことができた。
そのあとは、舞鶴市内にある道の駅・舞鶴港とれとれセンターへ向かった。
しばらくは、国道を走ったが、途中、道を間違えてしまい、海沿いの旧い道を走った。
旧い道を通り抜け、しばらくすると、国道の交差点へ出た。
その交差点を右折し、国道175号線をしばらく走ると、右手に道の駅が見えた。
道の駅に着くと、昼食をとり、休憩した。
道の駅をあとにすると、国道を走り、途中、左手にあるガソリンスタンドで満タン給油をした。
そして、ガソリンスタンドをあとにすると、西舞鶴駅に向かった。
西舞鶴駅前に着くと、レンタカーの営業所へ行き、車を返した。
そして、駅の待合室で、しばらく列車を待った。
西舞鶴駅からは、14時35分発の特急「まいづる10号」・京都行きに乗車した。
列車は、舞鶴線内は、5号車から7号車までの3両編成である。
わたしたちは、普通車指定席の6号車に乗車した。
車番はモハ286-109だった。
その列車は、途中の綾部駅で進行方向が変わる関係で、舞鶴線内は、座席は後ろ向きになっていた。
なお、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
西舞鶴発車後、女性の車掌が車内改札を開始した。
次の停車駅は、綾部だった。
綾部駅停車中に、天橋立発の特急「はしだて4号」と連結した。
綾部駅からは、山陰本線に入り、列車の進行方向が変わった。
なお、その日、指定席の車両はかなり空いていた。
そのあとは、園部、亀岡、二条、終点の京都の順に停車した。
その日は、舞鶴市内は、雨が降ったり、曇りだったりの天候だったが、京都市内は、青空の広い晴天だった。
京都からは、3489M・新快速・姫路行きに乗った。
その列車は、12両編成で、わたしたちは、先頭の車両に乗車した。
車番はクモハ224-1だった。
新快速電車は、京都駅を出発すると、高槻、新大阪、大阪の順に停車した。
大阪では、乗務員の交代があり、車掌が女性に代わった。
そのあとは、尼崎、芦屋、三ノ宮、神戸、明石、西明石、加古川、終点の姫路の順に停車した。
姫路駅に着いたのは、18時04分で、乗る予定の列車まで、かなり時間があった。
その間に、駅弁などを購入した。
姫路からは、19時03分発の1335M・岡山行きに乗車した。
その列車は、113系電車の4両編成で運転されていて、わたしたちが乗った車両の車番はクハ111-566だった。
先頭の車両である。
その列車は、姫路駅を出発すると、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生、有年、上郡の順に、各駅に停車した。
上郡を出発すると、船坂峠を通り、トンネルを抜けて、岡山県に入った。
その列車は、姫路を出て、しばらくは混雑していたが、上郡からの県境区間では空いていた。
18きっぷの時期ではないからである。
列車が岡山県に入ると、三石、吉永、和気、熊山、万富、瀬戸の順に停車した。
瀬戸駅に止まると、わたしたちは下車して、路線バスで帰路についた。
こうして、西国33か所第29番札所の松尾寺目的の旅行を終えることができた。
4月25日の朝は、舞鶴市内にある某ホテルで迎えた。
母親も一緒である。
ホテル内のレストランで、バイキング形式の朝食をとったあと、チェックアウトした。
そして、レンタカーに乗って出発した。
その日、はじめに向かったのは、松尾寺である。
松尾寺は、西国33か所の第29番札所で、その旅行では、松尾寺が一番の目的地だった。
国道をしばらく東へ向かって走り、JR小浜線沿いに走った。
山間のある場所に、松尾寺への案内表示板が建っていたので、その場所で国道から細い道に入った。
そして、曲がりくねった狭い道を走り山の中へ入った。
8時20分頃、わたしたちは、松尾寺に到着した。
駐車場にレンタカーを止めて、雨の中を歩いた。
松尾寺は、真言宗醍醐派の寺院で、創建年は708年である。
参拝後、納経料と駐車場料金を納め、納経長に御朱印を受けた。
そして、松尾寺をあとにした。
それから、走ってきた道を引き返し、国道に出ると、西へ進んだ。
しばらく西へ走ったあと、ある交差点を右折し、湾沿いを走った。
次に向かったのは、舞鶴引揚記念館である。
舞鶴引揚記念館には、旧軍人のシベリア抑留に関する資料が多数展示されていた。
また、シベリア抑留中の生活の様子などを再現した模型や、引揚に活躍した船舶の模型などもあった。
近くには、引揚記念公園があり、その日は、八重桜がきれいに咲いていた。
公園の見晴らし台からは、湾などを見下ろすことができた。
そのあとは、舞鶴市内にある道の駅・舞鶴港とれとれセンターへ向かった。
しばらくは、国道を走ったが、途中、道を間違えてしまい、海沿いの旧い道を走った。
旧い道を通り抜け、しばらくすると、国道の交差点へ出た。
その交差点を右折し、国道175号線をしばらく走ると、右手に道の駅が見えた。
道の駅に着くと、昼食をとり、休憩した。
道の駅をあとにすると、国道を走り、途中、左手にあるガソリンスタンドで満タン給油をした。
そして、ガソリンスタンドをあとにすると、西舞鶴駅に向かった。
西舞鶴駅前に着くと、レンタカーの営業所へ行き、車を返した。
そして、駅の待合室で、しばらく列車を待った。
西舞鶴駅からは、14時35分発の特急「まいづる10号」・京都行きに乗車した。
列車は、舞鶴線内は、5号車から7号車までの3両編成である。
わたしたちは、普通車指定席の6号車に乗車した。
車番はモハ286-109だった。
その列車は、途中の綾部駅で進行方向が変わる関係で、舞鶴線内は、座席は後ろ向きになっていた。
なお、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
西舞鶴発車後、女性の車掌が車内改札を開始した。
次の停車駅は、綾部だった。
綾部駅停車中に、天橋立発の特急「はしだて4号」と連結した。
綾部駅からは、山陰本線に入り、列車の進行方向が変わった。
なお、その日、指定席の車両はかなり空いていた。
そのあとは、園部、亀岡、二条、終点の京都の順に停車した。
その日は、舞鶴市内は、雨が降ったり、曇りだったりの天候だったが、京都市内は、青空の広い晴天だった。
京都からは、3489M・新快速・姫路行きに乗った。
その列車は、12両編成で、わたしたちは、先頭の車両に乗車した。
車番はクモハ224-1だった。
新快速電車は、京都駅を出発すると、高槻、新大阪、大阪の順に停車した。
大阪では、乗務員の交代があり、車掌が女性に代わった。
そのあとは、尼崎、芦屋、三ノ宮、神戸、明石、西明石、加古川、終点の姫路の順に停車した。
姫路駅に着いたのは、18時04分で、乗る予定の列車まで、かなり時間があった。
その間に、駅弁などを購入した。
姫路からは、19時03分発の1335M・岡山行きに乗車した。
その列車は、113系電車の4両編成で運転されていて、わたしたちが乗った車両の車番はクハ111-566だった。
先頭の車両である。
その列車は、姫路駅を出発すると、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生、有年、上郡の順に、各駅に停車した。
上郡を出発すると、船坂峠を通り、トンネルを抜けて、岡山県に入った。
その列車は、姫路を出て、しばらくは混雑していたが、上郡からの県境区間では空いていた。
18きっぷの時期ではないからである。
列車が岡山県に入ると、三石、吉永、和気、熊山、万富、瀬戸の順に停車した。
瀬戸駅に止まると、わたしたちは下車して、路線バスで帰路についた。
こうして、西国33か所第29番札所の松尾寺目的の旅行を終えることができた。
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