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またあしたね~土佐いく子の教育つれづれ⑤

2012年01月07日 | 土佐いく子の教育つれづれ

オーノー! 信じられない 自由の危機に文化の力発揮

■君が代条例描く喜劇
 朝日新聞に「君が代条例」後、教師は――府立高校の卒業式描く喜劇上演中――という記事が大きく出ていた。読んでみると、

「卒業式を迎えた府立高校を舞台に、不起立の教員が出ないようにと願う校長と、伴奏がうまくできない音楽教師、『がちがちの左翼』と揶揄される社会科教師らが高校の保健室に集い、それぞれの思惑をぶつけ合う。作品は、東京都教委が君が代を起立して歌わない教員を相次いで処分したのを受け、劇団『二兎社』が全国公演した。今回はそれを大阪弁にし『不起立だったら減給』は『3回職務命令違反でクビらしいで』と大阪の現状に即したセリフに変えた」

 ぜひこの舞台を見たいと出かけて行った。会場は立ち見が出るほどいっぱいで人があふれていた。関心の強さの表れだろう。

■ロンドン公演は幻に
 パンフレットを開けてみると、「歌わせたい男たち」の演出を担当した劇団「木津川」の林田氏がこのように書いていた。

「この作品は、永井愛さんの傑作戯曲である。丁度この作品を執筆の頃、『ロンドンであなたの戯曲の上演を!』との依頼があったとか。そして完成したその脚本を読んでもらったら、かのプロデューサー曰く。『これはいつの時代の話ですか』『イヤ、現代の日本・東京の話です』と永井さん。『オーノー!信じられない!こんなことしたらイギリス中の先生がストライキに立ち上がり、国民も黙ってはいませんよ』。この演劇をロンドン市民に理解させるのは無理とのことでロンドン公演の話は幻と消えたという。笑うに笑えない『日本の常識は世界の非常識』がここにもある。(中略)『教育』や『公務員』職場での『自由』の制限・圧殺は遂にここまできた。(中略)『もう黙ってられへん』一人ひとりのその声、その音が高く、広く、大阪市に、日本中に響き渡るように願ってやまない」

 卒業式が始まるまでの2時間のできごとを5人の出演者が、休憩なしで正味2時間近く熱演していた。喜劇だという。私も笑った、声を立てて…。しかし、劇の中身は、笑うに笑えぬ、泣くに泣けない厳しい教育現場が身につまされて迫ってくる。

 40代半ばまで「売れないシャンソン歌手」をしていた音楽教師は、やっと講師として仕事にありついた。初めて知る教育現場の実態、心は揺れても「わたしゃ食べていかなきゃならない」と。かつては生徒たちにも「内心の自由は守ります」と熱く語った校長も今や「わが職場から不起立者を一人でも出したら、私は屋上から飛び降りて死にます」と。

 憲法には、第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と高らかにうたわれているではないか。なのに、教師たちをここまで追い込んできたのはなぜなのだろうか。

■歌う自由も歌わぬ自由も
 私は4年前まで現場にいたが、毎年この問題については、喧々諤々の議論がされてきた。まだ職務命令が出るような状況ではなかったが、職員の中にも様々な考えはあった。侵略戦争のシンボルになった「日の丸・君が代」に反対もあれば、「今やスポーツの世界でも普通に歌っているから国歌と認めて歌ってもいいじゃないか」と。在日の子どもたちのことも問題になった。

 私は、常に主張してきた。教育の現場に強制は禁物だと(だが、今や辞めさせるぞと言われるまでに)。歌う人の自由も歌わない人の自由も守るのが教育現場の鉄則だと思っている。これは、国旗国歌問題に限らない。かつて同和教育の副読本の扱いをめぐっても激しい議論があった。私は、その時も自分の考えは、きちんと持っているが、使う自由も使わぬ自由も保持せよ、いささかの強制も許さないとがんばってきた。教育実践上のあれこれについての意見の違いも、多数決で押し切らず、実践的に確かめ、一つでも一致点をみつけ、子どものことなら一緒にやっていきましょうと呼びかけ続けてきた。そのことが親から信頼される学校づくりの鉄則であった。

 その鉄則が崩され、教育にとって瞳のように大切な自由が奪われようとしているとき、演劇という文化の力の果たす役割の大きさを改めて実感したことだった。

(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)

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我が、愛する営業車が…

2012年01月06日 | 編集・営業ふらふら雑記

1カ月ぐらい前からどうも、愛する営業車の調子が悪くて困っている。急に後輪がバキバキという変な音を発するようになったのだ。うるさいことこの上ない! それが人通りを通るのが恥ずかしくなるくらいの音なのだ。

外見はまったく異常がないのでどうもようわからんと、ネットを調べてみると、どうやら車軸のなかのベアリングが壊れてるらしいということがわかった。時々静かになるのだが、基本的にバキバキと音を鳴らしながら今日もトーハンに納品に走った。

いつまでもバキバキ運転を続ける訳にもいかないので、ようやく今日、自転車屋さんへ行って診てもらったら、ネットの書き込みと同じことを言われた。なるほど、なるほど…。

長年、取っ替え乗り替え、自転車には乗ってきたが、こんなトラブルは初めてだった。なんでやねん?と思い、なぜこうなるのか、お店のお兄さんに突っ込んで聞いてみたが、どうも詳しいことはわからない。なにか原因があるはずだがね。

修理の見積もりをたずねると8000円だった。うーむ…。後輪をすべて取り替えることになるそうで、「これなら新車が買えますよ」とお兄さんは言ったが、購入時にいろいろ荷物が運びやすいように手を加えたものなので、その使い勝手を考えると手放すにはもったいないということで、このまま乗り続けることにして、部品の取り寄せと連絡をお願いして今日は引き揚げた。

まったく余計な出費が増えて困ったもんやね。

 

 

 

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支那事変国債売出ポスター[大蔵省]

2012年01月05日 | 戦時下のポスター、反戦抵抗[実物資料]

1938年(昭和13)年頃の発行と思われる。

戦争には、庶民には予想がつかない巨額のカネが必要だ。税金だけでは足りない。公債(国債)という名で国が借金をした。

「支那事変」は1937年(昭和12)7月7日夜、北京郊外の廬溝橋で日本軍と中国軍が衝突した事件が発端で、これを全面戦争に拡大していったのが近衛内閣だった。11日には停戦協定が成立したが、近衛内閣は3個師団派兵も華北派兵を決め、この戦争を「北支事変」と呼んだ。

中国人民の抗日姿勢は固く、9月には国共合作が成立した。日本軍は上海に釘付けされながらも辛うじて戦線を確保、こうして天皇が宣戦を布告しないまま、中国との全面戦争に突入していった。

7月と9月の臨時議会は、政友会・民政党・社会大衆党の賛成で25億円を超える巨額の臨時軍事費を追加予算で(公債発行)承認した。

(大きさB2大、『平和伝える』解説ブックより)

 

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子ども行進カラーポスター[つちやたび株式会社]

2012年01月04日 | 戦時下のポスター、反戦抵抗[実物資料]

「つちやたび」は1873年(明治6)創業の足袋(たび)の老舗で、現在の月星化成株式会社の前身にあたる。

 1931年(昭和6)に「つちやたび株式会社」となり、1939年(昭和14)年に月星化成株式会社(本社・久留米市)に名称変更した。

 このポスターは、昭和6年~7年頃のものとされる。「ムーンスター(月星)」という靴の宣伝ポスターだが、兵隊服に進軍ラッパ、日の丸の旗を子どもに持たせる絵柄は、当時の世相をよく反映している。

 久留米市は筑紫平野にある城下町で、商工業の中心として栄えた。1907年(明治40)に第18師団設置後は、軍都としても発達。1922年(大正11)にはじめられた地下足袋生産はゴム靴、ズック靴、タイヤなど製造工業に発展し、月星化成、ブリジストンなどの創業により、日本一のゴム工業都市となった。

 月星化成では、大正末期頃に建てられた皇室接待用の建物(約20坪)を現在、歴史資料館として保存活用しており、当時の地下足袋や靴、宣伝ポスターなど数百点を入れ替え展示している。希望すれば館内を案内してくれる大きさA1大、『平和を築くとき』解説ブックより)

 

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さて今年はどんな人、本に出会えるか?

2012年01月03日 | 編集・営業ふらふら雑記

31日に神戸に移動し年越し、1日に広島へ移動し一泊して昨日吹田に戻ってきました。あわただしいいつもの移動で、ようやく新年のご挨拶です

皆様、今年もよろしくお願いします。

何かと厳しい状況ですが、そんなことを乗り越えて、さて今年はどんな本が作れるか、どんな人たちと巡り会えるか、楽しみです。

 

 

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