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息子の「秋桜」のうたに子育て振り返り~子どもたちのまなざし 25

2009年06月11日 | 土佐いく子の教育つれづれ


 私には三人の息子がいる。末の息子が大学時代にボーカルオーディションを受け、なんと合格。以来、今も貧乏暮らしのシンガーソングライターだ。東京、大阪を中心にライブやコンサートをしながら夢を追い続けている。

 ■「オカンは拓也には甘いわ」
 子ども時代は、サッカーボールを追いかけていたスポーツ少年だった。末っ子の特技で甘え上手。28歳になった今も、帰ってくると「オカン背中かいて」と寄ってくる。「オカンは、背中かいたら世界一うまいなあ」と言う。 

 そうそう子どもの頃、熱で寝ていた枕元へ仕事から走って帰り、額に手をあてたとき「オカンが額さわったら、なんか急に熱が下がったみたいや」と素直に甘え言葉が出たものだ。私など、そんな甘える言葉など、照れくさくて親になど言ったことはない。

 兄たちからは「オカンは、オレらのときは厳しかったのに拓也には甘いわ」とよく批判されたものだ。確かに何をしてもかわいくて、ついつい甘くなっていたなあ。

 ■口やかましく言ったことは水の泡
 仕事を持ち、組合の役員、サークル活動等をしながら、原稿書きや講演活動も続けてきた。ずいぶん手抜きの子育てで、子どもたちにはがまんもさせ、淋しい思いもさせてきた。

 それでも、ギリギリ精一杯必死にやってきた。その中で、何ほどのものが子どもたちの中に育ち、生き続けているのだろうか。

 梅雨の頃、あじさいが美しく咲いた雨上がりの夜、見上げた空に満月があざやか。思わず息子を呼び、二人で書斎から眺めた夜のことは忘れていない。一緒にショパンを聴き、美術展に行って感動をともにしたことも覚えている。あれこれ口やかましく言ったことなどは水の泡。いったいどこへやら。

 ■今日の歌いぶりは違った
 さて、つい先日、岸和田のある工房でライブを開催。その中で、カバー曲も1曲、さだまさし作詞作曲の「秋桜」を歌った。
 「昨日、リハーサルのときこれを歌ったら、自分が東京に出たときの想いと重なって涙がポロポロ出て…」と言って、歌い始めた。

 あの子の歌は、ライブやコンサート以外でも、私の講演とのジョイントで何度も何度も聞いてきた。しかし、今日の歌いぶりは違う。親バカだが、これまでにも増して魂がこもっている。歌に命を感じるのだ。

「明日への荷づくりに手をかりて、しばらくは楽しげにいたけれど、突然涙こぼし元気でと何度も何度も繰り返す母」

「こんな小春日和の穏やかな日は、もう少しあなたの子どもでいさせてください」
「ありがとうの言葉かみしめながら生きてみます、わたしなりに」

 ■唇をかみしめてうつむいた
 泣きながら聞いてくださっている方があそこにも、ここにも…。私も泣き出しそうになったが、それこそ照れくさい。他人事のように心の平静を装っていた。

 しかし「もう少しあなたの子どもでいさせてください。こんな小春日和の穏やかな日はあなたの優しさがしみてくる」という言葉が繰り返されると、唇をかみしめてうつむいてしまった。

 翌日、私は「秋桜」の歌詞を筆でしたため、コスモスの花の絵を添えた。

 そして、しみじみとその歌詞を味わったことだった。さだまさしはなかなかの詩人だ。

 あの子は、いつかこの母のしたためた書を見るだろう。そのとき、あの子の人生にはどんなドラマが始まっているだろうか。

 ■「2度と参観日に来るな!」
 歌と言えば思い出すことがある。三年生のときだったか、めったに行けぬ参観日に出かけ、音楽の授業に参加した。「富士山」を歌っていた。みんな気持ちよく歌っていたので、ついつい私も声が出て、最後のフレーズ「富士は日本一の山」のところの高音をはもったのだ。振り返った息子「二度と参観日に来るな!」。私の声が目立ったのだ。

 ハハハハ、なに、また行って歌ってやるぞと思ったが、さすがにプロの歌い手になっては、下手なハーモニーもままならずだ。今回は親バカの話でごめんあそばせ。

(とさ・いくこ 中泉尾小学校教育専門員・大阪大学講師)

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