7月20日(木)
本日もメールとFAXチェックで仕事を立ち上げる。
出庫はAmazon、日販、トーハン、楽天など。
支払関係を処理して帰宅。
車に乗ってよどがわ生協へシンママ大阪応援団への食糧支援物資を受け取りに行く。足掛け5年にわたって担当していただいたKさんは退職のため今月でお別れとなる。ありがとうございました。
物資を天満の事務所に搬入、会社へ戻る。
上脇さんの本の校正作業に取り掛かるが、時間切れで帰宅していく。
7月20日(木)
本日もメールとFAXチェックで仕事を立ち上げる。
出庫はAmazon、日販、トーハン、楽天など。
支払関係を処理して帰宅。
車に乗ってよどがわ生協へシンママ大阪応援団への食糧支援物資を受け取りに行く。足掛け5年にわたって担当していただいたKさんは退職のため今月でお別れとなる。ありがとうございました。
物資を天満の事務所に搬入、会社へ戻る。
上脇さんの本の校正作業に取り掛かるが、時間切れで帰宅していく。
7月19日(水)
一晩中エアコンをつけっ放しで寝るわけにもいかなくて、暑さで起きてしまうという熱帯夜明けの朝。
本日もメールとFAXチェックで仕事を立ち上げる。
出庫は、直販書店、楽天、集会委託など。
尼崎や北海道方面に集会販売の依頼作業。
BCかもがわ用のチラシの修正依頼をデータ屋さんへ。
街道本の基本組パターンが2案上がって来たので確認して、今回はB5サイズでいく方向で検討する。せっかくカラーにするので写真などが映えるものがいい。追加で何本かの原稿を送っておく。
夕方は沖縄方面の著者氏とZoomで出版の打合せを1時間半。来年3月の出版の予定で原稿化をお願いする。
7月18日(火)
1週間が早いと感じながら朝から猛暑の下を、日陰を探しながら出勤。
メールとFAXチェックで仕事を立ち上げる。
出庫はAmazon、日販、トーハン、新日本図書、楽天など。
黑田充さんの健康保険証本の在庫が怪しくなってきたので返品も含めて確認をしておかねば。
作文の会のチラシ印刷を発注。
歴教協大会の販売の件で梅書房さんにある頼み事の電話。引き受けていただき感謝。会場は上ヶ原の方だと思っていたがよく見ると神戸女学院のお隣の聖和キャンパスの方ではないか。搬入経路を確認しておく。
アイヌ本②の表紙案を作成、データ屋さんに依頼をする。
上脇さんの本の三校データが届くが、来客のため明日の朝へ。
尼崎のSさんと京都のY先生が来られたので出版の打合せを1時間余り。来年2月の発行に向けてこれから練り上げていくことになる。小社としては初めての分野のテーマ。いい本に仕上げていきたい。
終って野田駅前にある居酒屋さんへ。最近行きはじめたのだが、顔を覚えてもらっているようで嬉しく思いながらセットされたテーブルに着く。ところが今日は最後にもっと嬉しいことがあった。会計を見るとえらく安いのだ!? なんかおかしくないと聞くと、なんとたまたま今日が開店5周年ということで飲み物がオール100円であった。ラッキーということで、3人で喜びながらお店を後にした。
少しほろ酔い気分ではあったが、野田駅ホームでY先生との話の中である企画を思いつく。少し興味を持っていただいたようなので「ぜひ!」とお願いをしておく。実現すればおもしろいかな。
7月14日(金)~7月17日(月)
14日はメールとFAXチェックで仕事を立ち上げるが、ゆっくりする時間もなく神戸方面へ移動し、学童疎開本の編集会議に出席。全体構成、ページ数、スケジュール、そしていくつかの原稿についても意見交換。2週間後の〆切に向けてグイと動き始めた。
海の日を含めた3連休は猛暑ということもあり外出は散髪と整骨院ぐらいで、控えて過ごす。
休み明けの出版の打合せに備えて分厚い論文集に目を通しておく。最低限の内容理解はできたと思うので、まあこれで良しとしておこう。
ガレージ横の家の外壁部分に蜂の巣を発見。気が付かずに過ごしていたが、見つけると気になるもの。小さなものだが蜂が群がっているようで、駆除方法をネットで調べていく。駆除作業は夜9時以降がいいそうなので、とりあえずは殺虫剤を購入しておくが、さていつ作業をしたものか。
7月13日(木)
本日もメールとFAXチェックで仕事を立ち上げる。
まず出庫はAmazon、日販、トーハンなど通常取次分。来月の日本作文の会大会販売用の委託品も合わせて送る。
日本母親大会用の広告が上がって来たので、送っておく。こういう送信メールは先方さんから受領確認メールをいただかないと不安になるのだが、すぐに確認メールをいただいたので安心する。ありがとうございます。
アイヌ本②のグラビアページの編集作業。意外と作業に時間がかかってしまったが、本の冒頭にこういうカラー頁があると読書意欲をそそると期待している。
尼崎の著者氏から週明けの打合せメール。それまでに関連資料に目を通しておかなくては。
久々に出版状況クロニクルのサイトに行ってみるが、しばらく覗いていなかった間にも、出版業界の退潮ぶりはますます加速しているようだ。有名老舗書店の廃業、大型チェーン店の経営悪化と閉店、取次間のチェーン書店丸ごとの帳合変更、日本書店組合加盟店の激減・・・。個々の書店や出版社の状態はいろいろだろうけど、業界全体として先は見えない。
40年以上購読し続けてきた朝日新聞の状態が酷い。同サイトの記事によると同紙の直近の販売部数は360万部(前年比50万部減)とのこと。感覚的にはこの10年間で半減したイメージか。その10年は期待されるジャーナリズムとしての役割を放擲し続けてきたという印象で、まさに自壊の姿。朝日だけの話ではないけど・・・。
7月12日(水)
2日間の禁酒デイを乗り超え(笑)、ようやく今夜はビールが飲めることを楽しみに本日もメールとFAXチェックで仕事を立ち上げる。
出庫はAmazon、新日本、楽天、直販書店など。
終って夕方の理事会のための文書作成。
上脇さんの再校をチェック、追加事項をまとめてデータ屋さんへ修正依頼をする。表紙も少し修正が必要。
暑さもあり、理事会は早めに終了。
18時から大阪社保協の介護保険学習会Zoom視聴。このテーマで新刊を出す予定。来年の制度改定で介護保険はますます使えなくなる。具体的にはそれぞれの自治体への働きかけが運動の大事なポイントになるが、軍拡最優先のお金の使い方は本当に酷いものだ。
さて帰りますかということで野田駅に向かうと、なんと環状線が事故で止まっている。地下鉄の振り替え輸送をしていたが、大回りルートになるので面倒くさいということで、昨日に続けて大阪駅まで歩く。約30分かかったが、おかげで本日も歩行数は昨日に続けて1万歩越えとなった。
7月11日(火)
今日も朝から暑い!
本日もメールとFAXチェックで仕事を立ち上げる。
出庫は~著者注文、新日本図書、生協サンプル本など少な目。
まだ未稿部分があるが、アイヌ本②の原稿整理を終え、データ屋さんへ送る。来週末明けを目途に組版をお願いしておく。
上脇氏からの再校が戻って来る。いつものように赤字部分を別にテキストで送ってもらっているので、あとの作業がやり易い。と言っても今日は時間がないので明日の作業となる。
明後日の学童疎開本の編集会議に備えて準備をしておく。出版に向けてこれで加速度的に捗るでしょう。
退社時、野田から大阪駅まで歩くことにする。本日の歩行数は12300歩。家に帰ると汗、汗、汗。素早くシャワーを浴びて一息つく。
NHKのドラマ「やさしい猫」がいい。入管問題をテーマにした中島京子氏の詳細な取材に基づいて書かれた小説が原作。これからの日本は移民社会化が避けられないのに、それを頑強に拒もうとする入管とそれを背後で支える政治の闇。ドラマはどう終わるのか・・・。
7月10日(月)
うーん、朝から暑い!! 日陰を探しながらの駅まで出勤となる。
今週もメールとFAXチェックで仕事を立ち上げる。
今日の出庫は、Amazon、日販、トーハン、集会委託など。
秋の母親大会資料集に掲載する広告原稿を作成、データ屋さんへ送っておく。
ある本が生協の共同購入企画に採用されたとの連絡。ほお、こういう本がですか!とちょっとびっくりしながら商品カタログ用の原稿などを送る。生協企画はかなりの久し振り。どれだけ注文があるかわからないが、一応在庫を確認しておく。
アイヌ本②の原稿整理作業。これで本文関係はほぼ終了となる。明日、データ屋さんへ入稿予定。
コロナ前に住んでいた地域の自治会から夏祭りの宣伝物の作成の依頼メールが来た。つい先日、もう必要ないと判断して関係データを削除していたので、どうしたものかと迷ったが、データ屋さんに残っていたので、引き受けることにした。メールによると、自治会に若者の新加入が無い、高齢者ばかりの実行委員会になっていなど、自治会運営はどこも同じように厳しい様子になっているようだ。
夕方は整骨院に寄っての帰宅となる。
7月9日(日)
今朝もYoutube動画ストレッチから始めていく。これはなかなか効果がありそうだ。
朝ごはんを食べながらTBSのサンモニ。安倍晋三元首相銃撃事件1周年特集的内容。
昨日に続いてアイヌ本②の原稿整理をしていたら、学習会販売用の本が届いていないとの電話がかかってきて狼狽える! 今日の午後、会場は香川県。確か先月末に発送したハズだがと思いながらも、はっきりしたことは思い出せない。自宅にいるので手元に何の資料もない。うーん、どうだったかな・・・? 配達伝票の控えの番号も分からないし。届いていなかったらごめんなさいとうことで、電話を切ろうとしたら、「あっ、ありました、ありました! ごめんなさい、すみません」とのお返事。やれやれ、疲れましたわ。
頼まれごともあったのでちょいとバザーに立ちよる。雨の中、まずまずの人入り。議員さんに勧められて涼しそうな上下の部屋着を100円で購入。タグを見るとディズニー製品ではないか。こんなに安くていいのか?
さて来週は追い込み仕事が詰まっているが、どうなるのか・・・。
7月8日(土)
今朝は起きてからすぐにYoutubeのストレッチ動画を見ながら一緒に背中を伸ばす。
シャワーを浴びて録画ドラマを見ながら朝ごはん。今夏の新ドラをチェックし、WOWOW映画の予約を何本かしておく。
10時から大阪社保協の国保Zoom学習会に参加するが、わが家の電波状況が不調のようで、音声が聴こえない。あきらめてレジュメと資料を眺めていく。
アイヌ本②の原稿整理作業を行っていく。写真の挿入、表記、見出し、著者肩書きなどチェックしていく。
相方の指示で地元後援会のバザーの準備手伝いも少し行う。明日は雨だがお客さんは来るのか?
近刊の上脇本の表紙カバー修正版が送られてきたので確認、何点かの候補から1点に絞り込んでおく。著者ご本人的には抵抗もあるかもしれないが、まあこういう表紙もあっていいのではないかと思う。
夕方、映画を1本観て、龍蔵アレンジの「カントリーロード」の練習。だいたいのイメージは掴んできた。
夜はまさに地元中の地元が取材されたバラエティ番組の吹田特集を笑い転げながら観てしまった・・・。
今日は安倍元総理が銃撃死去され1年目の日。ニュース番組はその関連で溢れている。事件によって図らずも日本の政権が統一協会に長年にわたり深く汚染されていた実態が明らかにされつつあったが、しかし時間が経つにつれて国民の関心は薄れていく。統一協会と深い関りのある安倍派は相変わらず岸田政権に大きな影響力を行使、それを忖度した政治がまかり通り、マスコミ・ジャーナリズムの粘り強い監視と国民へのアピールも弱い。統一協会の解散請求は行われるのかどうかも不透明。あらためて今日を一つの節目として、事件以後次々に明らかになった統一協会の反社会的実態の数々を基に、深い闇を追及していく姿勢を確認したいと思う。
7月4日(火)
梅雨時とはいえ、今朝は朝から日差しも強く、日陰を探しながら駅へと向かう。
今日は大阪駅で環状線を逆周りに乗車して玉造へ。
とあるビルに向かうがまだ朝早いためシャッターが下りた玄関前でしばし時間待ちしていると、大阪民報の小西記者とばったり。本づくりのことで少し話をし、8時10分ごろにようやく玄関ホールに明かりが点き、人の気配もあったので、窓をコンコンと叩いて気づいてもらい中へ入る。用事を済ませて玉造駅から内回りで野田駅に到着。
メールとFAXチェックで仕事を立ち上げる。
出荷は日販、トーハン、Amazonなど。
今朝ほどばったり出会った小西さんの街道本の原稿確認作業に取り掛かる。何年も時間をかけてコツコツ取材された原稿。ぜひともいい形に仕上げたい。
データ屋さんから再校ができたとの電話で、ああ、そうでしたねと思い出し、梅田方面へと出かける。支払と再校受けの後、街道本のサンプル原稿を渡して基本パターンの作成を依頼する。うまくページ内に収まれば「いいのだが。
ということで本日はそのまま帰宅となった。
7月3日(月)
割と晴れ日和が多いような気がするが、梅雨明けまではまだしばらくかかりそうかと思いながらの週明け月曜日。本日もメールとFAXチェックで仕事を立ち上げる。
週末に送られてきた原稿関係をまず整理しておく。
出庫はAmazonと集会販売委託分と少な目。
しばらく時間が空いていたアイヌ本②の原稿を確認しておく。
印刷所、データ屋さん、広告関係など支払計算を4カ所分。おかげさまでなんとか今月もクリアできて一安心。
長い間懸案だった企画の原稿が入って来る。わが社としてはカラー仕様のちょっと大きな企画本。今後、時間をかけて仕上げていくことになる。
「女性のひろば」誌8月号に『私たちは黙らない!』の紹介記事。
さらに同じ号に、黒田さんのマイナ保険証寄稿と『何が問題かマイナンバーカードで健康保険証廃止』本の紹介もされているではないか! いやいやいや~!
あとは取次への請求書などして、3週間ぶりの整骨院へ。
前回から新しい施術担当の人になった。体の大きな方なので、グイグイとこれまで以上に気持ちよくしてもらう。
特に痛みを感じる場所はないけど、このわが身の硬さを何とかしなければということで、次回は1週間後に予約を入れておく。
7月1日(土)~2日(日)
今年も半分が終わったこの週末ではあったが、原稿送付、集会販売、見積など仕事関係のメールが数件送られて来る。申し訳ないが内容確認は週明けでご了解願います。
大阪革新懇の集会「緊急鼎談 『維新」のリアルと公共の再生を!』をYoutubeで参加視聴。市民が足元から声を上げること、その力でいい仕事をする自治体、首長を求めていくことから始まる。
夕方、来客があるということで家の中を掃除する。が、突然のキャンセルとなる。まあ、掃除ができたので良しとしよう。仲介者の対応が少し拙くはないか。
バイデンが「日本の軍事費倍化は、私が日本の指導者に3回も会って求めたものだ」と発言したことに対して、日本政府が「それは誤解を招き得るので撤回してほしい」と申入れ、米側が「日本政府自身の判断によるものだった」と訂正したことが明らかになっているが、2日の「しんぶん赤旗」がなぜこんなおかしなことが起きるのか、その大本の背景について書いている。
①GHQ占領期に対米従属のDNAが注入された。GHQの命令には絶対服従、岸信介らの戦犯復帰とその後の利用で日本の支配層は米国にノーと言えなくなったこと。
②日米安保条約の締結。特に全土基地方式と日米地位協定(日米合同委員会の絶対的権限)。
③日本の支配層の世代交代の中で意識も変わり、全国民的に米国支配・米国追従が当然のこととされ、米国の日本支配の永続化が当然視されている。
これでは日本の指導者たちは何があっても米国に声を上げることはできない。
約400人が死亡した長柄橋
大阪大空襲の凄まじさを伝える代表的モニュメントの1つが長柄橋南詰めの慰霊碑だ。1945年(昭和20)6月7日、大阪市東北部を中心に第3次大阪大空襲に見舞われた。米軍資料によると409機のB29と138機のP51ムスタングによる空襲だった。1万人近い死傷者と6万戸の被災家屋を出し、20万人を超える人々が家を失った。爆撃と火災からのがれるため大勢の人が淀川河川敷へ避難した。当時は大きなビルもなく、長柄橋の下は恰好の避難場所だった。
長柄橋南詰めにある空襲慰霊碑
ところがそこに1トン爆弾が投下され、橋の半幅が落橋。さらに激しい機銃掃射があり、約400人が死亡した。橋脚に残された弾痕は、戦後も「目に見える」戦争の傷跡として貴重なものだった。
新しい橋に造りなおすことになり、81年9月「旧長柄橋の空襲跡の保存を求める連絡会」が結成され「少なくとも橋脚の現状保存の方途を講じた上に、弾痕の由来を記した説明板を立てること」を求めて大阪市土木局や近畿地建大阪事務所、大阪市議会などに陳情していた。市の土木局は「治水上、現地保存できない」として、1m四方のコンクリート塊だけが「生き証人」として慰霊の観音像の隣りに移し替えられた。また、一番近い豊崎中学校の校庭にも保存され、被爆50年の95年8月、その橋脚片に銘板がつけられた。
慰霊碑の横に弾痕がある橋脚の一部が移設されている
豊崎西公園の時計塔の銘鈑には「昭和20年6月、このあたりは第2次世界大戦により焦土と化しました。焼跡の瓦礫の中で昭和21年9月、明日へのまちづくりを目指して大淀地区復興土地区画整理事業が起されました…」と記されている。公園北側の大阪市営住宅の東側には、ひっそりと「豊崎第六尋常高等小学校跡地」の碑が建てられている。空襲で小学校は全焼し再建されることなく廃校となった。
豊崎西公園の時計塔の銘鈑「甦るわが街」には「昭和20年6月、この辺りは第2次世界大戦により焦土と化しました。…」と記されている
豊崎第六尋常高等小学校跡地の碑
豊崎中学校の校庭にある旧長良橋橋脚の弾痕、銘板には「アメリカのB29やグラマン約250機が来襲。逃げ場を失って旧長良橋下に避難してきた人々に、直撃弾をあびせた。400人近い市民が重なりあって死んだ」と記されている
空襲を生き延びた銀杏の大木
天五中崎通商店街にあるカラト金物店の床下には、今も防空壕が残っている。焼け残った古い家にはたいてい防空壕があったというが、現在は貴重なものだ。
カラト金物店に残っている防空壕
街中を車で走っていると「なんで?」と不思議に思う光景がある。北区の神山の交差点を南へ野崎公園の西側あたり、西天満までの間にイチョウの大木があり、それを避けるように道路が左右に分かれている。よく見ると「龍王大神」と書かれた祠や朱色の鳥居もあり、これが神社であることがわかる。「大融寺」とも書かれているとおり、かつてはこのあたり一帯が大融寺の敷地だった。戦災復興の区画整理や道路拡幅で伐採しようとしたが、工事に従事した人たちがことごとく変死して伐採は中止され、ヘビの神様である龍王大神をまつるようになったという。昔から「巳さん」と親しまれ、イチョウは空襲で焼けたものの再び息を吹き返し、今も健在だ。
空襲で焼けた「龍王大神」のイチョウ
たくさんの人が訪れるお初天神(露天神社、北区曾根崎2丁目)にも戦争の傷跡がある。本殿の前の一対の石柱のどちらにも弾痕がある。一時期、柱に説明文が貼られ「米軍グラマン戦闘機による機銃掃射弾丸跡」と書かれていたが、戦闘機はP51ムスタングという説が有力だ。
戦時中、戦闘機の機銃掃射に逃げまどい「操縦士の顔が見えるほどだった」という体験を何人もから聞いたことがある。ただし戦闘機の機種まで庶民が知る由もなく、戦闘機はすべて代名詞のように語呂のいい「グラマン」と呼んでいたというのが真相のようだ。
お初天神の石柱に機銃掃射の弾痕がある
天六ゴーストップ事件
陸軍兵と巡査の喧嘩がきっかけで陸軍と警察の大規模な対立に発展した事件。「ゴーストップ」とは信号機を指している。満州事変後の大陸での戦争中に起こったこの事件は、軍部が法律を超えて動き、政軍関係がきかなくなるきっかけの1つとなった。
1933年(昭和8)6月17日、曽根崎署の交通課巡査戸田忠夫は、天神橋筋六丁目交差点の交通整理に当たっていた。戸田は阪急梅田駅前が勤務場所だったが、同僚の病欠でこの日だけ天六に回され、緊張気味で職務に従事していた。往来の人、車とも不慣れのため信号無視が多く、交差点の中央に巡査が立ち、整理しなければならなかった。十丁目筋(天神橋筋商店街)に通じる横断歩道の中央に立ち「さっさと横断しなさい」と呼びかけた。
そこへ、交差点の北東角電停で堺筋線の市電を待っていた兵士が信号を無視して飛び出し、やってきた市電めがけて駆け寄る。「危ない。こら、止まらんか」戸田は大声を上げて追いかけた。
兵士は陸軍第四師団歩兵第八聯隊第六中隊所属の中村政一一等兵。厳しい演習を終え、久しぶりに一泊二日の休暇。この日、朝7時半ごろ法円坂の兵営から現在の東淀川区小松の実家に戻り、母親から小遣いを渡され、新世界へ遊びに向かっていた。
2人のいざこざはエスカレートし、たちまち交番の周りには、「大変やぞ。お巡りと兵隊のけんかや」とやじ馬が殺到する。誰かが大手前の大阪憲兵隊に連絡し、伍長(下士官)がサイドカーで駆けつけ「貴様ら衆人環視の中でなにしとるか」と一喝。中村を引っ張っていき、やじ馬も解散した。午後から交代した戸田は曽根崎署に戻り上司に報告する。「そら、気の毒やったな。お前に落ち度はない」と慰められ、胸をなでおろした。ところがこれが大事件に発展する。
午後2時15分、難波大阪憲兵隊長名で「あれが軍服を着ている者に対する警察官の態度か」という厳重な抗議が出された。この日、第4師団の井関隆昌参謀長は友ヶ島へ魚釣りへ、曽根崎署の高柳博人署長はお忍びで長良川へ鵜飼い見物へ行って双方不在だったため、話し合いの機会が失われた。第4師団では、井関参謀長を飛び越えて師団長の寺内寿一(寺内正毅大将の息子で短気者として知られていた)の耳に達した。
警察側は穏便に事態の収拾を図ろうと考えていたが、6月21日には事件の概要が憲兵司令官や陸軍省にまで伝わり、最終的には昭和天皇の耳にまで入ることとなった。寺内は、最初は職責を果たしていない井関に怒りをぶちまけたが、やがて事件そのものを本気で怒り出したという。
6月22日、井関大佐が「この事件は一兵士と一巡査の事件ではなく、皇軍の威信にかかわる重大な問題である」と声明し、警察に謝罪を要求した。それに対して粟屋仙吉大阪府警察部長も「軍隊が陛下の軍隊なら、警察官も陛下の警察官である。陳謝の必要はない」と発言した。6月24日の第4師団長寺内寿一中将と縣忍大阪府知事の会見も決裂した。
東京では、問題が軍部と内務省との対立に発展する様相を示す。荒木貞夫陸軍大臣は「陸軍の名誉にかけ、大阪府警察部を謝らせる」と息まいたが、警察を所管する山本達雄内務大臣と松本学内務省警保局長(現在の警察庁長官に相当)は軍部の圧力に抗して一歩も譲らず、謝罪など論外、その兵士こそ逮捕起訴すべきとの意見で一致した。
内務省は「官庁の中の官庁」といわれる強大な権限を誇り、内務官僚たち矜持は高かった。事件の処理に追われていた高柳署長は疲労で倒れ入院し腎臓結石で急死した。8月24日、事件目撃者の一人であった高田善兵衛が、憲兵と警察の度重なる厳しい事情聴取に耐え切れず、国鉄吹田操車場内で自殺、轢死体となって発見された。
最終的には、事態を憂慮した昭和天皇の特命により、寺内中将の友人であった白根竹介兵庫県知事が調停に乗り出した。天皇が心配していることを知った陸軍は恐縮し、事件発生から5カ月目にして和解が成立した。
11月18日、井関参謀長と粟屋大阪府警察部長が共同声明書を発表し、20日に当事者の戸田巡査と中村一等兵が会い、互いに詫びたあと握手して和解した。内容は公表されていないが、警察側が譲歩したというのが定説だ。
事件の背景には、当時の大阪の政・財界が軍の戦争拡大方針に反対し、非協力的だったことがある。ワシントンの軍縮会議(21年)に従い陸軍部隊の第2次整理が行われた23年、陸軍省は軍縮否定の演説会を大阪で開いた。参謀本部から、後に日本の最後の陸軍大臣となった下村定、満州事変陰謀に加担する建川美次ら若手将校3人が乗り込み「軍縮はおろか、軍拡でもしなければならん時代だ」とぶち上げた。ところが、関西財界を牛耳っていた〝雷親父〟平生釟三郎などは「陸軍がそんな考えを持ってんのんやったら、こら、いよいよ軍拡に反対せないかん」と宣言。演説会が逆効果に終わり、陸軍首脳部は、大阪の第4師団に大物を据えて「意思疎通」を図ろうとする。その2番手として32年、寺内寿一を大阪方面の第四師団長に起用してにらみを利かせた。
参考文献:『実記 百年の大阪』(読売新聞大阪本社社会部、1987年)など
社会福祉のシンボル北市民館
18年(大正7)に富山県魚津で起こった米騒動が全国を席巻し、大阪では米騒動の収拾のために米廉売資金が集められていた。その残金を府と市で折半したそうで、府では発足したばかりの方面委員制度のために利用し、市では「中産階級以下の娯楽機関として市民館創設資金」27万7千円弱が市に指定寄附されたのを受けて、21年6月に天神橋筋6丁目交差点東側に開設されたのが大阪市立北市民館(当時は市立市民館)だ。
鉄筋コンクリート4階建てで、地域社会の福祉を図る公設セツルメントとして、初代館長志賀志那人の実践的運営により、大阪市社会事業の拠点となっていた。82年12月31日閉館を迎えるまで62年間にわたって、大阪だけでなく全国の社会福祉界に歴史的シンボルとして存在していた。
現在は大阪市立住まい情報センターが建ち、8~9階の「大阪くらしの今昔館」がある。1階に大阪市立北市民館の模型が展示されている。
6月27日(火)
暑い。今日の大阪は31℃まで気温が上がった。
メールとFAXチェックで本日の仕事を立ち上げていく。
出庫は、Amazon、トーハン、直販、通販など。
新刊の初校が著者から戻って来たので内容を確認しながら整理して、終わったところでデータ屋さんへ修正依頼として送っておく。
明後日編集会議のある学童疎開本の基本組サンプルが送られてきた。いくつか修正依頼を返しておく。
『私たちは黙らない!』の書評を「全国商工新聞」(6月19日)にも載せていただいた!ありがとうございます。
今週末で今年も半分が終わりとなるが、今年の出版点数はまだ4点。なんとか月イチペースに戻したいけど、まあいろいろあっての年内予定を確認するとあと10点というなかなかタイトなスケジュールになりつつある。
もしかしたらこれに緊急出版なども入って来る可能性もあるが、大丈夫なのだろうかと自問する。
どうやらこの夏も結構ハードな季節になりそうな見通しだ。