ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

花祭り

2005-04-09 | 考えたこと
花祭りというのは、
お釈迦様の誕生パーティーのこと。

花々が美しく咲き乱れる時期にある、
お寺としては珍しくオメデタイ行事だ。

決してフラワー・クイーンとかいう美女を
山車やオープンカーに乗せて見世物にする行事ではない。


fffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffff

土手の菜の花。
菜の花の時期には
世界中が菜の花で埋め尽くされればいいのに、
と思う。
紛争がなくなるんじゃないかと思う。
気が遠くなりそうにいい匂い。
あのにおいに包まれていると、
死んでもいいような気分になる私って、
アブナイ?

fffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffff


実家の花祭りがなくなってしまったのは、
子供の数が減ったせいと、
儲からないから母がやめさせたかったせいがある
と思っている。

近所の子供たちが 実家の寺に集まってきて、
東南の角の縁側に出した誕生仏に 甘茶をかける。
そのあと 甘茶を飲ませてもらえる。

誕生仏。
右手で(確か)上を、左手で下を指差した、
赤ちゃんのお釈迦様だ。



「お寺の子に生まれて、ソンした。」と私。
「なんで?」と母。
「花祭りの時に、
 よそんちの子が何杯もおかわりしても、
 あたしだけ おかわりさしてもらえなかった。」
「そーだよねー。」これは、姉。

そんな一こまを 未だに覚えている。
そのあとの母の言葉がショックだったからだろうか。



「あれはなー。
 おめらは ちっちゃくて 
 知んなかったかもしんねげど、
 サッカリンがへえってたんだ。」

だから、他所の子には おかわりをあげても、
自分の子には おかわりを許さなかった。

目連さん(釈迦の十大弟子のひとり)のお母さんも
我が子には良い母でも それ以外の部分では
善人ではなかったので、
地獄に堕ちたという。

(そのお母さんを地獄から救うために
 目連さんが始めたことが、お盆の起源。)

おっかさん、地獄に落ちちゃうよ。



チクロという甘味料が身体に悪いからと
使用禁止になった頃の思い出。 

いいわけ

2005-04-09 | なんでもないこと
茄子のトゲが右手に刺さった。
そのままにしておいたら、一日経って痛みが増した。
亭主に抜いてもらおうと思いつつ一日経った。

右手がそのままのうちに 
暗がりの玄関先の段差で
足をひねって ころんで 左手をすりむいた。

これが、昨日の事。
可愛そうな、私の左手(術側)。



消毒したらヒリヒリもとれて、キーボードを叩くのに
何の支障もない。

どうしても投稿したい記事があったのに
どうもうまく繋がらない。
すまいるさんへのお返事も 消えてなくなった。

新規投稿も 画像のアップロードも うまくゆかず、
諦めて寝る。
就寝前の体操は、サボった。



今朝起きたら 返事は載ってるし(ただしひとつだけ)、
画像は 同じものが3つもアップロードされてる。

お休み前の夜は 若者といわず、
明日の朝を気にする必要もなく 
ゆったりネットに繋がっている人が 多いのだろう。



例年 今の時期は 忙しい。

入学、進級の時期にかまってやれないせいか、
子供たちは 一週間ぐらい 情緒不安定が続いたものだった。

下の息子も高校生、
かまってもらいたい年ではなくなったが、
風邪を引いてしまった。



ブログ巡りの旅も好き。
でも 今 しないといけないガーデニングも。

手袋つけて、仕事の合間に、
今日も頑張ろう。

白いヒアシンス

2005-04-07 | いろんなもの
長い長い東の境界線の
北の果てのヒアシンス。
植えっぱなしで もう何年たったろう。

次々に芽を出す植物、花開く植物。
この時期は 嬉しくて嬉しくて
ウキウキしてしまう。
どうか 冷たい雨が 降りませんように。
冷たい風が 吹きませんように。

中年女ふたり旅

2005-04-05 | 考えたこと
整体に行って、針灸に行って、
そのあと新宿で待ち合わせ。
姉とふたりで下諏訪温泉に行ったのは、7月下旬。
二泊三日。
義兄が月遅れのお盆で忙しくなる前、
息子の期末テストや通知表などが済んだ後にした。


eeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee

このビオラには、‘ソルベ’と名前がついていた。
‘ソルベ’。
確か、シャーベットのことでは なかったかしら?

eeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee

「お姉ちゃんがねぇ。
 あたしと一緒に温泉に行きたいんだって。」

何度目かに
「行きたいねぇ。」の話をした時に、姉は
「あんた、ほんとに、行けない?」と聞いてきたのだ。

行ける筈、ない、と私は思っていた。
そうしたら、亭主に言うと、
「行って来いよ。
 お姉ちゃんとなら。」
という返事がすぐに返ってきた。



びっくりした。
心配でもあった。
私が家を空けるなんて、入院でもしなけりゃ
無理だと思っていたので。

いや、入院したから、
家族に(つまり、亭主に)免疫ができていたのか?

加えて、私の入院中&退院後の 姉の働きに
恩義を感じている亭主には
姉の要望は 絶対的に‘善’であり、
執行されるべき最優先事項である、
という雰囲気の、
「行って来いよ。」だった。

これは、行かねば。
今 行かないと、次、いつ行けるかわかんないし。



行き先は、私が要望を出して決めた。
姉は、行ければどこでもいいそうなので。

諏訪神社に行きたい(なんとなく)。
信玄の関係の史跡があったら(これもなんとなく)。
バラクラ・イングリッシュ・ガーデンというのが
どっかにあるはず。
マリーローランサン美術館が近かったら、そこにも。

義兄が作ってプリント・アウトしてくれたのは、
それらが全部含まれたコースだったけれど、
諏訪湖のほとりの温泉に二泊して、
ホテルの周りを散策する、という、
普通の人にはつまらなそうなコース(とは呼べないか?)を 
姉と私は選んだ。

(蓼科は、今回とは別個に、また行かなくちゃ!)



いよいよ明日は温泉、という前の晩、
姉は
「心配になってきちゃった。」
と電話してきた。

閉所恐怖症ぎみ。
対人恐怖症ぎみ。
そして、姉は時々 パニック症候群みたいになるのだという。
「行こうよ。」
「でも・・・・」
「行こうよ。」
「・・・・・・じゃあ、とりあえず、新宿まで行ってみる。」

行こうよ。
だって、この冒険、私の7月の挑戦にするんだもの。
行ってきたら、いつもの掲示板に
「私も行って来たよ!」って報告するんだもの。
とは、言わなかったけど。

当日 午前、 
恵比寿の整体師のところにいる私の
めったに鳴らないケータイが鳴った。

まだ家にいる姉からだった。
「まだ、なんか、不安でさあ。」
「え~~っ。」

そんなあ。
荷物もしっかり デイパックに詰めて、
手ぶらで歩ける用意をして出てきているのに。
「おいでよー。行こうよー。」
「じゃあ、新宿まで。」

そういえば心配性だったっけ?
 
新宿で会った姉は 
「ここまで来たら 腹が据わった。」
とかなんとか言って、行く気になっていた。
よかったあ。



それは、本当に、のんびり・ゆったりした旅だった。

温泉もよかった。
最上階の温泉は 見晴らしもいい。
諏訪湖が少し煙っている。

混んではいない。
私は今回、タオルで胸を隠さずに 
ぺたぺたと歩き回った。
露天風呂も 気持ちが良かった。

姉は露天風呂で出会ったオバサンと言葉を交わす。
「姉妹で温泉、いいねー。」
「ええ。でも、今回が初めてなんですよ。」
「これまでは 子供が小さかったり、
 なんだかんだで、忙しくって。」
「そうだよねー。忙しいよねー。
 そんでも、姉妹で来れるのは、いいよねー。」
「大きい方が、妹なんですよ。」
これは姉のモチネタ。

ホテルに用意された水は霧降高原からの湧水で、
とっても美味しい。

一夜明けて、朝湯に入った後、
美味しい水を水筒に分けてもらい、
(この時も姉はホテルマンにモチネタ披露。)
市内循環バスにのって 諏訪神社へ。

巨木が何本も立っていて、そんな中にいると、
人間がちっぽけなものに思えてくる。

平日とはいえ観光客が他にもいて、
人目を少しだけ気にしながら、
巨木に抱きついた。

大地の、生物の、地球のパワーを分けてもらえそう。

へんてこオバサン二人組。



小奇麗な店を見つけてお昼にしていたら
帰りの循環バスが来る時刻。

「どうする?」
「ゆっくり食べよ。」
「そうだね。」

ゆっくり食べて、タクシーで戻る。

最近あちこちで見かける、ガラス工房へも行った。
ガラスの美術館もある。
姉と私は 顔は似ていないけれど、
趣味は似ているのを再確認。

お土産を物色するのは、私。
「写真撮ろう。」というのも、私。
姉は 心のフィルムに 焼き付けている。



明るいうちにホテルに帰り、
最上階のお風呂へ。
気になっていたフット・マッサージを覗く。

だれか、ひとり入ってる。
椅子はふたつしかない。
女性ふたりが マッサージをしてくれるみたい。

姉は あまり乗り気ではなさそう。
「あたし、やったことないもん。」
私は 一度はやってみたいと、興味津々。
「あたしも、やったことないのよ!」

「じゃあ、ね。
 お風呂から出た時に、空いていたらね!」

そしたら 空いていたので、ふたりで椅子に座った。
オンナふたりの、初体験。
ふたりだからこそ、できる挑戦。
ちっぽけでも、挑戦。

いい気持ちで、うとうと。
そんなに心配する事、なんにもないや。

一度 私が痛さのあまり「ひーーーっ」と飛び起きた。
一番ビックリしたのは、私の足をマッサージしてくれてた人。

姉は気づかなかったらしい。
寝ていたので。



パーキンソンで ゆっくりゆっくり動く姉と
関節痛で ゆっくりゆっくり歩く私。
ペアとしては、上出来の珍道中。

上野で別れる時、
私を見送ろうとする姉。
こんな時には しっかり者のお姉さんになる。

「今回、平気で行って来れて、
 自信が付いたから、また行こう。」と頼もしい。
姉を心配する妹は 好きではないかもしれない。
「またね。」と私が先に電車に乗った。

姉のこと

2005-04-04 | いろんな人
姉と私は、四つ違い。
小さい頃は、姉にかなうものは、
何もなかった。


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これは 色の違いがくっきりとしたビオラ。
他の花との色の組み合わせが
思ったより難しいが、
おサルの顔みたいで かわいい。

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姉はとっても怖がりだった。
お墓が怖い。
暗がりが怖い。
火の見やぐらの半鐘(!)の音が怖い。
パトカーのサイレン(ウ~~ウ~~だった)が怖い。

ひとつには 子供を操る手段として、
脅してしつける大人がいたこと
(家族とは限らない)。

もうひとつには 梅図かずお大先生の、
「へび女」や「くも少女」などの
こわ~~~い漫画が大好きだったこと。

それにしても、お寺の娘がお墓が怖いと、不便。

姉はいつも遠回りをして家に帰っていた。
お墓が見える道は怖いから。



4歳違うと、ケンカにならない(ハズ)。
プロレスごっこをしても、
(力道山とか、ジャイアント馬場とか?)
妹が負けたり痛みを感じたりして、
泣き声が終了のゴング代わり。

叱られるのは、いつも、おねーちゃん。

妹(私)が 小さい頃 身体が弱かったから、
母親は 妹にべったり。
「私は橋の下から 拾われてきたんだ。」
とかなり悩んでいたという。

そして、かなり意識的に 妹をいじめた、
と大学生になってから告白された。



それまで 顔を合わせればケンカしていたのが、
姉が大学に入り、都内のアパートに引っ越してから
急に仲良くなった。

姉の恋人(現・夫)と三人で 
館林につつじを見に行ったのは
私がまだ高校生の時だったと思う。



姉妹がいてよかった、と本当に思うようになったのは、
大人になってから。

なかなか会えないけれど。



姉は父親似、私は母親似。
姉は私より10センチ背が低く、
私と違って丸顔で、
私と違って目が大きく、
私と違って二重もはっきりしている。
私と違って、小柄で可愛い。

昔から、私の姉と会った人は 口を揃えて
「お姉さんて、美人ね!
 全然、似てないのね!!」
と言ったものだ。



姉は私と違って 小さい頃から ハキハキした子で、
積極性、二重丸。

私と違って 男勝りで、
男の子とケンカして泣かせた事も
一度や二度ではない。

私が中学に入った時、
もうそこには在籍しない姉の亡霊がまだあって、
「あの○○の妹か。」
とよく言われた。
 
先生にも、先輩にも。



気の強い母には、
姉のように 打てば響くようなタイプが
良かったらしい。
「オメエはぼんやりしでで、
 薄らばがって言うんだが、
 薄らトンカチって言うんだが、
 なに言ってもひびがねえ。
 おねえちゃんと、違ってなぁ。」
みたいなことをよく言われた。

姉は姉で、
過剰な期待をかけてくる親に応えるべく、
日々擦り切れそうになりながら
頑張っていたらしいのだが。



国立の大学に 入れなかった。
滑り止めの大学にしか合格しなかった。

入りたくなかった大学に入り、
教員免許は取らなかった。

大学でで‘イイヒト’を見つけて
一緒になった。

姉に言わせると、これらは全部
親に対する反乱だったそうだ。



折れた両親は 親戚の住職の紹介で
大きなお寺で結婚式を挙げさせた。

新築したばかりの広間で、
可愛い姉と
当時まだ細かった義兄は
それなりに美しいカップルだった。



義兄はサラリーマンだった。
姉は専業主婦だった。

姪が生まれ、二人目を身ごもった時、
義兄は お坊さんになって
実家の寺を継ぐ決心をした。

私がなかなか結婚しなかったせいもあり、
長女の姉は 責任を感じていたろうと思う。



実家で気の強いオンナ同士、
しょっちゅう母とぶつかりながら、
それなりに苦労をして 生きてきた。

子供は 実家に帰ってから 男の子がふたり生まれた。

父が倒れたのは そのあとだった。

父の仕事を 母と義兄と姉で分担して 
寺と寺の収入とを守った。

だんだん姉は 血圧が高くなった。
父も母も高い。(私は低かったが。)

ストレスは 他人が見てストレスかどうかは
関係がない。
本人がストレスに思うかどうかだ。

姉はストレスに晒された半生をずっと生きてきた。



私が癌とわかる前に、
姉はパーキンソン病に侵されているとわかった。

「温泉にでも、行きたいわね~。」
が、姉の口癖。

2004年7月、
「行きたいわねぇ。」
「行きたいねぇ。」

そんな電話の愚痴・たわごとが、実現した。
姉と二人の熟女の旅。
初めてだった。

亭主の実家のこと

2005-04-03 | 考えたこと
亭主の実家は 
ここからちょうど 私の実家と同じ位の距離と時間。
(車で3~4時間。電車を使うと4~5時間。)
同じ位、ド田舎。
違う所は、私の実家は田んぼに囲まれた平地だけれど
亭主の実家は竹やぶに囲まれた、山の中ということ。
坂道を下れば、
同じような田んぼの風景が広がってはいるのだが。


aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa

いよいよ咲き出した花々。
今年のテーマカラーは黄色にした。
差し色に紫をつかうことにした。
これは 黄と紫の混じったビオラ。
柔らかな色合いが気に入っている。

aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa


亭主の実家の近くでは、
たくさんの杉の木の間を埋めるように咲く
山藤が美しかったり、
道路から家まで くねくねと登る細い道の脇に
蕨が生えていたり、
私には珍しいものがいっぱい。

もっとも、めったに帰省しない。



近くの野山で 亭主はもっぱら虫取りをして
大きくなったと言う。

カブトムシもクワガタも 山ほど取れたのだと言う。

ある年 その山々が 宅地開発されたというので、
亭主は 夏に 日帰り帰省する時に
「よし、今年はお前達に
 パパが昔よく虫取りに行った山を
 教えてあげる。
 いっしょに虫取りをしよう!」
と 子供たちに宣言していた。

ところが行ってみたところ、
山は完全に段々の宅地になってしまっていた。

小さな産土神社の周りだけ 
とり残されたように 雑木が茂っていた。

もっと早く子供たちを連れて来てあげていれば、
とは思うものの、
子供が虫取りをしに 山に行くには、
それなりの成長を待たなければならない。

ようやく息子が山道をひとりで歩けるようになり、
娘ともども 虫取りに興味を抱けるようになった頃だった。

亭主はそれからしばらく 気が抜けたようになっていた。
よほどショックだったらしい。

小さい頃に遊びまわった山が、
すっかり、完璧に!なくなってしまっていたことに。



亭主の実家の庭は 狭いわけでは決してないのに、
庭がないような印象を受ける。

平らな部分がないのだ。
物干し竿があるところまで 
洗濯物が入った籠を持って行くのが、とても大変。
 
物干し竿は、もちろん、義父が切ってきた、
竹。

そして、そのまわりは 自生する蕗でいっぱい。


庭に大きな木がある。
何本も。

亭主が子供の頃、
そのなかの一番高い杉の木に 雷が落ちたという。

子供だった亭主と、義弟と、義父と、
みんな相当驚いたし、怖かったらしい。

義母がひとり、座敷に端然と座っていて、
「さすが、お母さんだ。」
と口々に言っていたら、
義母は実は腰が抜けていたのだという。

その杉の木は 縁側からわずかな距離にあったらしい。



亭主の生まれた古い家が、まだ残っている。
よく雨漏りがしないものだ、と思うくらい、
古くて、オンボロ。
茅葺きの屋根の上に トタンを張ったものらしい。

私たちが結婚した頃には
座敷が一間と 水周りだけは、
増築して キレイで新しく、快適になっていた。

その増築部分も そろそろ傷んできている。

増築部分の瓦屋根の、そのまた上に、
大きな柚子の木の枝が 広がっている。

あれは、聞いた事はないけれど、
絶対 柚子を切らずに済むように増築したのに
違いない。

去年の冬は ぜひ柚子を取りに行こうと思っていたのに、
一度も行けなかった。
残念だった。
柚子酢をいっぱい作りたかったのに。



よくある話だが、義父母も よくものを取って置く。
家の周りは、義父がキチン!と縛ったダンボールなどで
ぐるりと囲まれている。

放火されたら、ひとたまりもないだろう。

去年 義弟一家と 我が家とで 
いっせいに清掃作業にかかって、
だいぶゴミ(?)をなくして、さっぱりした。

この冬は 例年よりずっと冷え込んだに違いない。

暖かな春は 年寄りだけの世帯にも
待ち遠しいものだ。

桜は、まだ 咲かない。

ウチの亭主のこと

2005-04-01 | いろんな人
オトコには 一目ぼれはしないが、
花にはよくする。

これは 昨日 一目ぼれして 買ってきた、鉢花。
白妙菊の色の茎・葉に、
カンパニュラ色の 薄紫の花。

札には‘ニベア’と書いてあったような気がする。



小さいドアだけど、これが我が家の玄関。
一目ぼれでなく、腐れ縁で結婚したオトコが
8年ほど前に 建ててくれた。



やってきた家は 予想以上に古くて、
隙間風どころか、隙間ビュー。

「ねえ。」
私は何度となく言っていた。
「10年経ったら、新しいおウチを 
 建てようね。」

そんなとき なんにも言わずに聞いていた亭主。



その亭主が、ある日 突然
「モデルハウスを見に行こう。」
と言い出した。

半信半疑の私。
「うれしいけど、まさか。」
期待して 裏切られるのがいやだったし。

その数日後には こう言った。
「オレはもう見てきた。」

二人一緒には出かけられないから、
別々に見てくる。



そんな風に始まった、我が家の新築。
「オマエが 10年経ったら 新築しよう、と
 言っていたんじゃないか。」

スイート・テン・ダイヤモンドはもらえなかったが、
隙間風の吹いてこない、
精一杯 大きな家を 建ててもらった。

正直、ダイヤモンドは欲しかったし、
もらえると思っていた。

家は ダイヤモンドよりも高価で、しかも、必需品。
(女と男を産んだので。
 しかも、大きくなってきたので。
 床が 所々 ぬけてきたので。
 時々 雨漏りするようになってきたので。)

本当に建ててもらえるとは思っていなかった。



やる時はやる、そんなオトコ、と言うべきか。