ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

なんで農家は朝が早いか(1)

2005-04-22 | 明るい農村
あれは放射線の順番を 
地下の廊下の長いすで
待っていた時のことだろうか。

にんじん農家に嫁に行った友達が
朝が早くて苦労をしている、
という話が続いていた所へ
私が口をはさんだ。



「近所の私の友達もね。」
結婚したて、最初の妊娠、
気苦労の中で、嫁ぎ先(ウチの、ごく近く)では 
カブを作っていた。

舅・姑が起きて働いている時に、
嫁がグーグー寝ているわけにはいかないと
頑張って朝早く起きていたが、
辛かった。。。

という話。



それを聞いた人が、
「あらー、カブもなの?」
と言った。

にんじんやカブに限らず、
農家は全体に朝が早い。

早いような先入観もある。

けれど、実は、本当に早い。


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写真は まだ寒い頃にシンちゃんにいただいた 
ほうれん草の束。
巨大な束だった!!!

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ほうれん草は 双葉が ひょろ~んと長い。

ひょろ~んと 左右に長いのが 芽生える。

ほうれん草を出荷する時には
畑から収穫してきたほうれん草の山に囲まれながら、
まず 落ち葉や 雑草や ごみを 取り除いて、
黄ばんだ葉や 土や 根、
それに‘ひょろ~ん’の双葉を取り除いて、
根元を揃える。

これを当地では ほうれん草を‘つくる’という。

きれいに‘つくった’ほうれん草をいただくと、
やはり始末がしやすいので、うれしい。



カブやにんじんは、畑から引き抜き、
出荷する前には きれいに洗わなければならない。

野菜に付いた畑の土が
まだ朝露の湿り気が残っているうちにしないと、
きれいに洗えないのと聞いた。

だから、カブを作っているときには
普段よりぐぐっと朝が早くて、キツかった、
というのが、近所の友達の話だった。



聞いた話だから、確実ではないが、
農家が 消費者のわがままに合わせて、
手間をかけているのは、事実。

以前に 『まがりキュウリ』で書いたことがあるが、
かすかに曲がったきゅうりを 選別でハネる。

長ネギも太さによって 等級が分かれる。

なんとも面倒な話だ。

海外の市場で 
観光客が一般の人に混じって買い物をする時、
新鮮な野菜や果物が 
大きさも形もバラバラで売られていて、
しかも味が濃くておいしい、
なんていうテレビ番組を見ていると、
羨ましくて仕方がない。

日本では 見た目はきれいだけれど、
味も香りも薄くなってきているように思っているので。
(どうやら、栄養成分まで 薄くなってきてるらしい。)



本当に 早朝に引き抜かないと カブやにんじんは
洗っても 泥がきれいに落ちないのだろうか?

キッチンがドロドロになるのは、そりゃあ、確かに、
嫌なんだけども。

年寄りたちの畑

2005-04-22 | 明るい農村
息子に「クマ年生まれ」というネタがあるように、
娘には「パパとママが年を取った時の畑」というネタがある。



写真はいつも散歩する土手の下、河原の側の畑地。

黄色い帯は 多分 菜の花、
緑の部分では 多分 牧草を育てている。



一級河川の河川敷の管理は、国土交通省。

自治体が一括して借り上げて、希望した者に貸してくれる。

借りていた人が体が利かなくなると、「もう要りません」、と返す。

こうして 所々 虫食いのように
荒地に戻る畑が出てくるようになって 久しい。

以前なら たいてい 隣の土地の耕作者が引き継いでくれたものなのだが。

我が家のすぐそばの河川敷では 
もう耕作者がいなくなってしまった。



一度耕作をやめてしまった田んぼは、
元の収穫量に戻すまでには 何年もかかるという。

畑だって、こんな荒地になってしまったら、
きっとすぐには 元通りに野菜を収穫できないだろうと思う。

けれど 荒地は 最初は少しだったが、
だんだんに 増えてきている。

日本タンポポが 日本中のあちこちで
西洋タンポポに取って代わられて、
もう元には戻らないように、
これから 荒地が減る事はないのではないだろうか。

そんな気がしてならない。



娘の話というのは、彼女が小学生になった頃かと思う。

私は大きくなったら ‘オトナ’になる、
パパとママは もっと大きくなったら、
お爺ちゃんとお婆ちゃんになる、と
やっとと理解できた頃の話。

「パパとママが お爺ちゃんとお婆ちゃんになっても、
 ウチには畑がないよ。
 どうする?」
と、心配そうに聞いてきた娘。

不安のあまり、泣き出しそうだった。



何の事だろうかと、いろいろ聞いてみると、
知ってるお友達のお爺ちゃんやお婆ちゃんは
みんな畑で仕事をしている。

なのに、ウチには畑がない。

パパとママが年を取っても、
畑がないと パパとママが困るだろう。

そんな可愛い心配をしてくれていたのだ。

今でもからかうと、娘は
「私、あの時、ほんっきで心配してたんだから!」
と怒る。



大いに笑わせてもらったが、
確かに娘の言うとおり、
近所の 娘が知ってる子供たち
(年上、年下、すべての知ってる子供たち)には
お爺ちゃんか お婆ちゃんか または その両方がいて、
本当に全員 畑で仕事をしていた。

土地を(あまり)もってない人は、
河川敷の畑を借りたり、
よそのウチの畑を借りたり、
あるいは 集荷場で仕事をしたり、
とにかくお野菜にかかわった仕事をしていて、

ウチみたいな 純粋な消費者としてしか
野菜とかかわらない家は、ほとんどないのだ。



それが ここ10年ほどで、
畑で働く人口が ぐっと少なくなった。

ジャガイモを作ると美味しいという、
河川敷の畑が
荒地に戻ってきている。

年寄り達が みな もっと年を取って
鬼籍に入ったり、
施設に入ったり、
元気ではあっても 体が利かなくなってきたのだ。

広報誌に「耕作者募集」と載せても、
街中からは離れているせいか、
家庭菜園を作ってくれるという人は 
現れてはいないようだ。



こうして畑地が減って 荒地が増えれば、
少しずつだが 生産量は減っていく。

ぼんやりと暮らしている私も、
未来の農業を心配せずにはいられない。

農業のみならず、食料自給率が上がらない、日本の未来も。

私の顔

2005-04-22 | なんでもないこと
これは、最初に見た時に どっきりとした、
『バガボンド』第16巻の表紙の小次郎の顔。
他人とは思えない!



『バガボンド』(講談社)とは、井上雄彦のマンガ。

原作は吉川英治の『宮本武蔵』。

このマンガの中の小次郎は 
聾唖者として描かれている。

我が家には 1~20巻まで揃っている。



母の言うとおりに鼻を整形していたら、
こんな顔になってたかも。

いや、眉と目の間は もっと離れている。

そう、内田光子、あのピアニストに似てるかも。

だたし、鼻を整形すれば。



美しい顔には憧れるけれど、
整形手術は受けないだろうなあ。