心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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競馬番組を見ています

2018年05月06日 | 母のこと
競馬はやったことありません。← こういう表現でいいのかな。

競馬や競輪、競艇など会場に行ったこともありません。そういうことには興味が無かったのです。
ところが、最近、日曜日に入る競馬のテレビ番組を何度か見ています。きっかけは四月だったかに入った競馬番組をたまたま母のところで見たことでした。母が
「馬ってどうしてこんなに綺麗なんだろうね~」と言いながら画面に釘付けになっていました。そこでわたしもつい画面を見たのです。レースが始まる前の様子を見ていると、その立ち姿や歩く姿が一頭一頭違うことに気がつきます。それぞれの馬を見ながら、母があぁでもないこうでもないと品定め。
わたしも画面に映った一頭の馬を見てなかなかいいなと思ったのです。別にどこがどういいのかってわかりませんけど。

そして頭に浮かんだその馬のナンバーを見て
「このレースはこの馬が一等になる!」と予想したのです。母は母で別の馬を予想。

そしてレースが始まったら、なんとわたしが予想した馬が一等!
母もわたしもキャーキャー。
「お前買えば良かったのに」
「何言ってるの、今頃は売ってないよ」と笑いました。

そんなことがあって次の回、またしてもふたりで見ることになりました。この間は当ったという話で盛り上がり、そのまま番組を見ていました。母は入場する馬の様子を見ては、この馬は落ち着きが無いとか指摘しています。わたしは競馬の馬のことも全然わからないので直感を頼りに。またふたりで当てっこしました。

なんと! 今度もまたわたしが言った馬が一等に!
これには母もわたしもびっくり。

今日は、叔母が母のところに泊まっているので三人で見ました。母が叔母に「○子は二回とも当てたんだよ!」と教えていました。叔母が競馬のことをあれこれ訊いてきます。
でもね、わたし競馬のこと全然知らないんだけど。ただたまたま見ていた時に一等を当てただけなんだけど・・・それなのに競馬のことを知っているかのごとく当然答えが返ってくるものと叔母も母も色々質問してくるのよ。
番組中、色々聞かれても返答に窮するわたし。
そのせいか集中できずに(笑)、今日は散々でしたわ。

母が競馬番組を見るようになったのは、亡くなった父と二人で見てから。世の中にこんなに美しい生き物がいるのかと驚いて見ていたそうです。たてがみが風にたなびく様子や細い足が駆ける様子、よく手入れされた胴体が照り輝く様子、そのどれもが美しいものとして目に染みこむのだと言います。父と目を細めてふたりで仲良く見ていたであろう番組。解説の方の顔を見ながら「この人はずっとやっているんだよ」と父との思い出を振り返るように語っていました。
思い出の番組が競馬番組というのもまた母らしいのかなと思ったり。

馬券を買おうとは思わないけど、こうしてどの馬がいいかななんて楽しみながら母たちと見ている時間もまたわたしにとっては至福のときなのかもしれないな、きっと。父の代わりにはなれないかもしれないけどね。


変な天気

2018年05月06日 | ほんのすこし
連休最後の日は、変な天気です。
朝、新聞を読んでいたら、一瞬グラグラっときました。いつもより強く感じたので、すぐにテレビをつけました。こういう時はNHKが早いと思ってね。
やはり速報が流れました。
秋田県北内陸部、震源地は北秋田市、となっていました。北秋田市はこれまでも何度か震源地になっているのですが、今朝のはちょっとグラッと感じてびっくりしました。その後は何も無かったので良かったのですが。

空も晴れていてお洗濯日和だとばかり洗濯を回し干していると、あんなに天気もよく心地よかったのに、風が強いじゃありませんか。
でも洗濯はしっかり干さないと。ひさしぶりにシューズもごしごし洗い干しました。
風で飛ばされないかしらと心配になるほど風がただいま強まっておりまする。あの晴れた空はどこへ行ったのでしょうか。

地震があったり、強風があったり、晴れたり。
今日はそんな変な天気の日なのかもしれません。

ところで、昨日は子どもの日でした。といっても我が家はもう関係ないので、ニュースやインスタグラムで他の方がお祝いしているのを見て、初めて思い出したくらいです。それくらい祝日感が何もなくなっているなと感じました。きっと孫でも一緒にいたらそういうイベントには反応するのでしょうね。
まあ、まだ子供達が小さい頃ですけどね。大きくなってしまえば、子どもの日を祝うなんてことありませんから。小さい頃の特権かな。。
で、昨日買い出しに町中を運転していて、ふと思ったのは。
昔は商店街や普通の住居でも祝日といえば、国旗を玄関先に出しているところがあったなあということでした。というのも、信号で止まっていたときにすぐ近くの店の風除室内で国旗が見えたからです。思わず二度見してしまいました。それほど他には見当たらなかったからです。

いつのまに消えていたのかしら・・・ 子供達がまだ一緒に住んでいた頃からかしら。というか、国旗が家にあるお店や家庭は少ないのでは・・・

こういう昔にはあって今はほとんど見かけなくなったことがあることに、ある日ふと何かの拍子に気がつく。そのときに自分が感づくまでにどのくらいの時が過ぎていたのか、ということが問題なのかも。国旗もそうだけど、それ以外でも全然見てこなかったうちに変化しているものがこの世には沢山あるのだろう。死ぬまでに気づけないものだってあるかもしれない。
変化に敏感でありたいけど、わたしはどちらかというと鈍感です。すごく鈍感だなと思います。他の方が書いているのを読んで初めてわかったりすることが多すぎるなあといつも思います。

なんか変な天気だからか、頭のなかも変な感じの日曜日かも。