BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
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清徳寺について

2006年11月17日 | 【大学時代】学外活動

 清徳寺秋季大祭にちなんで、清徳寺について詳しくご紹介します。


 金剛山清徳寺(せいとくじ)は、鳥取県八頭郡八頭町清徳にある、真言宗高野派のお寺です。

 和銅2年(709)行基菩薩の開基とされる、因幡国最初の寺であり、婆が城主小松氏(平家の家系)の祈願所として栄えたと伝えられています。

 本尊は、百済伝来の閻浮檀金(えんぶだんごん)一寸八分の阿弥陀如来像です。年に一度、11月17日の秋季大祭に御開帳されます。
 敏達(びだつ)天皇の御宇・物部守屋(もののべのもりや:飛鳥時代の有力豪族で、廃仏派だった)が尊像を大阪難波の堀江に投じたものを、本田善光が救い上げて信濃国(長野県)下伊奈群善光寺に安置したものであるという。さらに善光の子・善祐が最善の地を求め諸国を遍歴するうちに、ここに至って安置されることになったとされています。
 清徳寺御堂の背山は、舟形の光背ならびに八葉の蓮華の台座を形作っており、絶好の霊地と考えられたのです。

 御堂はその後の明治23年(1890)7月に火災に遭い、伽藍から仏具に至るまで灰となったと記録されています。しかし明治25年4月に、本田吉五郎の夢の中で、本尊は境内の菩薩樹の洞窪にあることを知り、そこを探すと発見されたという奇跡的な話から、本堂再建に取り掛かることとなり、明治28年に再建され今に至るのです。


 清徳寺境内には県指定の天然記念物「清徳寺の巨樹名木群」(昭和31年指定)があります。ヒワダザクラ、カゴノキ、モチノキ、ボダイジュの巨樹が指定されています。
 また、境内には後醍醐天皇が因幡の国へ御幸の際(隠岐へ流罪となった頃)に清徳寺へ寄った記念として植樹したとされるイチョウの大木があります。


参考文献
 『八頭郡誌』八頭郡町村長会編/1982 主に760~764頁


清徳寺の秋季大祭(午後)

2006年11月17日 | 【大学時代】学外活動

 午後5時。再び八頭町清徳の金剛山清徳寺に戻ってきました。
 丁度秋季大祭が終わったところで、屋外の茶室や本堂でのお琴演奏が終わり、片付けが行われていたのでそれを手伝っていました。

 午後5時ともなりますと、とうに日は沈んでおりまして、夜の闇が徐々にあたりを包み込んでいこうとしている頃でありました。

 本堂前の焚き火も、妖しく煌いた光を放ちながら燃え盛っていました。
 お琴のほかに、パンフルートと呼ばれる「世界最古の楽器」を自作して演奏される方もいらっしゃいまして、焚き火の前で奏でられるその音色は、情緒あふれるものでした。あの包み込まれるような暖かな雰囲気といったら、他に無いのではないのではというくらいに。

 夕食として、イワナの囲炉裏焼やお昼の団子汁に加えて、つやがとても光ってとても美味い新米御飯をいただきました。

 囲炉裏を囲んで、イワナを焼いて食らうなんて、なんとも贅沢な食事でございました。
 そして新米御飯は、もう先に美味いと書いておりますけれども、筆舌に尽くしがたいほど美味なるものだったのでございます。飯だけで何杯も戴ける最高級のご馳走でございました。それで3杯戴きました。

 夕食の後、もう一度護摩祈祷があるということでしたので、供養申込みに「身体健全」を記入させていただきました。何よりも身体が資本ですから。
 そして午後6時半ごろに、本堂にて本日2度目の護摩祈祷が始まりました。
 およそ30分ほど、般若心経を唱えた後に、和尚さんから説法(というよりは「冗談」だそうでございます。そのほうが聞くほうも退屈せずに聞いてくれるとの事です)をいただきました。

 全てが終わった頃には、外は闇と静寂が支配しておりまして、辛うじて細々と燃え滾っていた焚き火が仄かな明るさを生産していたに過ぎませんでした。兎に角寒い。やはりある程度高い場所にありますから。
 そして空を見上げると、満天の星空がありました。天の川もしっかりと見えます。ここは紅葉だけでなく、星を見るのにも絶好の場所です。(ただし道が暗すぎるので、夜に来るのは難しいかと思いますが。)

 素敵な時間を過ごすことが出来て、大変に満足な一日でした。


気になったことを一つ二つ─

2006年11月17日 | 凡日記

 さてと、気になったことを一つ二つ書かせてくださいな。

 まず一つ目は、日本の主食・米を作るイネのその逞しさについてでございます。

 写真を撮影したのは鳥取市用瀬町でございます。
 湖山町よりも高地にありますので、稲刈りも少し早めに行われたようでございます。
 そのために、切り株から生えてきております、二番煎じ的な苗が、割と大きく育っていたわけでございます。

 しかしながら、それをよぅく見てみますと…。
 あ。
 米が実ってる。

 その凄まじい生への執着と言いますか、子孫繁栄への尽力、感歎の念に付さざるを得ないわけでございます。
 これぞ天然二期作でございます。多分。

    

 そして次にご紹介するのが、同じく用瀬町の鷹狩駅そばのパン屋さんでございます。

 雑穀パンひとつ(2個)40円とお得で、非常に美味しかったのでございます。
 やはりパンは、手作りが一番でございます。
 あと他にも、紫芋パンなどを頂きました。どれも非常においしいのでございます。

 鷹狩駅にお立ち寄りの際は、是非ご利用くださいませね。
 鷹狩駅に用事がある人は限られてくるような気はいたしますが。

用瀬町商工会HPを参照ください。


清徳寺の秋季大祭(午前)

2006年11月17日 | 【大学時代】学外活動

 午後8時半に湖山を発って、若桜鉄道を横手に見ながら、そして紅葉と柿の畑が広がる一面の橙色を目にしながら、ゆったりとした時間の流れる農村地帯を車で飛ばし(ていたのはk-5さんですが)ておりました。
 しばらくすると林道のような、どんどん山へ分け入っていくような道を登っていきました。
 そして午後9時半ごろに、ふと目の前に集落が現れます。
 目的の地へ到着いたしました。鳥取県八頭町の、金剛山清徳寺 (高野山真言宗)です。

 本日十一月十七日は、年に一度の御本尊御開帳ならびに秋季大祭でございました。

 大祭そして護摩祈祷が始まるのは、午前11時からです。それまで、会場設営などのお手伝いをk-5さんとともにやらせていただきました。
 しかしながら途中より生憎の小雨が降るお天気となり、そのために雨よけのテント張りなど余計な仕事が出来てしまいました。そして今回のお手伝い以外の目的でありますビデオ撮影が、なかなか出来ぬままでおりました。

 そうこうしている間に、本堂では護摩祈祷が始まってしまい、中に入りそびれてしまいました。
 もっとも、本日は沢山の方々がおいでになり、本堂内は人で一杯に(超満員に)なっておりましたので、おそらく撮影どころではなかったのでしょうけれども。

 一方の外では、護摩祈祷の後の祭寿司の接待や、午後からの琴演奏等のための準備を(若干ながら)お手伝いしておりました。
 その寿司がまた、凄いのでございますよ。手作りの竹の器に入った寿司が、何と108個も用意されているのでございます。圧巻でございました。
 また屋外では、特製の団子汁が釜焚きの大鍋で調理されておりました。大変おいしゅうございました。

 そのうち天気の方も次第に回復してきまして、周囲の紅葉の輝きが増してまいりました。
 ここは紅葉が本当に綺麗です。紅葉だけではなく、菩提樹、鹿子(かご)の木、檜膚(ひわだ)桜の3本が鳥取県の天然記念物に指定されているという、本当に自然に恵まれた場所にあるのです。

 本堂での護摩祈祷が終わり、その後の和尚さんの説法を(外から)聞いたところで、われわれ学生は大学の用事のため一旦この場を離れました。


感激の一日を書こうと─

2006年11月17日 | 凡日記

※写真は、八頭町へ向かう道中に見かけた看板。冠婚葬祭いづれかの詳細は不明ですが、まぁ、黙って見てみてください。これマジよ。


 夜9時。研究室に無事戻ってまいりました。

 雨が降ったりやんだり、今日の天気は本当に気まぐれでした。
 とは言うものの、こちらも雲に負けないくらい移動したから、余計に天気の変化が激しく感じられたのかもしれませんね。
 今日は湖山町と八頭町を2往復しましたからね。運転手のk-5さん、お疲れ様でございます。
 それで思ったのはですね、津ノ井を過ぎたあたりから、真上が綺麗に晴れ渡っていたのですよ。どうも風車が立っている地点が、気候の境界線のようなのです。風車の峰より日本海側が、雨ゾーン。

 天気の変化も激しかったのですが、今日は人との出会いが激しかった、という表現は無礼でしたね、たくさんの方々との出会いに、感謝です。

 その感激の一日を書こうと思ったのですが…、書くことが多すぎることと、非常に疲れているということで、またしても書くのは延期ということで。
 そして明日もまた調査で智頭町へと出掛けるため、明日の日記も滞るかと思われます。

 そういえば、昨日の日記も書き残していたなぁ…。まぁ日曜日にでも、ぼちぼち書き込んでいきますから。

 日記のネタに困らない生活をしているのはシアワセなことでございますが、書く時間が…欲しい。


そしてお昼は─

2006年11月17日 | 凡日記

 そしてお昼は、再び研究室におります。
 さっきまで八頭町だったのに、ねぇ。

 所要のために、いったん帰ってきたまでであります。明日の調査の打ち合わせもあったわけですし。

 そしてまた、夕方から八頭町へと舞い戻る次第でございます。

 これほどまでに慌しい一日を、まさか4年になってまで行うとは思いませんでしたねぇ。
 4年生になったら、もう研究室に篭りきり、だと思っていたのですが。
 今まで同様、充実した学生生活を送ることが出来るというのは、至福以外の何者にもございません。

 というわけで、また、出掛けますね。
 今日の出来事は、夜にでも書いときますから。


今日の午前中は─

2006年11月17日 | 凡日記

 朝です。おはようございます。
 6時半から、研究室におります。

 昨日は、あまりにも疲れていたので、自分としては大変珍しい夜10時の就寝と相成りました。
 しかしながら、基本夜型のワタクシは、途中途中で目が覚めてしまうなどして、たまに胃が痛かったりします。
 規則正しい生活は、無理して始めようとすると燦々たる結果に陥ってしまいますよという、我が身体からのメッセージと承っております。
 だからこれからは、順調に夜型の…いえいえ、徐々に身体を慣れさせていくほか無いですね。

 そして今日の午前中は、八東町のお寺のお祭に行ってまいります。ハイビジョンカメラを持って撮影に行ってまいりますよ。半分以上趣味ですけれども。
 詳細は、今日の夜にでも。