BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

閏という自然への妥協

2008年12月29日 | 雑感散文


閏秒があるらしいですね、
標準時間の31日、
23時59分59秒に。

だからね、
カウントダウンで

5,4,3,2,ときて、

1,1,0!

といった按配と相成るのでしょうか。


尤も、
日本時間だったら
9時間ズレますから。

杞憂でしたね。

 

閏秒があるってのは、
なんだか面白いですね。

ちゃんとさ、
1秒はどのくらい、
1日、1年はどのくらいって
ちゃんと定義されているのに、
地球の回転がちょいと遅いから、
それに合わせて1秒ずらす。
4年たったら地球の
公転上の位置がずれるからって
1日付け加える。

地球の都合に合わせて、
わざわざ時間を調整する。
さすれば時間とは
いったい何であるか、
誰がために定義されたものか。

地球に住んでいる以上は
地球の都合に合わせて
時間を定義しないといけない。
内に秘めたる生物時計よりも
地球の都合を優先している。
ならば時間とは地球の何某かか。
地球を離れてしまえば時間とは
何を指すものか。
はたまた時間は不要の産物か。

いくら人間がさ、
体系付けたり定義しても、
自然がちょいと狂えば
それに従って帳尻あわせを
しないといけない。

つまりよ、
人間が希求する学問の究極、
絶対的はたまたイデアというやつか、
それは簡単に自然現象、宇宙現象に
妥協を要求され続ける。
となればこの世に
究極とやらは無いのか。

いや、本当に無いのやも
しれませんわね。
「無い」ことを証明する方が
難しいから、
誰も無いと言い切れないですが、
これはこれで仮説として
提示してもよいのかも知れませんね。
ど素人の愚考でした。

でも時間をさ、
「閏」といって調整する、
これが何かね、
自然に合わせて生きていこうとする
態度に思えてとても良いなと
思ったりもするのですよね。

地球に住む以上は、
その自然環境に従って生きる。
時間においても、閏をつかって
柔軟な対応をする。

自然と共生するとは、
自然に従う柔軟な対応、
こういう謙虚さがよいのではないだろうかと
子年最後の週に思い至るのでした。