マダムようの映画日記

毎日せっせと映画を見ているので、日記形式で記録していきたいと思います。ネタバレありです。コメントは事前承認が必要です。

ーおいしいトルコ10日間 その8ー

2008-06-16 18:36:54 | 旅行
ーおいしいトルコ10日間 その8ー
最終章

ここまでお付き合いいただいたあなた、付き合いついでにもう少し、余韻に付き合ってくださいね。

トルコってどんな国か、ぜんぜん知らなかった私なのに、とても懐かしい感じのする国となって、私の中で息をし始めました。

もう一度戻ってみたい、イスタンブール。
私のイスタンブールは、「飛んでイスタンブール」ではなく、「Wind is blowing from the Aegezm」の「魅せられて」のような感じです。
「南に向いてる窓を開け、一人で見ている海の色」
うーん、阿木耀子さんは、イスタンブールでこの詞を書いたんじゃないかなあ?

トルコを出るときは、もう二度と来ることはないと思いましたが、いま、こうして日記を書いて振り返ると、「もう一度行きたい」という気持ちがふつふつとわいてきました。
シナン最大のジャミィ、セレマニエ・ジャミィも見れなかったしね。

いつか、きっと!!

写真は一部、NちゃんMさん、K氏のものを使わせていただきました。

旅行にご一緒しました皆様、お世話になった皆様、いい旅行になりました。
心から感謝申し上げます。

まだまだ、トルコの思い出を…

 カッパドキア・ラブバレーにあった岩ーそういえば人がキスしているように見えます。
 カッパドキアのホテルのドアー開け閉めするのに苦労しました。
 カッパドキアのハト 
 カッパドキアの犬  ヒッタイトの遺跡でみつけたスズメ

 トプカプ宮殿の庭にいたネコ  トプカプ宮殿のカラス
 ハイダルパシャ駅の時計にとまっているハトー残念!暗すぎますね。

 クルーズの船の船長さん
 アンカラ駅にいた子ども

 トプカプ宮殿ハレムの入り口
 トプカプ宮殿の螺鈿の箪笥

 ブルーモスクの天井
 ブルーモスクの絨毯
 リュステル・パジャ・ジャミィのタイル

ーおいしいトルコ10日間 その7ー

2008-06-16 17:28:08 | 旅行
ーおいしいトルコ10日間 その7ー
イスタンブール後編の続き(どんどん長くなってごめんなさい)

さて、ホテルに戻って、今夜のディナーに備えて身なりを整えました。
今日のディナーはホテルの隣にあるチュランパレスのトゥーラというレストラン。
ツアーのみなさんも、見違えるほどの紳士淑女に変身していました。

 私たちのお部屋の正面の建物、チュランパレス。ディナーをいただくレストラン・トゥーラがあります。

この宮殿は、1800年代後半に建てられた、王の夏の宮殿だそうですが、シャンデリアや柱など、息をのむほどの豪華さです。

トルコらしいお料理の数々が、次々と運ばれてきました。
紹介するのは、そのお料理の一部です。
いままでいただいてきた、トルコの伝統的なお料理の集大成と言った感じで、とても満足しました。

 まずトルコワインで乾杯
 ドルマ  シガラ
 メインー私はお肉料理を頼みました。
 チョコレートの盛り合わせ  サービスの様子

途中から、トルコの民族楽器を使った生演奏も聞こえてきて、すごく素敵です。

お部屋に戻って、もう一度ワインで乾杯をしていたら、花火が始まりました。


素晴らしい!!
旅行の最後の夜を美しく飾ってくれました。

次の日は、ゆっくり起きて、ゆっくり朝ご飯を食べて、 シャンパンもいただきました。朝から!!
それから希望者だけでスレマニエ・ジャミィとシナンのお墓を探しに行きました。

 途中で水道橋をくぐりました。

 第10代スルタン、スレイマン1世

これがスルタン・スレイマンです。
この絵は軍事博物館に飾ってあったものです。

 スレマニエ・ジャミイ入り口にてー私
スレマニエ・ジャミィは修復中で、中は見れませんでしたが、隣にある墓地にはスレマニエ廟とロクセラーヌ廟がありました。

 スレイマン廟  ロクセラーヌ廟
ロクセラーヌーウクライナ地方から奴隷として連れてこられ、貢ぎ物としてスルタンに捧げられた人だそうです。
そして、第4夫人となり、最終的には正式な王妃となった人。
夢枕さんでなくとも、想像をかき立てられる人物ですよね。

 ミマール・シナンの墓
シナンの墓は、スレマニエ・ジャミィの外にありました。
スレマニエジャミィを一周する形で私たちは足早に通り過ぎました。
でも、ターバンを巻いたような棺はしっかり目に納めました。

この辺りの道具屋さんも素敵でした。
もう少し、時間が欲しかったなあ。

ホテルへ戻って、荷造りをして、さあ出発。

昼ご飯を食べがてら、オルタキョイ地区を散策。
ここでは、じゃがバターにたくさんトッピングをしたクンピールを食べました。

 クンピール屋
 クンピール

感想は、なんとも…汗!!
トッピングを欲張り過ぎたようです。
量も多いし!!

オルタキョイ・ジャミィにも入れていただきました。

 オルタキョイ・ジャミィ入り口

そこには、光が満ちていて、お祈りの時間ではなかったのでしょう、人々が寛いでいました。
私も、精神が隅々までほぐされて行くような気がして、とてもいい気持ちになりました。
一緒に入ったNちゃん、Mさんも同じ感覚を持ったようでした。

「近所にあったら、毎日でも行きそうだわ」と言うと、「イスラム教に改宗しましたか」とからかわれましたが、この旅行で、イスラム教に対する私の印象はかなり変わったと思います。

世界平和は相互理解が第1歩ですね。
トルコのように、イスラム教も政教分離がしっかりできるなら、国際社会でも十分お付き合いができると思いました。

しかも、イスラム教は他の宗教と比べても、優しい、明るい宗教でした。
戒律ばかりが強調されますが、それも解釈の仕方次第のような感じもしました。

 カーリエ博物館
最後に訪れたのはカーリエ博物館(コーラ教会)です。

 カーリエ博物館内部のモザイク画
これも、ビザンティン帝国時代はキリスト教の教会でしたが、オスマントルコによってイスラム教会として、モザイク画が塗り込められていたのを、現在は修復して公開されています。
素晴らしい芸術品のモザイク画の数々でした。

ギリシャ人の観光客と一緒になりましたが、絵にギリシャ語が書いてあるらしく、目の色が私たちとは違っていました。
「これって、私たちのものじゃない!!」と思うでしょうね。

さて、空港について、長い旅も終わり。
運転手さんと別れの挨拶をし、アルプさんにもさよならを言いました。


ーおいしいトルコ10日間 その6ー

2008-06-16 09:30:59 | 旅行
ーおいしいトルコ10日間 その6ー
イスタンブール後編

朝のめざめは、すばらしいものがありました。

朝ご飯を食べて、復活!!

今日は忙しい日です。
主立った観光スポットを回って行きます。
港には、高層ビルを横倒しにしたような大きさの豪華客船が泊まっていて、アルプさんが
「この船から、観光バス100台が市内観光に回ります。どこも混んでいるだろうなあ」とつぶやきました。
ヨーロッパの人たちが地中海クルーズで、イスタンブールに遊びに来るのですね。
次の日もここを通りかかったら、同じ規模の違う船が停泊していました。

まず、ブルーモスク。


スルタン・アフメット1世のために建てられたモスクですが、アヤソフィアのすぐ前に建てられ、その規模を競ったのですから、オスマンのプライドが感じられる建物です。
大きさも、美しさも、豪華さもため息ものです。

 ブルーモスク内部
 ブルーモスク天井

外に出ると、お布施を集めている人がいました。

 そして、門からはアヤソフィアが見えました。

 アヤソフィア
 アヤソフィア入り口

 アヤソフィア入り口に展示してあるギリシャ時代の遺構

アヤソフィアは、360年にコンスタンティヌス帝によって建てられて、その後オスマントルコにはイスラム教のモスクとして使われていました。
征服者の目にも、潰してしまうには惜しいと思わせた建物だったのでしょう。

 アヤソフィア内部
夢枕さんの「シナン」では、若いシナンとまだ王になる前のスレイマンが最初の出会いをするのがここでした。

私も、シナンの気持ちになって、大天井を見上げてみました。
とにかく、驚きの規模です。
柱も壁も、調度もみんな大理石。
壁なんて、木目のように石目をあわせてデザインされていました。

 アヤソフィア天井ー右のものは天井までのびた巨大な足場

半分の空間に足場が組んでありましたが、アルプさんは「修復中ということですが、あの足場は取るつもりはないんじゃないかなあ」と言っていました。
その足場のおかげで、対面の天井に描かれたマリア様は見えにくくて残念でした。

 二階から下を見る

 アヤソフィア2階のモザイク画のキリスト

キリスト教の名残りはあちこちにありました。
その修復も進んでいるようでした。

 アヤソフィア2階の傾いた柱
二階の柱は斜めになっていました。ガーン!!

イスタンブールは地震の多いところだそうですが、この建物はこの大きさで続いていると思うと、これを作り出した人間の叡智に畏れさえ感じます。

次はトプカプ宮殿。

 トプカプ宮殿に見学に来ていた子供たち

 ディズニーランドに入るのじゃありません。
本物の宮殿です。

ハレムから入りました。

ここでスレイマンやロクセラーヌが暮らしていたと思うと、体が震えてしまいました。

 ハレムに入ってすぐにあった大きな鏡  鏡の装飾
 トプカプ宮殿の再現
 トプカプ宮殿のお風呂。サウナ風呂のような部屋で体を温めた後、ここに貯めたお湯で汗を流します。湯船につかる習慣はなかったそうです。
 王様の家族のお部屋
 トプカプ宮殿のステンドグラス
 トプカプ宮殿の部屋の天井

写真では紹介できませんが、宝物殿はすごいです。
ハート形のダイヤモンドや、大きなルビーついた短剣など。

ほかにも、モーゼの杖だとか、コーランの朗唱の実演だとか、いろいろあったけど、待ち合わせの時間があっという間に来てしまいました。

 トプカプ宮殿の出口

 トプカプ宮殿の厨房

お昼ご飯は2つに分かれました。
私たちは、町のファーストフードへ。
 店先のケバブ
ドネルケバブサンド、パンの代わりにナンではさんだもの、をいただきました。
 ドネルケバブサンド
香辛料もきつくなく、とってもおいしいものでした。

 イスタンブールの待ち時間の表示される信号。いらちはアジアらしい?

もう一つの班は、日本食へ行きました。
高級な感じのレストランでした。
 「うどんや」!?

午後からは、軍事博物館へ。
  

トルコ軍は、軍隊の最前線に楽団を送って、志気を高めたそうです。

博物館の前庭で、その音楽の実演がありました。
昔のNHKのドラマ「阿修羅のごとく」を見ていた人なら、わかるんじゃないでしょうか?
独特の拍子とメロディを持った音楽で、聞き入ってしまいました。

次ぎに行ったのが、地下宮殿。
宮殿と言うけど、ここは貯水池なんだそうです。
作られたのはビザンティン帝国時代。

柱の礎石にメドゥーサの首が使われているのですが、これは、その時代以前のギリシャ神話を文化として持っていた民族のものを持ってきて使っているのだろうということでした。
それにしても扱いがひどすぎる気がします。

 メドゥーサの首の彫刻が柱の礎石に使われている。

ーおいしいトルコ10日間(その5)ー

2008-06-10 12:02:24 | 旅行
ーおいしいトルコ10日間(その5)ー
イスタンブール前編

列車の窓が明るくなって、シェードを開けると、青い海が広がっていました。
マルマラ海ーエーゲ海と黒海をつないでいるおだやかな海です。

トントンと車掌さんがノックして、ベッドを片付けてくれました。


食堂車で朝ご飯。
イスタンブールはもうすぐです。

列車のお顔

到着。
アジア大陸の西の終着駅、ハイダルパシャ駅。
プラットホームが大理石でできています。


あ、ホームに自動車が?
あり得ない景色に、目がまんまる。

ハイダルパシャ駅の内部
駅の外観ーこの装飾のすごさ!!

駅の内観も外観も重厚で、歴史の重さを感じる駅でした。



駅の真ん前に、私たちの乗る船が見えました。
ハンサムな乗組員さんが手を差し伸べてくれました。
まず、ボスフォラス海峡をクルージングです。
渋滞の高速道路を行くより、お茶のサービスもあり、優雅なひとときです。

船の乗組員さん、このあたりでも一番かっこいいとか!!

アジアサイドを右に、ヨーロッパサイドを左に見て、船はボスフォラス海峡を北上して行きます。

聖(アヤ)ソフィア

トプカプ宮殿

ブルーモスク

スレマニエ ジャミィ

ガラタ塔

ヨーロッパサイドの旧市街には、アヤソフィア、トプカプ宮殿、ブルーモスクなどが美しく立ち並んでいました。

ボスフェォラス大橋をくぐって、大都会イスタンブールの勇姿もながめ、私たちの泊まるホテル、チュラーンパレスも見えました。

ボスフォラス海峡は、通勤ラッシュで、フェリーがなん隻も行き交っていました。そのスピードの速いこと!!

第2ボスフォラス橋のたもと、ここだけ中世?

アジアサイドには、セレブの豪邸、どの家にもクルーザーが!!

自分の国では遊べないアラブのお金持ちがイスタンブールへ遊びにくるそうです。

第2ボスフォラス橋のところで船は折り返し、船着き場へ。


右が運転手さん、左はガイドのアルプさん。真ん中の人は会社の人かしら?
あら、昨日アンカラで別れた運転士さんが、また私たちのために来てくれていました。

ドルマパフチェ宮殿の門  門の前の衛兵ー背中でしっかり短剣を握っていました。
最初の見学はドルマパフチェ宮殿。
混んでいる本館ではなく、ハレムの見学。

ハレムって、まあ「大奥」のようなものですが、オスマントルコ時代は母親の権力が強く、サロンでは王様がおかあさんと政治の相談をするということもあったそうです。
ハレムに呼ばれた女性は、教養をみっちり仕込まれたそうですよ。

たしかに、きらびやかではあるけど、どの部屋も落ち着いた装飾でした。
ベルサイユ宮殿にも似ている感じ。

この宮殿は、革命の英雄アタチュルクが執務に使ったことでも有名で、息を引き取った部屋も展示してありました。

チュネルの入り口  チュネルの出口
次はチュネルという地下のケーブルカーに乗って、ガラタ塔を目指します。

楽器屋さんや電気屋さんの町

街角の様子

街角からガラタ塔を見上げる。

ガラタ塔は、本当に中世の建物という感じ、とても想像力がかき立てられます。
ガイドのアルプさんによると、オスマントルコがビザンティン帝国に攻め入る時に、金角湾を塞がれていたので、攻めあぐねていたが、このあたりの丘にオリーブ油をまいて滑りやすくし、船を引いて丘を越えて、攻め込んだそうです。
この時、ガラタ塔あたりにはジェノバ人がいて、ビザンティン帝国に対して快く思っていなかったため、見て見ぬ振りをしたそうです。
その結果、ビザンティン帝国は崩壊し、オスマントルコがさらに勢力をヨーロッパに伸ばしていく結果となったということです。

ガラタ塔からガラタ橋を臨む。ガラタ橋では、たくさんの人が釣り糸を垂れています。平和だなあ。

そう聞いてガラタ塔から、イスタンブールの町を見下ろすと、今は何事もなく平和にみえる町が、ますます大好きになっていきました。

トラム

チュネルの駅に戻り、今度はトラムという路面電車に乗って市街地へ。
町を歩いていると、映画館が。
「アイムノットゼア」おお、これはもう見たもんねー。


商店街の入り口

アルプさんが案内してくれたのは、商店街の入り口にあるファーストフードのお店。
店先ではムール貝が山積み

ムール貝のピラフ詰めーミディエ・ドルマス

ムール貝のフライーミディエ・タヴァ、ピリ辛のサンドと一緒にアイランもいただきました。

食後は商店街の散策、魚屋さん、道具屋さん、八百屋さん、どの店も活気があって、もっと遊んでいたい気分です。
友達はまたサクランボを買っていました。

魚屋さん

広場の屋台

次に向かったのは、シナンの建てたジャーミィのひとつ、リュシュテム・パジャ・ジャミィ。
このリュステル・パジャはスレイマン1世の愛娘と結婚した大宰相です。
夢枕獏さんの小説にもちゃんと登場します。
あまりいい役ではないけど。

リュシュテム・パジャ・ジャミィの1階の商店街。

1階に商店街があって、隣にスマム(浴場)があって、二階がモスクになっています。
小説の通りで(当たり前ですが)、私はそれだけでも狂喜してしまいました。
モスクの考え方なんですね。
人々の生活にとても近いところに祈りの場を考えているのです。

2階へ上がったところ、タイルで飾られたモスクの外壁。

1階の喧噪と違い、2階は神聖な場所でした。
イズミックタイルで装飾された外観。

内部

柱のタイル

ドーム型の天井

アーチの絶妙な形

モスクの中に入ってまず驚いたのは、とても明るいということです。
ステンドグラスや窓から差し込む柔らかな光。
シナンの行き届いた演出を感じずにはいられない、穏やかで心安らぐ空間でした。

ここで、夢枕さんでなくても、シナンファンにならずにはいられない気持ちになりました。

リュステル・パジャ・ジャミイの階段。
大理石がすり減って丸くなったり、へこんだりしています。
これまでの長い歴史を感じます。
たくさんの善男善女が、いろんな思いを抱えてお参りしたのでしょうね。

グランバサールでは30分しか時間がなく、買い物というより、見学しただけでした。

ボテルに帰る道で、駅を見つけました。
これがヨーロッパ大陸の東の終点、オリエント急行の終着駅でもあるシルケシ駅です。

シルケシ駅

さて、さすがに夜汽車は疲れました。
チュラーンパレスホテル(五つ星だよ!!)に着いて、解散。


ロビー

今日の食事はご自由に、となりました。

私たちの部屋にはテラスがついていて、そこから眺めた景色です。
ボスフォラス海峡に向かって門があります。
部屋の向かいはチュラン・パレスの本物。
オスマン最後の王様の宮殿だそうです。

私たちは軽くホテル内で食事をすることにしたのですが、これがまた量がハンパではない。

「一皿多かったー」と言いながらもたくさん食べて、今日はいい夢が見られそうです。

トルコのお姫様になった夢?
内緒内緒。むにゃむにゃ。

おいしいトルコ10日間ー閑話休題 夢枕獏著「シナン」ー

2008-06-04 10:17:29 | 読書
おいしいトルコ10日間ー閑話休題 夢枕獏著「シナン」ー




「シナン」上・下
夢枕 獏 (著)
出版社: 中央公論新社 (2007/11)

【シナンとは誰?】

コジャ・ミマール・スィナン(現代トルコ語 : Koca Mimar Sinan, 1489年4月15日? ‐ 1588年7月17日(4月9日説あり))は、オスマン帝国の建築家。トルコ最高の建築家とされ、生涯で建築作品は477以上といわれる。彼の名に冠される「ミマール(ミーマール)」とは、「建築家」を意味する。
彼の作品は多岐にわたるが、特にモスクの建設において、大ドームを発展させるとともに、鉛筆型の細長いミナレットを特色とする、オスマン建築特有の様式を完成させたとされる。(ウィキペディア)

【感想】
イスタンブールに入る前に、みなさんにぜひ紹介したい本があります。
夢枕獏さんが著わした「シナン」という1冊の本。

ミマール・シナンも、オスマントルコも、イスラム教もなにもかも知らなかった私に、とても平易な言葉で教えてくれた、素晴らしい本。
モスクのことをトルコではジャミィということも、この本で知りました。

推薦してくださった小松さん、ほんとうにありがとうございました。

さてみなさんがもし、イスタンブールに行くことになったら、イスタンブールに入る前に、この本を読んでいただきたい。
イスタンブールへの思いが、何倍にも強くなることを請け合います。

ああ、夢枕獏さんー作家の才能って素晴らしいですねえ!!
NHKの取材で、シナンなんか名前も知らずにイスタンブールを訪れたという夢枕さん。
シナンという建築家を知り、その生涯に触れて行くうちに、小説で最も感動的なシーン、偉大なスルタン・スレイマンとシナンがアヤソフィアを越える建築について話し合うシーンが浮かんだというのです。
そして、8年の歳月をかけて完成したこの小説。
「見てきたの?」というほど、具体的で、ドラマチックな物語でした。

私はこのシーンと、ラストシーンに涙したすぐ後に、イスタンブールに入ることができたので、その感激は言葉ではとても言い表すことができませんでした。

これが、シナンが「ここの神は不完全」と表した世界でも最大級のモスク、アヤ(聖)ソフィア…。
これが、スレイマンの娘と結婚した大臣の名前を冠したリュステル・パシャ・ジャミィ。
ロクセーラーヌがハサンを呼びつけたトプカプ宮殿のハレム。

そして最終日、スレイマンの廟、ロクセラーヌの廟、シナンの墓も訪れることができました。
シナンがスレイマンのために建て、アヤソフィアの規模を越えることができなかったのに、偉大なスルタンを感動させたジャミィースレマニエ・ジャミィはあいにく補修中で中を見ることはできませんでしたが、シナンのふるさとの山に似せて作られたという外観は、いろんな角度から眺めることができました。

小説の中で、過酷な運命に翻弄されながらも、自分らしく生き生きと生きていた登場人物たち。
彼らが眠るイスタンブールをこの目で見ることができて、とても幸せな旅行になりました。

おいしいトルコ10日間(その4)

2008-06-03 14:35:48 | 旅行
ーおいしいトルコ10日間(その4)ー
アンカラ


アンカラに到着すると、まず、アタチュルク廟へ。
日本人にはなじみの薄いアタチュルクですが、トルコの人はとても尊敬していました。


『ムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Atat?rk, 1881年3月12日- 1938年11月10日)は、トルコ革命の指導者、トルコ共和国の初代大統領(在任1923年10月29日 - 1938年11月10日)。日本では、彼の革命当時の呼び名であるケマル・パシャの名で言及されることも多い。』(ウィキペディアより)

第一次世界大戦後、オスマントルコの王様が連合軍との約束で、国土を分割することに同意したことに反旗を翻し、革命を起こし、トルコに独立をもたらした英雄です。
この時、彼は政教分離を掲げ、文字をアラビア文字を使うのをやめ、アルファベットを基礎にしたトルコ文字を創設したそうです。

ガイドのアルプさんもアタチュルクのことを熱く語ってくれたし、現在のトルコはアタチュルクの理想を元に、みんなが心をひとつにして国のために努力しているように思えました。

「アナトリア文明博物館」で、いままで見てきた遺跡の復習を。
 世界最古に近い女神像。トルコの人は女神信仰がしみついているそうです。
 これが本物のヒッタイトの軍神

閉館時間になってあわてて飛び出したら、激しいスコールに遭いました。
バスがまだ来ていなくて、みんなで固まって木の影で雨宿り。
わずかな時間だったのに、びしょぬれになった人もいて、散々でした。

雨が上がるのを待って、次に訪れたのはアンカラ城塞跡。
でも、私たちは城内に入ったとたんにみつけたお土産物屋さんで、足が止まってしまいました。


これが、私が家族のために買ったお土産の数々。

ここの若い店員さんが、長身の素敵な人で、あれもこれもと言っていたら、まだ買っていないのにおまけをくれるし、どんどん負けてくれるし。
めちゃ、優しいお兄さんでした。



我に帰って、みんなはどこかな?
アンカラ城の城塞に続く道を追いかけて行きました。
かつては大きな門で閉ざされていたのでしょう。
私は映画「ロードオブザリング」の主人公たちが、踊る子馬亭へ行く時に通る城門を思い出しました。


城壁に登って町を見下ろしました。



夕食は城内にあるワシントンという一流レストラン。
小泉元首相も来られたということで、写真が飾ってありました。

 名物のなすの料理

 メインの肉料理

 デザート

ここのオーナー兄弟が、アメリカで修行をして開いたという味自慢のお店。

お腹がいっぱいになって、巨大ショッピングモールで時間つぶし。
どこの国でも、スーパーが面白い。
もう少し時間があったら、ピクルスや果実酢なんかを買いたかったなあ。

おっと、シネコン発見。
「インディ・ジョーンズ」をやっているみたいですね。
ちなみに、トルコの映画は吹き替えが多いそうです。


それから、アンカラ駅に向かいました。
 アンカラ駅
ここから、夜行列車でイスタンブールに入ります。
異国の夜のステーションはなんとなくロマンティックです。

 駅の売店

 プラットホームで乗客に食べ物をねだるネコ


さあ、列車が入ってきました。
二人ずつのコンパートメント。



思ったより普通の列車だけど、私はとても疲れているので、列車に揺られているくらいがちょうどいい寝心地じゃないかな?

では、おやすみなさい。

おいしいトルコ10日間(その3)

2008-06-03 14:17:02 | 旅行
ーおいしいトルコ10日間(その3)ー
カッパドキア泊ートゥズ湖

次の朝、モーニングコールは4時。
気球に乗る日なんです。
でも、雨は上がったけど、風があって、なんだか怪しい天気。
みんなが集合したのに、中止が決定しました。

解散してお部屋でごろごろしていたら、5時にまた電話のベル。
「やはり飛ぶって!!早く早く」
大急ぎで気球の業者が差し向けてくれたバスに乗って、出発地点へ。

 私たちが乗せてもらえるのは、どれかなあ?

「あと、2分で出るよ、急いで!!」
いまにも飛びそうな気球を見ながら、期待に胸を膨らませていたら、あらあら、その気球がしぼんで畳まれて、乗り込んでいた人が降りてきました。

「今日は風が強いから中止ー」
それはないよー。
でも、安全のためだから、仕方がないですね。
次の日の予約を入れようとしたけど、予約が一杯で結局乗ることはできませんでした。


この写真は、次の朝、うらやましい思いで見上げた気球です。

できないことをとやかく言っていたも、仕方がありません。
ツアーの皆さんは前向きです。
「小松さん、この旅行のタイトルは『おかしなトルコ~』の間違いじゃないの?」と笑い飛ばして、出発です。

 ホテルのテラスから見たユルギュップの町

カッパドキアとはペルシャ語で「美しい馬の地」という意味だそうです。
ここも世界遺産。

デリンクユ地下都市、"妖精の煙突"と呼ばれる多様な奇岩、ギョレメ谷、ギョレメ国立公園、岩窟教会、、ゼルヴェ谷、アヴァノス、ウチヒサルの岩の要塞、ウフララ渓谷とソアンル。
さらに、ローズバレーやラバーズバレーなど、かなり時間をかけて見て回りました。

 デリンクユ地下都市への入り口
 ギョレメ博物館の暗闇の教会内部の壁画ー保存状態の良さに驚きました。
 ギョレメ博物館のりんご教会内部の壁画、キリスト教の壁画の上にイスラム教の幾何学模様を塗ったことがわよくわかります。

でも、この風景や感動を、とても言葉で説明できるものではありません。
写真で少し紹介しますが、日本にいてこの風景を想像するのはとても難しいと思います。
まあ、トルコという国全体が、そういう国です。
自然にしても、国土にしても、歴史にしても、文化にしても、とても多様で複雑で、ひとつや二つの器に納まるものではありません。
興味のある方は、ぜひ訪れてくださいね。

 ?妖精の煙突?と称される奇岩が並ぶ
 親子岩
 らくだ岩
 その地名の通り、馬もいました。
 こんな岩も、
こんな岩も、
まるで、2頭のライオンが吠えているようなこんな岩も。

お昼ご飯を食べたのは、やはり洞窟のレストラン。

 レストラン内部
 レストラン入り口
 つぼ焼き
 マントゥー、小さいワンタンのようなものをゆでてヨーグルトソースをかけたもの。 チャイ

カッパドキア最後の夜は、各自夕食を済ますことになりました。
私たちは町に出て、レストランを探しました。
そしてみつけたレストランで、カッパドキアワイン「トラサン」を開けてもらいました。

 肉のケバプとサラダ
 子羊のロースト

これはホテルの朝ご飯 

あ、忘れていました。
 トルコアイスを売っていたお兄さん。

この近くの売店で、「ホジャ」という人について書かれた、きれいな絵本が売っていました。
英語版の横に日本語版もあってびっくり。
ホジャというのは、トルコの一休さんのような人だそうです。
暇を見つけて読みたいと思っています。
 

さて、カッパドキアを後にして、バスは一路首都アンカラへ。

途中、塩湖「トゥズ・ギョル」を通りました。
 足下は砂や土ではなく、塩の結晶です。

トルコの塩がとてもおいしいことに気づいたのは、最初の野外レストランでした。
トルコの塩はほとんどがここで作られているそうで、おいしい塩の秘密はこの湖にありました。

昼食に立ち寄ったドライブイン。
名物はこれ。 ピデ

 アイラン(ヨーグルトを水で割って塩を加えた飲み物)、とトマトサラダと一緒に

おいしいトルコ10日間(その2)

2008-06-03 12:03:20 | 旅行
ーおいしいトルコ10日間(その2)ー
アマスィアーハットゥシャーカッパドキア(2泊)ートゥズ・ギョル(塩湖)

 
朝の食事はホテルの中庭で。
とてもいいお天気だけど、この旅行のメインエベント、明日は気球には乗れるのかしら?

さて、昨日行けなかった博物館へ。
古代からの遺跡や豪華な民族衣装などをさっさと見て回りました。
一番驚いたのは、ミイラの展示。
4、5体ありました。
ちょっと、苦手です。

そして、王の墓へは、昨日と同じ石段をどんどん上って行きました。

城門を入ると、王の墓はいくつもあって、道は二つに分かれていました。
私は緩やかな道を選びました。
それでも、岩をくりぬいて作られた階段や坂道はつるつる滑って転びそうです。

たどり着くと、そこはアマスィアの町を一望できる絶景の場所。
王は今も自分の領土を見下ろして、町を守っているようでした。
 王の墓からアマスィアの町を臨む。

王の墓から下りてきたら、女子高生と思える団体に出会いました。
今から、見学するようです。


余談ですが、トルコはイケメンも多いけど、なにより女性がとてもきれいです。
髪はスカーフで隠されていてわかりませんが、瞳は緑色やブルーなどさまざまで、肌が白い。
これも東西文化交流のなせるわざでしょうか。

町に下りて行くと、あ、昨日故障で別れたバスが、私たちを迎えにきてくれました。
よかったー!!
 これが私たちのバス

運転手さんはアマスィアの出身だそうで、昨日は親戚の家に泊まったそうです。
そして、そこの主婦が焼いたパンをお土産に持ってきてくれました。


トルコは本当に豊かな国です。
レストランではパンが山盛り出てきて、しかも無料。
ご飯は付け合わせのバターライスですが、なかなかしっとりしていておいしいご飯でした。
この国では、飢えるということはないでしょうね。

ホテルハットゥシャというドライブインで昼食。

この日、琴欧州が優勝したということで、ツアーのメンバーのTさんがみんなにビールをごちそうしてくださいました。
デビュー以来のファンだそうです。
「琴欧州、優勝おめでとう!!」

ハットゥシャではヒッタイト王国の遺跡を見学。
 ヒッタイト遺跡の入り口にある城壁の復元模型
広大な遺跡、もちろん世界遺産です。
エジプトなどと交流していたなごりの、ライオンの門やスフィンクスの門が残されていました。

 ライオンの門<アスラン>
アルプさんのミドルネームもアスランですって。アスランて、ライオンのトルコ語かしら?
 ヒッタイトの軍神のレプリカ。本物はアンカラの博物館にあるそうです。

『ヒッタイト(英:Hittites)は、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話しアナトリア半島に王国を築いた民族。ハッティの英語名で、旧約聖書の Hitti(ヘテ人、ヘト人)をもとにして、イギリスのA.H.セイスが命名した。
また、この民族が建国したヒッタイト帝国(王国とも)を指す。首都はハットゥシャ(ボアズキョイ遺跡)。』(ウィキペディアより)

私は知らなかったけど、少女マンガにヒッタイト王国が取り上げられて、若い世代の人たちの間では有名みたいですね。

ここを踏まえて、アンカラでは博物館でより深くお勉強したいと思います。

 羊の群れとすれ違う

ようやく!!カッパドキアに着きました。
豊かな農村地の黒海地方からどんどん内陸に入って、ここまで来たらもう高い木はありません。
カッパドキア地方は、岩肌丸出しの荒涼とした風景です。

チェックインしたホテルはテメンニ・エビィという洞窟のホテル。
この辺りの洞窟の家は、オスマントルコ時代はキリスト教の人々が住んでいましたが、アタチュルクによる独立の後、ギリシャにいるイスラム教徒とこの辺りのキリスト教徒が民族交換により住む人がなくなって以降、ホテルやレストランとして利用されているそうです。

 お部屋の中  お部屋の天窓  素敵な鏡

素敵なホテルで、私たちの部屋は天窓があって、ひときわ素敵なお部屋なんだけど、ドアの立付けが悪い。
鍵が締まらない!!
こんどこそ、パニック!!

ホテルのオーナーが優しく慰めて、こつを教えてくださる。
お陰で私は、コツを飲み込み、完璧に開け締めできるようになりましたよ。

 ホテルの鍵

とにかく、今夜は疲れたのでホテルで食事をしましょう。

 レストランの中もおしゃれです。

おいしいトルコ10日間(その1)

2008-06-02 09:35:34 | 旅行
ーおいしいトルコ10日間(その1)ー
トルコーイスタンブールーギズレンーアマスィア

お正月に義従妹から誘ってもらって、まだまだだと思っていたら、とうとうこの日がやってきました。

この旅行は旅倶楽部「こま通信」の小松さんが企画したもの。
こちらのホームページでも紹介されていますので、興味のある方はどうぞ。

成田出発なので、私たち関西4人組は伊丹から飛行機で成田ヘ向かう。
10時50分、成田空港でツアーの皆さんと待ち合わせる。
総勢、14人のメンバー、ご夫婦が3組、あとは女性のグループでした。

午前12時50分、トルコ航空で出発。
飛行時間は約12時間。
日本との時差は6時間。
22日19時20分、イスタンブール着。
 空港では、ガイドのアルプさんが迎えてくださいました。
日本語が堪能な33歳、イケメンです。

この日は空港に近いホテルで1泊。
早朝(午前4時起き!!)集合して、イスタンブールのアジアサイドにある地方空港より、トラブゾンに向かう。
黒海沿岸の街、トラブゾンではバスが待機していて、まずスメラ修道院に向かいました。

このバスは、ゆったりしたシートで、リクライニングも深い。
車内で本が読めちゃうくらい、乗り心地抜群です。

でも、目的地の修道院は山奥にあり、大型バスでは入れず、小型の車に乗り換えて、さらに徒歩で向かいます。

 切り立った岩に張り付くように建てられたスメラ修道院。
このビューポイントから、徒歩で目指します。

この修道院は4世紀に建てられたらしいのですが、その後オスマントルコの時代にも尊重されていた由緒ある修道院だといいいます。

今は廃墟となって、修復中でした。
洞窟の中の神殿に描かれたキリストや聖書の物語。
何世紀を経ても、私たちに語りかける壁画。
ここで修行していた人たちの思いが伝わるようでした。

 大天使の壁画

大型バスが待機しているところまで戻ると、きれいなレストランがありました。
初めてのトルコでの食事。
朝はボックス入りのサンドイッチだったので。

 これは黒キャベツのスープ、美味!!
せせらぎを聞きながら、太陽の光に祝福されての昼食。
うーんトルコ料理って、なかなか癖がないお料理で、おいしいやん。
それにも増して、新緑の中、涼やかな風の中のビールが格別!!

 これが、トルココーヒー。
下にコーヒーが沈殿していて、上澄みを飲む。
あまり私の口には合わなかったけど…。

さて、元気を補給して、トラブゾンに戻りました。
 アヤソフィアって、イスタンブールのものだけじゃないのですね。
この街にもありました。
歴史の古さとともに、これを建てた人のセンスの良さも感じられます。

古い教会を探して、小さな村を歩いて通り抜けたら、いろんなものに出会いました。
 
サクランボの実、昼寝するネコ、道ばたで子供のお守りをしながらおしゃべりする主婦たち、レース編みをしている人もいました。
 きれいなお母さんと子供

こんな坂道の多い場所でサッカーに興じる子供たち。
女子大生のグループにも会いました。
「メルハバ!!(こんにちは)」
みんな笑顔で挨拶してくれました。
目指す教会は改修中で見せてもらえなかったけど、楽しい散歩になりました。


バスは、黒海沿岸の長い海岸線を延々と走って、今日の宿、ホテルニュージャスミンに着きました。

夕食まで、近所の八百屋さんへ出かけて、ビールとサクランボを買ってきました。
サクランボが安くておいしい。

海岸では、大勢の人が釣りをしていました。
見てきた人の話では、鯵がたくさん釣れていたそうです。
トルコでは日没が遅く、夕暮れ時を飲んだり食べたりして海岸で楽しんでいるようでした。
それも男性ばかり。
女性は家で夕食の支度でしょうか?

黒海沿いはヘーゼルナッツの畑が多くて、農民の人が多そうでした。
お魚が食べられるかと、楽しみにしていたのですが、ホテルでのディナー、メインはこれでした。


トルコは、食料自給率100%以上だそうです。
うらやましいですね。


3日目、朝ご飯を食べていると、海にいるかの群れが泳いでいるのが見えました。


トルコ独立の父、アタチュルクが上陸したというサムソンという町を目指していたら、バスが故障。
2時間ほど立ち往生。
旅にはトラブルが付きものとはいうものの、前途に不安がよぎります。

ひとつ前の町からバスが来てくれて、乗り換えて再出発。
新しいバスは、普通の観光バスで、長く座っていると足がむくんだり、腰が痛くなったりしました。
私たちのバスへのありがたさが身にしみてわかりました。
故障が直るといいのですが。

途中のドライブインで昼食。
バスの運転手さんの「黒海一おいしいレストラン」というご推薦ですが、果たしてー?


これは、ピデというものです(たぶん)。
ピザの生地の中にチーズが入ったようなものでした。


時間がないからサムソンでは見学しない、と言いながら、アタチュルクさんの船を見ると、やはり見学することに。
観光客や、遠足の学生で一杯。
子供たちに囲まれで、写真を撮ったり、かたこと英語でおしゃべりしたり。

さらにバスで、内陸の町アマスィァへ。
 切り立った谷底のような、川の両側にアマスィアの町はありました。
ここは、紀元前3世紀から、ローマ人が来るまで栄えていたポントス王国の首都。

 アマスィアの八百屋さん、トルコ国内、どの八百屋さんも新鮮な野菜や果物でいっぱいでした。

ホテルに荷物を置いてすぐに博物館へ行ったんだけど、閉館時間でアウト。
バシェット2世のモスクを見学してから、王の墓へ行くと、これも閉門。
明日の朝に積み残しになりました。
モスクでも、カッパドキア地方から見学に来たという高校生たちに囲まれて、写真を撮ったりおしゃべりをしたりしました。
みんな人なつっこくて、日本人のことがとても好きみたいでした。


ホテルはEmin Efendi Hotel。
写真の川に面した建物の裏側、細い路地を挟んで両側に建っていました。
私たちの部屋は山側。
古い木造の建物でした。
ちょっと日本の温泉場の景色に似ていなくもありません。



ホテルのロビーから階段を上がって、お部屋につながる廊下を行くとセンサーで電気が点くしかけですが、その時間が短い。
ぼやボヤしていたら、すぐに真っ暗になってしまいます。
おまけに、部屋に入ったとたん、ドアがばたんと締まって、ノブが回らなくなってしまいました。

義従妹がホテルの人に連絡してくれて、やっと開けてもらいました。
彼女が汗かいて走り回ってくれている間、私と同室の先輩はビールを飲んで一休み。
締め込まれて、焦ってもしようがないからね。
義従妹には、悪かったけど。


部屋の前にはモスクと煙突のようなものについている拡声器。
いやな予感。

 スープと
 デザート

夕食が終わって、町に散歩に出かけました。
たくさんの人が川辺で寛いでいました。
屋台もでていて、アイスクリーム屋さんは大にぎわいでした。

 ライトアップされた岩窟墳墓

さて、就寝ーと思ったら、拡声器からコーランの声。

そして、眠れない夜をうつらうつらと過ごしていたら、突如暗闇からコーランの声。
時計を見たら午前4時でした。

結局、6時の起床時間まで、眠れませんでした。
あー、疲れるー!!
旅はまだ始まったばかりなのに。

ーつづくー