マダムようの映画日記

毎日せっせと映画を見ているので、日記形式で記録していきたいと思います。ネタバレありです。コメントは事前承認が必要です。

おいしいトルコ10日間(その4)

2008-06-03 14:35:48 | 旅行
ーおいしいトルコ10日間(その4)ー
アンカラ


アンカラに到着すると、まず、アタチュルク廟へ。
日本人にはなじみの薄いアタチュルクですが、トルコの人はとても尊敬していました。


『ムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Atat?rk, 1881年3月12日- 1938年11月10日)は、トルコ革命の指導者、トルコ共和国の初代大統領(在任1923年10月29日 - 1938年11月10日)。日本では、彼の革命当時の呼び名であるケマル・パシャの名で言及されることも多い。』(ウィキペディアより)

第一次世界大戦後、オスマントルコの王様が連合軍との約束で、国土を分割することに同意したことに反旗を翻し、革命を起こし、トルコに独立をもたらした英雄です。
この時、彼は政教分離を掲げ、文字をアラビア文字を使うのをやめ、アルファベットを基礎にしたトルコ文字を創設したそうです。

ガイドのアルプさんもアタチュルクのことを熱く語ってくれたし、現在のトルコはアタチュルクの理想を元に、みんなが心をひとつにして国のために努力しているように思えました。

「アナトリア文明博物館」で、いままで見てきた遺跡の復習を。
 世界最古に近い女神像。トルコの人は女神信仰がしみついているそうです。
 これが本物のヒッタイトの軍神

閉館時間になってあわてて飛び出したら、激しいスコールに遭いました。
バスがまだ来ていなくて、みんなで固まって木の影で雨宿り。
わずかな時間だったのに、びしょぬれになった人もいて、散々でした。

雨が上がるのを待って、次に訪れたのはアンカラ城塞跡。
でも、私たちは城内に入ったとたんにみつけたお土産物屋さんで、足が止まってしまいました。


これが、私が家族のために買ったお土産の数々。

ここの若い店員さんが、長身の素敵な人で、あれもこれもと言っていたら、まだ買っていないのにおまけをくれるし、どんどん負けてくれるし。
めちゃ、優しいお兄さんでした。



我に帰って、みんなはどこかな?
アンカラ城の城塞に続く道を追いかけて行きました。
かつては大きな門で閉ざされていたのでしょう。
私は映画「ロードオブザリング」の主人公たちが、踊る子馬亭へ行く時に通る城門を思い出しました。


城壁に登って町を見下ろしました。



夕食は城内にあるワシントンという一流レストラン。
小泉元首相も来られたということで、写真が飾ってありました。

 名物のなすの料理

 メインの肉料理

 デザート

ここのオーナー兄弟が、アメリカで修行をして開いたという味自慢のお店。

お腹がいっぱいになって、巨大ショッピングモールで時間つぶし。
どこの国でも、スーパーが面白い。
もう少し時間があったら、ピクルスや果実酢なんかを買いたかったなあ。

おっと、シネコン発見。
「インディ・ジョーンズ」をやっているみたいですね。
ちなみに、トルコの映画は吹き替えが多いそうです。


それから、アンカラ駅に向かいました。
 アンカラ駅
ここから、夜行列車でイスタンブールに入ります。
異国の夜のステーションはなんとなくロマンティックです。

 駅の売店

 プラットホームで乗客に食べ物をねだるネコ


さあ、列車が入ってきました。
二人ずつのコンパートメント。



思ったより普通の列車だけど、私はとても疲れているので、列車に揺られているくらいがちょうどいい寝心地じゃないかな?

では、おやすみなさい。

おいしいトルコ10日間(その3)

2008-06-03 14:17:02 | 旅行
ーおいしいトルコ10日間(その3)ー
カッパドキア泊ートゥズ湖

次の朝、モーニングコールは4時。
気球に乗る日なんです。
でも、雨は上がったけど、風があって、なんだか怪しい天気。
みんなが集合したのに、中止が決定しました。

解散してお部屋でごろごろしていたら、5時にまた電話のベル。
「やはり飛ぶって!!早く早く」
大急ぎで気球の業者が差し向けてくれたバスに乗って、出発地点へ。

 私たちが乗せてもらえるのは、どれかなあ?

「あと、2分で出るよ、急いで!!」
いまにも飛びそうな気球を見ながら、期待に胸を膨らませていたら、あらあら、その気球がしぼんで畳まれて、乗り込んでいた人が降りてきました。

「今日は風が強いから中止ー」
それはないよー。
でも、安全のためだから、仕方がないですね。
次の日の予約を入れようとしたけど、予約が一杯で結局乗ることはできませんでした。


この写真は、次の朝、うらやましい思いで見上げた気球です。

できないことをとやかく言っていたも、仕方がありません。
ツアーの皆さんは前向きです。
「小松さん、この旅行のタイトルは『おかしなトルコ~』の間違いじゃないの?」と笑い飛ばして、出発です。

 ホテルのテラスから見たユルギュップの町

カッパドキアとはペルシャ語で「美しい馬の地」という意味だそうです。
ここも世界遺産。

デリンクユ地下都市、"妖精の煙突"と呼ばれる多様な奇岩、ギョレメ谷、ギョレメ国立公園、岩窟教会、、ゼルヴェ谷、アヴァノス、ウチヒサルの岩の要塞、ウフララ渓谷とソアンル。
さらに、ローズバレーやラバーズバレーなど、かなり時間をかけて見て回りました。

 デリンクユ地下都市への入り口
 ギョレメ博物館の暗闇の教会内部の壁画ー保存状態の良さに驚きました。
 ギョレメ博物館のりんご教会内部の壁画、キリスト教の壁画の上にイスラム教の幾何学模様を塗ったことがわよくわかります。

でも、この風景や感動を、とても言葉で説明できるものではありません。
写真で少し紹介しますが、日本にいてこの風景を想像するのはとても難しいと思います。
まあ、トルコという国全体が、そういう国です。
自然にしても、国土にしても、歴史にしても、文化にしても、とても多様で複雑で、ひとつや二つの器に納まるものではありません。
興味のある方は、ぜひ訪れてくださいね。

 ?妖精の煙突?と称される奇岩が並ぶ
 親子岩
 らくだ岩
 その地名の通り、馬もいました。
 こんな岩も、
こんな岩も、
まるで、2頭のライオンが吠えているようなこんな岩も。

お昼ご飯を食べたのは、やはり洞窟のレストラン。

 レストラン内部
 レストラン入り口
 つぼ焼き
 マントゥー、小さいワンタンのようなものをゆでてヨーグルトソースをかけたもの。 チャイ

カッパドキア最後の夜は、各自夕食を済ますことになりました。
私たちは町に出て、レストランを探しました。
そしてみつけたレストランで、カッパドキアワイン「トラサン」を開けてもらいました。

 肉のケバプとサラダ
 子羊のロースト

これはホテルの朝ご飯 

あ、忘れていました。
 トルコアイスを売っていたお兄さん。

この近くの売店で、「ホジャ」という人について書かれた、きれいな絵本が売っていました。
英語版の横に日本語版もあってびっくり。
ホジャというのは、トルコの一休さんのような人だそうです。
暇を見つけて読みたいと思っています。
 

さて、カッパドキアを後にして、バスは一路首都アンカラへ。

途中、塩湖「トゥズ・ギョル」を通りました。
 足下は砂や土ではなく、塩の結晶です。

トルコの塩がとてもおいしいことに気づいたのは、最初の野外レストランでした。
トルコの塩はほとんどがここで作られているそうで、おいしい塩の秘密はこの湖にありました。

昼食に立ち寄ったドライブイン。
名物はこれ。 ピデ

 アイラン(ヨーグルトを水で割って塩を加えた飲み物)、とトマトサラダと一緒に

おいしいトルコ10日間(その2)

2008-06-03 12:03:20 | 旅行
ーおいしいトルコ10日間(その2)ー
アマスィアーハットゥシャーカッパドキア(2泊)ートゥズ・ギョル(塩湖)

 
朝の食事はホテルの中庭で。
とてもいいお天気だけど、この旅行のメインエベント、明日は気球には乗れるのかしら?

さて、昨日行けなかった博物館へ。
古代からの遺跡や豪華な民族衣装などをさっさと見て回りました。
一番驚いたのは、ミイラの展示。
4、5体ありました。
ちょっと、苦手です。

そして、王の墓へは、昨日と同じ石段をどんどん上って行きました。

城門を入ると、王の墓はいくつもあって、道は二つに分かれていました。
私は緩やかな道を選びました。
それでも、岩をくりぬいて作られた階段や坂道はつるつる滑って転びそうです。

たどり着くと、そこはアマスィアの町を一望できる絶景の場所。
王は今も自分の領土を見下ろして、町を守っているようでした。
 王の墓からアマスィアの町を臨む。

王の墓から下りてきたら、女子高生と思える団体に出会いました。
今から、見学するようです。


余談ですが、トルコはイケメンも多いけど、なにより女性がとてもきれいです。
髪はスカーフで隠されていてわかりませんが、瞳は緑色やブルーなどさまざまで、肌が白い。
これも東西文化交流のなせるわざでしょうか。

町に下りて行くと、あ、昨日故障で別れたバスが、私たちを迎えにきてくれました。
よかったー!!
 これが私たちのバス

運転手さんはアマスィアの出身だそうで、昨日は親戚の家に泊まったそうです。
そして、そこの主婦が焼いたパンをお土産に持ってきてくれました。


トルコは本当に豊かな国です。
レストランではパンが山盛り出てきて、しかも無料。
ご飯は付け合わせのバターライスですが、なかなかしっとりしていておいしいご飯でした。
この国では、飢えるということはないでしょうね。

ホテルハットゥシャというドライブインで昼食。

この日、琴欧州が優勝したということで、ツアーのメンバーのTさんがみんなにビールをごちそうしてくださいました。
デビュー以来のファンだそうです。
「琴欧州、優勝おめでとう!!」

ハットゥシャではヒッタイト王国の遺跡を見学。
 ヒッタイト遺跡の入り口にある城壁の復元模型
広大な遺跡、もちろん世界遺産です。
エジプトなどと交流していたなごりの、ライオンの門やスフィンクスの門が残されていました。

 ライオンの門<アスラン>
アルプさんのミドルネームもアスランですって。アスランて、ライオンのトルコ語かしら?
 ヒッタイトの軍神のレプリカ。本物はアンカラの博物館にあるそうです。

『ヒッタイト(英:Hittites)は、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話しアナトリア半島に王国を築いた民族。ハッティの英語名で、旧約聖書の Hitti(ヘテ人、ヘト人)をもとにして、イギリスのA.H.セイスが命名した。
また、この民族が建国したヒッタイト帝国(王国とも)を指す。首都はハットゥシャ(ボアズキョイ遺跡)。』(ウィキペディアより)

私は知らなかったけど、少女マンガにヒッタイト王国が取り上げられて、若い世代の人たちの間では有名みたいですね。

ここを踏まえて、アンカラでは博物館でより深くお勉強したいと思います。

 羊の群れとすれ違う

ようやく!!カッパドキアに着きました。
豊かな農村地の黒海地方からどんどん内陸に入って、ここまで来たらもう高い木はありません。
カッパドキア地方は、岩肌丸出しの荒涼とした風景です。

チェックインしたホテルはテメンニ・エビィという洞窟のホテル。
この辺りの洞窟の家は、オスマントルコ時代はキリスト教の人々が住んでいましたが、アタチュルクによる独立の後、ギリシャにいるイスラム教徒とこの辺りのキリスト教徒が民族交換により住む人がなくなって以降、ホテルやレストランとして利用されているそうです。

 お部屋の中  お部屋の天窓  素敵な鏡

素敵なホテルで、私たちの部屋は天窓があって、ひときわ素敵なお部屋なんだけど、ドアの立付けが悪い。
鍵が締まらない!!
こんどこそ、パニック!!

ホテルのオーナーが優しく慰めて、こつを教えてくださる。
お陰で私は、コツを飲み込み、完璧に開け締めできるようになりましたよ。

 ホテルの鍵

とにかく、今夜は疲れたのでホテルで食事をしましょう。

 レストランの中もおしゃれです。