6月20日午前1時15分頃、私たちの大切な宝物、チャコがお星様になりました。
チャコを可愛がってくださった人たちのために、チャコの追悼を書きたいと思います。
今から11年前に、チャコは生まれました。
お母さんはビーグルのミッキー、5匹兄弟の一番お姉さんでした。
生まれて間もなくのチャコとお母さんのミッキー。チャコは、お母さん似ね。
【ミッキーの飼い主で、チャコを取り上げてくださったかよさんが、チャコを我が家に連れてきた下さった時に、チャコの写真とともに下さったお手紙】
1996.10.6 夜中の2時頃生まれました。
一番最初に産声をあげ、その元気な声で、私は飛び起きました。
体重は280グラムでした。
1ヶ月後の11月5日には900グラムになっていましたよ。
ドッグフードも食べれるようになりましたが、まだ、お母さんのお乳を求めて走り回っています。
しばらく大変だと思いますが、よろしくおねがいします。
我が家へ来た頃のチャコ
今だから言いますが、この時住んでいたマンションは犬を飼ってはいけないマンションでした。
お手紙にあるように、チャコが我が家へ来た当時は、ほんと大変でした。
夜はずっと泣いているし、家具やスリッパ、靴までも噛みちぎるし、しつけのできない甘い飼い主の私たちは、チャコに振り回されっぱなしでした。
でも、これは、チャコのせいばかりではないね。
私たちが甘やかしたせいです。
思春期を迎えた末っ子の次男が、難しくなっていた時期でした。
チャコの効果はてきめん、チャコは家族の潤滑油として、大切な存在になったのでした。
チャコとの幸せな生活は、永遠に続くと思っていました。
それなのに…
去年の秋から、ただの脂肪腫と思っていたものが変化し、結局癌になったようでした。
今年のお正月
最初の出血のときはパニックになりました。
「チャコが死ぬ!!」って恐怖でした。
でも、癌だと覚悟が決まってから、できるだけチャコがしんどくないように、そして、みんなの生活のペースも変えないように、平常心でいようと心がけました。
チャコは今年の5月の始めからすごく悪くなったのですが、出血や痛みにも耐え、何度も復活してくれました。
タイトルにある写真が、亡くなる12時間ほど前の写真です。
なんと、穏やかに私を見つめていることでしょう。
自分の死期を悟り、私のことを忘れまいとみていてくれたのだなあ。
生涯で一番かわいい顔だと思います。
さて、この夜中にチャコは静かに息を引き取りました。
次男は宵の口からチャコについてくれていたし、夫も間に合いました。
口を閉じさせてあげて、目を閉じさせてあげたら、まるで眠っているようでした。
自分の使命を知っていたのでしょう。
次男の成長を見届け、どんなに酔っぱらって夜遅くても、1日2回の散歩を欠かさなかった夫の帰りを待っての最期でした。
20日は水曜日で、週に一度長男が帰って来る日でした。
さらに不思議なのは、東京で働いている長女が大阪へ出張で帰って来る日だということでした。
次男も、水曜日はたいていクラブで食事は外になるのですが、この日は遅くなりましたが家で食事をしました。
チャコのお陰で、図らずも家族が揃うこととなったのです。
チャコの亡骸をみんなに見てもらって、ごちそうとワインでチャコを送りました。
3人兄弟が揃うなんて珍しいことなので、たくさん写真を撮りました。
涙のない、楽しいお弔いでした。
私は最後の夜もチャコのそばで寝ました。
まるで、眠っているとしか思えないチャコでした。
亡骸でも側に置いておきたいと思いました。
最後の夜
【私から子供たちへのメール】
21日午前10時半頃、チャコを火葬場に運んで行きました。職員のみなさんは手慣れた感じで丁寧に応対してくれました。今ごろチャコの魂は肉体から離れお母さんのミッキーが待つ天国へ旅だったことでしょう。家族が集まってチャコを送れて良かったね。この家族、私の誇りです。ありがとう。
【長男からのメール】
大したことはしてやれなかったが、チャコは幸せにあの世へ旅立ったことでしょう。
【娘からのメール】
チャコもきっと幸せな一生やったかな。うちも帰れてよかった。チャコが呼んだとしか思われへんね。
チャコは、天国へ旅立ちました。
病気になったことは、ほんとうに不運なことでしたが、チャコは家族の絆そのものだったし、絆の大切さを私たちに教えてくれたと思います。
チャコに会えてよかった。
チャコがうちの子になってくれて、本当によかった。
チャコを可愛がってくださった皆様に、心からお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
しばらくこうしてチャコを忍ぼうと思います。
敷いてあるのは、チャコが我が家に来た時にくるまれていた、ミッキーとミニーがキスをしている柄のバスタオルです。
チャコを可愛がってくださった人たちのために、チャコの追悼を書きたいと思います。
今から11年前に、チャコは生まれました。
お母さんはビーグルのミッキー、5匹兄弟の一番お姉さんでした。
生まれて間もなくのチャコとお母さんのミッキー。チャコは、お母さん似ね。
【ミッキーの飼い主で、チャコを取り上げてくださったかよさんが、チャコを我が家に連れてきた下さった時に、チャコの写真とともに下さったお手紙】
1996.10.6 夜中の2時頃生まれました。
一番最初に産声をあげ、その元気な声で、私は飛び起きました。
体重は280グラムでした。
1ヶ月後の11月5日には900グラムになっていましたよ。
ドッグフードも食べれるようになりましたが、まだ、お母さんのお乳を求めて走り回っています。
しばらく大変だと思いますが、よろしくおねがいします。
我が家へ来た頃のチャコ
今だから言いますが、この時住んでいたマンションは犬を飼ってはいけないマンションでした。
お手紙にあるように、チャコが我が家へ来た当時は、ほんと大変でした。
夜はずっと泣いているし、家具やスリッパ、靴までも噛みちぎるし、しつけのできない甘い飼い主の私たちは、チャコに振り回されっぱなしでした。
でも、これは、チャコのせいばかりではないね。
私たちが甘やかしたせいです。
思春期を迎えた末っ子の次男が、難しくなっていた時期でした。
チャコの効果はてきめん、チャコは家族の潤滑油として、大切な存在になったのでした。
チャコとの幸せな生活は、永遠に続くと思っていました。
それなのに…
去年の秋から、ただの脂肪腫と思っていたものが変化し、結局癌になったようでした。
今年のお正月
最初の出血のときはパニックになりました。
「チャコが死ぬ!!」って恐怖でした。
でも、癌だと覚悟が決まってから、できるだけチャコがしんどくないように、そして、みんなの生活のペースも変えないように、平常心でいようと心がけました。
チャコは今年の5月の始めからすごく悪くなったのですが、出血や痛みにも耐え、何度も復活してくれました。
タイトルにある写真が、亡くなる12時間ほど前の写真です。
なんと、穏やかに私を見つめていることでしょう。
自分の死期を悟り、私のことを忘れまいとみていてくれたのだなあ。
生涯で一番かわいい顔だと思います。
さて、この夜中にチャコは静かに息を引き取りました。
次男は宵の口からチャコについてくれていたし、夫も間に合いました。
口を閉じさせてあげて、目を閉じさせてあげたら、まるで眠っているようでした。
自分の使命を知っていたのでしょう。
次男の成長を見届け、どんなに酔っぱらって夜遅くても、1日2回の散歩を欠かさなかった夫の帰りを待っての最期でした。
20日は水曜日で、週に一度長男が帰って来る日でした。
さらに不思議なのは、東京で働いている長女が大阪へ出張で帰って来る日だということでした。
次男も、水曜日はたいていクラブで食事は外になるのですが、この日は遅くなりましたが家で食事をしました。
チャコのお陰で、図らずも家族が揃うこととなったのです。
チャコの亡骸をみんなに見てもらって、ごちそうとワインでチャコを送りました。
3人兄弟が揃うなんて珍しいことなので、たくさん写真を撮りました。
涙のない、楽しいお弔いでした。
私は最後の夜もチャコのそばで寝ました。
まるで、眠っているとしか思えないチャコでした。
亡骸でも側に置いておきたいと思いました。
最後の夜
【私から子供たちへのメール】
21日午前10時半頃、チャコを火葬場に運んで行きました。職員のみなさんは手慣れた感じで丁寧に応対してくれました。今ごろチャコの魂は肉体から離れお母さんのミッキーが待つ天国へ旅だったことでしょう。家族が集まってチャコを送れて良かったね。この家族、私の誇りです。ありがとう。
【長男からのメール】
大したことはしてやれなかったが、チャコは幸せにあの世へ旅立ったことでしょう。
【娘からのメール】
チャコもきっと幸せな一生やったかな。うちも帰れてよかった。チャコが呼んだとしか思われへんね。
チャコは、天国へ旅立ちました。
病気になったことは、ほんとうに不運なことでしたが、チャコは家族の絆そのものだったし、絆の大切さを私たちに教えてくれたと思います。
チャコに会えてよかった。
チャコがうちの子になってくれて、本当によかった。
チャコを可愛がってくださった皆様に、心からお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
しばらくこうしてチャコを忍ぼうと思います。
敷いてあるのは、チャコが我が家に来た時にくるまれていた、ミッキーとミニーがキスをしている柄のバスタオルです。