日本の子どもたちの問題 1 意欲

日本の子どもたちの問題 1 意欲

 

新型コロナウイルス問題で、文部科学省の意見は見当違いをしている。学校の教育時間数は問題にしているが、本質から離れている。またいろいろな教育評論家の意見も、子どもの置かれた状況の理解が不足している。

自民党の総裁選が賑やかに行われている。しかしどの候補を見ても、子どもに対するまともな意見は出てこない。

 

現在の日本の子どもの問題は、気力がなく、意欲が低い点である。もちろん全員ではないが、途上国の子どもたちを見ていると、日本の多くの子どもたちの発達過程で、意欲や気力が落ちていることは明らかである。

 

私は、45年ほど前まで山の中で生活していて、突然大阪市の真ん中に移住した。まず目についたのは、子どもの遊ぶ場所がないことである。住宅の並ぶ街中には、小さな公園があるだけで、遊んでいる子どもは少ない。その後愛知県に移って、アフリカの調査に行くようになって途上国の子どもを観察するにつけ、日本の子どもの置かれている立場が異常に見えてきた。

就学前から管理された空間でしか遊び場がなく、自由に遊べることが少ない。子どもは繰り返し自分の好きな遊びを行って、少しずつ遊びが進化してゆく。この中で意欲が次第に高めると考えられる。このことを2001年の愛知教育大学の教育実践総合センターの紀要の4号に書いた。

 

私の子どもの頃は、終戦直後で、十分な教育は行われていなかった。教員の数も足らず、15-6人いた教員の内に、正規の教員は3人ほどで、あとは高卒直後の代用教員であった。また5年生の時には、復員してきた教員が担任で、ほとんど授業を受けた覚えがない。ほとんど時間を付近の野山で駆け回っていた。現在のように時間数など問題にしなかったが、誰も貧しくても人生に困ってはいなかった。

 

今回の自民党の総裁選を見ていても、子どもを中心になどと言ったり、予算をつけることを言ったりしているが、子どもの成長の基本を理解している人はいない。

 

日本は今後も、子どもの成長で問題を持ち続けることであろう。各自気が付いたら自衛するしかない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )