新型コロナウイルスで見えたもの

新型コロナウイルスで見えたもの

中国で始まった新型コロナウイルスで、日本でも学校の閉鎖が問題になっている。このニューで、中国では子どもと学校はインターネットで繋がり授業をしていると言う。ところが日本では、まだインターネットはそのレベルにはなく、子どもたちは自宅で保護者が面倒を見ることになって、社会全体が慌てている。さすがファーウェイの国で、日本より進んでいるようである。しかしそれがどこまで普及したいるかは、ニュースだけでは分からない。中国が進んでいるからと言って、あまり追随することではない。

問題は、ITの普及の問題ではなく、技術に頼る社会がヒトの成長をどのように歪めるかである。

世界の中で大きな遺跡を生んだ文化を見ていると、その文化を生み出した社会的余裕が大きなことが理解できる。社会的余裕とは、直接食糧生産に関わらない人々の多さである。日々生きるための食糧の確保に追われていると、様々な思考を巡らせて文化を生み出す余裕はない。その余裕を生み出した結果が、多くの遺跡が残っていると考えられる。

しかし遺跡を作った文化は、多くの場合には長持ちはしない。上層部は何らかの理由で崩壊し、遺跡だけが取り残され、食物を生産していた人々は、昔と変わらない姿で暮らしている。
結局、働かずに過ごして何代かすると、動物としての正常な成長が難しくなり、滅亡の方向に進むのであろう。

現在の日本も、政府はITの普及などに熱心になり、子どもの正常な成長に何が必要なのかと言った観点は失われている。親の暴力やいじめ、親子間での殺人など異常な現象が進みつつある。これはヒトが動物としての能力を発達することが出来ないままに大人になり、子どもを持つことにより、子どもを正常に成長させることが出来なくなっている現象であろう。

社会全体がこの点に早く気が付き、子どもの正常な発達を促さないと、やがて崩壊に向かうと予想される。

新型コロナウイルスで、何となく日ごろの問題がよりはっきりしてきた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )