雨屋の品定め

            雨屋の品定め  2013.5.2.  金森正臣

{これはカンボジアの「日本人会」の会報誌のために、書いたものです。}

 男が三人寄れば、女の話になるのは普通の現象である。そこでどんな話になるかは、集まったメンバーの人柄によるところが大きい。先日も4時間ほど熟年男が集まって、いろいろな話になった。特にその話のために集まったわけではなく、車で移動するはめになったので、時間つぶしの話題になっただけである。

 話題はカンボジアの女性と日本人の女性の相違になった。人は、それぞれ見ているところが異なるから、相違についても、それぞれ着眼するところが異なる。だからこそ百人百様で、全ての人に対応する相手が見つかるのであろう。以前に、数人の学生と車で移動しているときに、対抗車の特徴についてそれぞれの記憶の異なりを調べたことがある。殆どが異なる特徴をあげており、車の形であったり、色であったり、大きさであったり、メーカーであったりなどそれぞれ異なるところを見ている。これは学生であれば其々の20年ぐらいの人生を反映した、無意識の反映であろう。人生の中で無意識に封じ込められたそれぞれの経験が、外界を見たときに反映されて、それぞれ異なった観察結果になると考えられる。無意識の心理学を研究したユングは、言葉についてそれぞれの経験が同じでないと、意味が異なっていることを述べており、同じようなことが観察にも表れる。

 複数の意見の中に、カンボジアの女性は乳房が日本人に比べて高い位置にあると言う。乳房を乳腺と置き換えると、胸の上の大胸筋の上に形成される乳腺や脂肪組織からできている。この組織は、どこかに強く結びついているわけではなく、押したりすると少し移動したりするゆるい結合組織で胸に止まっている。さてその位置が高いかどうかは、なかなか難しい判定だが、私も以前から確かに高いように感じていた。
勿論、乳腺の位置も、ブラジャーなどで大きく見せたり上げたりしているので、判定は簡単ではない。もう40年以上も前に、女子大に勤めていた知り合いが、大学生向けの教科書を書いた時に、女性の成長と共にどの様に体系が変化するか、詳細に述べていた。どの様にしてデータを取ったのかと聞いてみたら、大手下着メーカーが20万人を超す膨大なデータを持っていることが判明した。その中には、乳房に関するデータもあった。勿論友人は、メーカーの調査や分析に何らかの協力をしていたようであるが。しかしカンボジアではこのような調査は無く、乳房の高さについては、原因と思われるものを考えてみるしかない。

 乳腺はもともと汗腺が変化してきたものであり、原始的な哺乳類とされるカモノハシでは、汗腺そのものである。カモノハシのお母さんは、ひっくり返って腹を上にして、汗腺から乳を出して、子どもはそれを「カモの様なクチバシ」ですくい取って飲む。ヒトでもしばしば副乳頭を持つ人が知られているが(最大では4対8個、9個が知られている)、これは人の脇の下から脇腹にある汗腺に沿って出現し、これからも汗腺起源であるとされている。汗腺はしっかりした結合組織を持っていないから、多少の移動ができるのが普通である。このような組織の多少の高さの差がどの様に起こるかは、なかなか思いつかない。
あれこれ考えているうちに思い付いたのが、カンボジアの女性の肩の張り方である。日本人の女性は、なで肩と言われる両端が次第に低くなる形が多い。それに対して、カンボジアの女性は、いかり肩、或いは衣紋掛(エモンカケ)と言われる両端まで高さが同じ形が多い。もちろんスーツなどを着ていると肩パットを入れているので、外見があまり変形していない場合だけを対象としよう。個人差はあるから、日本で「いかり肩」とか「紋掛け」と言う言葉があるのであろうから、いろいろ変化はあるであろう。また母乳で子育ての経験が多くなると、当然下降してくる。以前にタンザニアの女性の、乳房のことを書いたことがある。私の使っていたトラッカー(動物調査の助手)の母親は、40代後半で16人ほどの子どもを育て、左右で結べるほどに長くなっていた。母親には、当時1差未満の子どもが居り、とラッカーの4歳ぐらいの娘が、子ども(叔母)を子守していた。
 乳腺で唯一移動が出来ないのが皮膚の上の乳頭であろう。発生学的に考えると、先ほどの汗腺の上に位置する乳頭は、皮膚の上に発生する位置が決まっている。もちろん皮膚は伸縮性があるから、多少移動するとしても、肩からの位置は大きく変化しないであろう。カンボジア人の肩が0.5ミリ程度高かったとすると、乳頭の位置も高いことになる。たかが0.5ミリ程度と言っても、視覚的バランスとしては、確かに確認できる程度になる。形態人類学などでは、頭蓋骨を見ていて差が有ると思われるところを計測して見ると、2-3%の程度でも視覚的に確認できる。カンボジア人は、胴長な傾向が有り、乳頭の肩からの距離が短くなると、確かに高く見えるであろう。以前には日本人も、現在よりも胴長の傾向が有ったが、食の変化によってかなり変化してきている。例えば、オタマジャクシなどは、ハッチ(卵から出る)してから植物質を与えていて、数日後に一部分の個体を動物質の食事に切り替えると、2-3日で腸管の長さが短くなる。カンボジア人はかなり肉をよく食べるが、それでも植物繊維も多い。日本の戦後よりは栄養状態は良いとは言え、植物質は多いので、胴長なのではなかろうか。その上に肩からの距離が短いと、乳房は確かに高く感じるであろう。カンボジアでも最近の若者は、確かに胴が短くなり、足長に見えるようになってきている。
 なぜ乳頭が高いことが、好まれるのであろうか。多分先に書いた様に、出産や年齢を重ねると、次第に乳頭が下がると思われる。したがって、乳頭の高さが若さの象徴として印象付けられているのではないであろうか。日本人には、若い女性がもてはやされるが、文化が異なると必ずしも同じではない。私が調査地にしていた東アフリカのタンザニアの奥地では、若い女性よりも一度出産した女性が結婚相手を探しやすい。イスラムは、4人まで妻を持つが、夫を亡くした子持ちの未亡人は、結構再婚しやすい。確実に子どもを産める保証があるからと考えられる。チンパンジーにも同じ傾向があり、初めての出産になる若いメスは、あまり持てない。それよりも何回も出産したメスが、多くのオスに人気がある。これの方が、自分の遺伝子を残せる可能性は高いから合理的と言える。この様なことでも成熟した文化で育った日本人は、自然から離れてきているのであろうか。

 役にも立たないバカなことを考えていると、時間の過ぎるのが早い。ただでさえ人生の残り時間が少なくなってきているのに、と思いながら・・・。


写真1、コラ! ノーパンで垂れ流しだろう。もう立派に、いかり肩。朝の公園で。

写真2、プレービヒアの山の中の新しい村の、幼い姉妹。なで肩ではない。

写真3、誰かの結婚式。もう小学生・中学生になっているが、なで肩はいない。

写真4、誰かの結婚式に集まった美女軍団。やはりなで肩はいない。

写真5、カウンターパートの結婚式で、近所の親子。
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