言葉の壁と経験の壁

言葉の壁と経験の壁

 

以前にも書いたような気がするが、言葉には伝える限界がある。ユングは、同じ体験をしたものであれば、同じ言葉が同じ意味を持つが、体験が異なると同じ意味を持たないことに気が付いていた。

 

先日ある席で、若い人に自分の幅を広げるように進言した。その時に話しながら、意味が伝わっていないであろうと感じていた。その後しばらく考えていたが、やはり意味が伝わっていない無駄な話であったと反省している。

実際には何が間違っていたのであろうか。自分自身を振り返ってみて、思い当たることがいくつかある。自分がどのように世界を広げていったかを振り返ってみると、小学生時代に行き着く。どこでどのようにして自分の人生の幅を広げていったかを考えてみるといくつかの特徴がある。良く読書からいろいろな広がりを持つようになったっと書かれているが、これはあくまでも文章の上での出来事である。人生を振る反ってみると、本当は体験と組み合わさっていないと人生は広がっていない。

 

小学生のころ貧しかったので、一生懸命に仕事を探しながら生活した。またもらった仕事を再び続けられるように、いつも細心の注意をしていた。このころからどこに次の仕事があるかと注視していた。このことがいつも自分に必要なことをキャッチするアンテナを張る習慣になっていた。

もう一点は、自分が何をしたいかである。したくない仕事もしなければならないことも多いが、常に何がしたいかを考えていた。いやな仕事をしながら、なぜ嫌なのか、なぜ気が載らないのかを常に考えていた。このことによってアンテナにかかった情報が、自分に必要なものかを即座に判断できる様になったいた。

 

この結果、どこで何に出会っても、即座に決心がつき、新しい世界にも適応できるようになったものと思われる。

経験の少ない若い人に、世界を広げるように進言する場合には、もう少し具体的な話が必要であったと反省している。

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