カンボジアの交通事情 3 我先にと割り込む文化

カンボジアから   金森正臣(2005.12.21.)

カンボジアの交通事情 3 我先にと割り込む文化

写真;これは市場の中の風景である。狭い通路に沢山の荷物を積んだモトが入り込む。更に相手がいることも無視して入り込むから糞詰まる。向こう側に見える篭は、対向側から入ってきたモト。詰まってから物事を考えるのが、カンボジア流。なかなか先の見通しが立たない。カンボジア人はせっかちの様に見えるし、自分勝手の様に見えるが、必ずしもそうでもない。理解するのには、なかなか時間がかかる。

 カンボジアの庶民の足は、モトと呼ばれるバイクだ。一番人気は、ホンダのスーパーカブ。でもかなり高いので、勢い韓国製などの安いものになる。しかし、シートや方々に、HONDAと書いてある。だからといって性能が上がるわけでもないのだが。
 このモトは、輸送手段でもある。市場のおばさん達は仕入れたものを、全てモトに積み込んでくる。ドライバーの前後にも、シートにも山ほどの荷物となる。乗らない部分は、振り分け荷物にして左右にぶら下げる。写真でご覧の様に、モトの車幅は倍以上に拡大する。おばさんはこの荷物の上に乗っていたりするから、ドライバーの頭の上に乗っている様に見えることもある。ヒト以外の重さも、100kgは優に超えて乗せている。良くバイクが持つと感心する。最も、積み過ぎるとさすがに馬力が足りなくなり、ゴトゴトとゆっくりしか走れなくなったりしている。

 そのモトによって、市場の中の狭い通路の奧まで荷物を運ぼうとするから、くだんのごとく成る。これでは絶対に通れないのだが、糞詰まるまで前進する。詰まったところでお互いに、あれこれ工夫して通過する。ここで喧嘩にならないところは、カンボジアの特徴で、権利を主張して言い争うことも少ない。一生懸命に工夫して、そのまま通ろうとする。この場合も争いもなく、一部の荷物を下ろしてお互いに通過した。
 日本の場合にこの様なことになったら如何であろうか。多分どちらが早く入ったとか、どちらが正しいから下がらないとか言い争いになるのが関の山であろう。最も見通せる幅の広い場所で、あとから来たモトが、待つのかも知れない。
 この様な社会的行動の差を見ていると、文化の差がまざまざと感じられる。いったいどの様な条件が、この文化の差を生み出しているのだろうか。多分、自然環境も寿命も、仏教もいろいろ関係しているのであろう。

 以前にクメール正月に、地方に出かけたことがある。カンボジア人の多くは、クメール正月は自分の田舎に帰る。そのためプノンペンは2-3日ガラガラになる。従って地方への幹線は混み合う。国道6号線のプノンペンから1時間ぐらいのところで渋滞が起こって、なかなか動かなくなった。ここでも我先に割り込もうとするから、対向車線までいっぱいになり、当然渋滞は更に激しくなる。1時間位をかけて200m位を動いたら、渋滞の原因が判明した。モトと自動車が衝突し、4人ぐらいで乗っていたモトの1人が死亡していた。それを道路上に放り出したまま、両側を通ろうとするから、当然渋滞になる。さすがに死亡事故であると、その場で示談と言うわけにも行かず、お巡りさんが来るまで事故者を動かすことが出来なかった様だ。この時には帰りにも、私たちの車の2台ほど前が、モトにぶつかって乗っていた1人は、死亡した様だった。しかし他の車は、事故者を放り出したままどんどん通り過ぎて行った。結構交通事故が多いので、関わっていられないのであろう。
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