七夕の思い出

七夕の思い出

七夕には強い思い出が残っている。カンボジアにいた2007年7月7日の夕方、夕食に出かけて交通事故にあった。若者2人が乗ったバイクにぶつけられ左足の脛の下を複雑骨折した。バイクは逃げてしまったが(カンボジアでは普通。ほとんど捕まらない)、付近にいた高校生が助け起こしくれた。道路の脇でパーティーをしていた家族も手伝ってくれ、近くのベトナム系の病院に運び込まれた。高校生が英語が出来たので助かった。

病院の近くでコショウの店を出していた倉田さんに連絡が付き、すぐ来てくださった。手術室に連れて行かれて天井を見たらカビだらけ。これはダメだと言うことになって、国際医療のSOSに移動することになった。SOSからタイの病院に予約して、移動することに。処がこれがなかなか大変。払える証明が無いと飛行機の予約も取れない。如何せん支払いができることが明らかにならないと、救急車が来ても倒れている患者を載せることはない国であるから。倉田さんにお願いして、私の自宅から、パスポートやら財布やらを持って来て頂き、カードの条件を見たら出国から3月までは保証があるが、1週間ほど過ぎている。そこでカード会社に問い合わせて80万ほどの預金があるかチェック(これは、タイまでの飛行機代と付き添う医師の代金。医師が同行しないと飛行機に乗れない。何にもできない医師だったが)。このチェックに20時間ほど要したので、翌7月8日の夕方の便でようやくタイへ。この間に日ごろ交流のあった青年海外協力隊員が集まってきて、骨折している足を観察。内出血しているので太ももまでパンパンに肥大。痛さもしびれているようで感覚が変になっている。
タイの病院は、アラブ諸国のオイルマネーなどを当て込んだ高級病院で、全て個室。ホテル並みで、シャワー付き、長いソーファなどがついている。しかし足が不便で使うことが出来ない。9日の明け方になって、全身麻酔で手術。目を覚ましたのは病室で昼頃。診察には医師の居る階まで車いすで運ばれる。レントゲンを見せられたら、腓骨の先がずれていて、これでは自分でした方がましかと思ったが、ここはタイ、何ともならない。複雑骨折の場所をステンレスでつなぎ、半年ほどそのまま。年を取っていると回復も遅い。

不思議に不安はなかったが、かなりお金と時間がかかった。飛行機に通常の乗り口の反対側の食事などを積む口から乗る貴重な経験もした。

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