金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記
金森先生のカンボジア日記
茹で卵
2010年02月17日 / 食
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3b/f3/c73ef3c398053ca3901ad71b2dc411b7_s.jpg)
前回、「正臣会」のお礼と共に、年を重ねることにより、色々と思い出や考えることが多くなり、年をとるのも良いものだと云う事を書きました。会の折に、卒業生のある方から「ウコッケイ」の卵を頂きました。写真の様に右手の通常の卵よりやや小さいようですが、味はなかなかしっかりしておいしい卵です。
私は小さいときには卵が大好きで、母親と旅行するときには、いつも茹で卵を楽しみにしていました。大戦後の直ぐには、卵は貴重品で、病気の時か、何か特別な時でないとなかなか食べられませんでした。大学を卒業して直ぐに、山の中の実験所の助手になり、人里を離れたところで生活することになりました。このころには東京オリンピックが開かれる頃で、日本も景気が良くなり、卵は普通の食材になっていました。店まで4kmもあり、買い物も不便な実験所は、賄いのおばさんが、朝食は毎日、卵に海苔と沢庵で、2年間したら、すっかり卵が食べられなくなっていました。
結婚して20年ほどして、卵も普通に食べられるようになりましたが、頂いた卵を見ていて、突然小さかったころのことを思い出して、カンボジアに行くときには、茹で卵にして持ってゆくことを思いつきました。それと同時に、小さかったころに母親にわがままを言って困らせたことを思い出し、なんとも申し訳なかったと思いました。
男は、いや人は、幾つになっても、母親に助けられて生きています。薬師寺の管長をされていた高田好胤師に、「母」と言う講演テープがあります。高田さんは貧しい家に生まれで、母親とは5歳の時までしか一緒にいられなかったようです。70歳を過ぎたころの公演ですが、今でも母親に後押しされて、修業をしているとしみじみと語っておられます。また、頓知の一休さんのモデルで有名な、一休宗純和尚の句に、「おんなおば、法の御蔵というぞげに、釈迦も達磨もひょいと生み出す」と言うのがあります。すべてのことは、女の人から始まる、母親が原点だと云うのです。卵を見ながら、色々な感慨に浸りました。
年をとることはなかなか楽しいものですが、体力はだんだん無くなり、ゆっくりやるしかなくなります。ちょっと困ったものです。忙しくなると、つい書く間隔が空いてしまいます。カンボジアの教育支援が、軌道に乗り始め、今までの人生で2度目の忙しさです。
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