野点の道具 

野点の道具   2010.2.24.        金森正臣

 卒業生の会の折に、ある方から野点道具一式を頂いた。抹茶が好きで良く飲んでいたから、覚えていてくださった方からの贈り物。有難い。カンボジアでも時々飲んでいたけれど、最近は忙しくて抹茶にはならなかった。これから楽しみにして余裕を持とう。

 私が抹茶を好きになって、自分かたら立てるようになったのは、愛知教育大学に勤める様になった30年ぐらい前からである。それ以前は自分で立てることはなかった。しかし抹茶を頂く機会は少しあって、なかなかお会いし難い立派なお師匠さんから頂く機会が何回かあった。最初に頂いたのは、まだ中学生ぐらいで、長野県の山村に住んでいた頃である。華族出身のその方は、優雅な振る舞いで、立てて下さった。この方からは、大学卒業後もしばしば頂いた。勤めていた大学の実験所に遊びに来て下さって、ハルリンドウの咲く脇や、ハツタケ(キノコ)の生えている野原で頂いた覚えがある。京都の清水寺の大西丈慶師からご馳走になったこともあった。当時100歳を超えておられ、世界宗教会議の推進者として、熱く語られていた。ある時は冬の炬燵で生クリームのショートケーキを茶菓子として、ある時は裏の本堂の縁側で、谷に向こうの借景の灯篭を見ながら、京都らしい干菓子で。私は、お茶を習ったことはなく、作法が分からないと云うと、どの方も「楽しく飲めば良いと」いたわって下さった。

 野点が好きになったのは、京都大学理学部の森下正明先生が、調査時に野外で立てて下さったのが縁で、自分でも見様見まねでするようになった。実験室でも飲むようになった頃、茶碗がなくて、ビーカーを筒茶碗に見立てて立ててみたが、お湯がくるくる回るばかりで、抹茶が混じらず失敗であった。その時に茶碗の底にある茶だまりに意味があることが理解できた。日本やアフリカの調査でも、抹茶と茶筅だけ持ち歩き、時間のある時に気分転換に飲んでいた。我が家で抹茶を立てようとすると、奥さんは前に座り込み「私も飲む」と宣。奥さんは嫁入り前に、お茶を習っていた時期があったと聞いているが、自分で立てることは無く、私が始めると前に座り込む。

 私は茶道具を買ったことがほとんどなく、茶碗などはみな頂き物である。陶芸家の友達から頂くことが多く、結構な茶碗が多いから、その辺の店で買う気にならない。韓国の友人から頂いた白磁ものは、大井戸茶碗の様なゆったりとしたつくりで気に入っている。海外に出るときは、割れるともったいないので、旅先で代用になりそうなものを調達する。カンボジアの家で使っている茶碗は、1個1-2ドル程度のベトナムの焼き物である。ある時古いベトナムの茶碗を見つけて(日本でもベトナムの古い茶碗が国宝になっているものがある)、高かったので値切った。家に帰ってお茶を立て見ると、値切りすぎたのか僅かに水が漏れた。現在は使いこまれて、漏れなくなっている。
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