日本人の異常行動の始まり          

日本人の異常行動の始まり       2007.12.01 金森正臣

 先日、NHKの番組を見ていたら、孫への接し方を取材していた。家庭の事情があって、孫が同居するか近くに住むようになったらしい。なんと「チャイルド・ファミリー・コンサルタント」なる人物が登場して、接し方として次のような行動が示されていた。①目を合わせて話す、②笑顔で話しかける、③スキンシップ。もっともなことではあるが、日本人の異常さを見せつけられたような気がした。

 もう30年ほど以前になるだろうか。アメリカでトーマス・ゴートンが始めた「親業」なるプログラムが、日本に上陸してかなり盛んに各地で講習会がもたれた。多くの方々が参加された様である。私は一部分しか知らないが、何だかファミリーレストランの従業員のあいさつと同じで、親が子どもに接するのに、方法だけで良いものでは無さそうだと思っていた。親業は、実際にはファミレスの挨拶とは違って、もう少し丁寧に相手を思いやるように注意はしていたが、だいたい親を、一つの職業「業」として考えるのに違和感があった。親などは職業ではなくて、子どもを育てるうちに、自然と身に付く人間関係の現象である。特に訓練しなくても、持っている本能に従ってしていれば、自然に成長してくるものであろう。

 この様な問題が持ち上がってきた背景には、知識に頼りすぎて本能的部分を使わなくなって来ていることがあろう。例えば授乳の間隔にしても、子どものあやし方にしても、本やメディアの知識に頼り、本能を育てていない。何百万年の昔から、授乳は母親がしたくなったらする、子どもが欲しがったらするのでなんら問題は起こっていなかった。もし問題が起こるようであれば、人類は滅んでいたであろう。子どもの接し方も、可愛いから接するのであって、特別の技術は無く、自然に技量が成長する。ノーベル賞を貰った行動学者のローレンツは、子どもの体形や顔立ちは丸く多くの突起部分が少なく、愛され易く出来ていると述べている。彼は多くの動物の子どもの形態から、この様な結論に至っている。人が持っている親愛感情を引き出すようになっていると言うのだ。ところが、知識に頼って授乳や接し方を考えていると、親愛感情が成長しない。

 親愛感情は、個性がありその人の人生を反映している。ところが、番組で紹介されたようなマニュアル的行動は、個性が無く、年寄りと接する意味合いが少なくなる。個性のある年寄りと接することによって、多様性が子どもに伝わり、子どもの価値観の多様性が成長する。価値観の多様性は、子どもが困難に遭遇した時に、それを乗り越えるための手段であるから、単純化するともろくなる。本来あるべき行動が消失しつつあり、異常が起こり始めている。カンボジアの親たちを見ていると、本来あるべき姿を考えさせられることが多い。
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