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金森先生のカンボジア日記

金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記

老人のたわごと 1

2023年12月19日 | 自然現象

老人のたわごと 1

 

皆さん若い時には、気づきもしなかったことが年を取ると起こる。若い時には自分の体力でカバー出来ていたことが、どうしようもなく起こる。例えば、体力がなくなると歩く速度が遅くなり、長い時間歩くことが出来なくなる。

 

最近寺尾(井筒親方)さんが亡くなった。私も同じような経過で、心臓の病気を抱えている。症状もよく似ていているが、楽天家なので心配をしていない。既に十分に生きたし、やりたいことはやってきたので、思い残すこともあまりない。

 

自分ではコントロールが出来ないことが、起こっている。心臓が悪くなると、自分ではコントロールが出来ない。疲れないようにすることは出来るが、低気圧が来るとかなり調子が悪い。今日も脈拍が少なくなり43ぐらいになっている。こうなると用心しないと、しばらくすると胃の調子も悪くなる。総身に血液が回りかね、消化もままならなくなる。もう少し脈拍が少なくなると、あの世に移籍になるであろう。

 

それでも一日生きているのは、不思議な気がする。散歩もゆっくりと以前の半分ぐらいの距離を歩く。ケリが鳴きカモが沢山みられるとなんだか幸せな気分だ。


不登校の児童・生徒の増加

2023年12月18日 | 自然現象

不登校の児童・生徒の増加

 

学校に行けない児童・生徒は、増加するばかりで減る傾向は無い。皆さん苦労しているのであるが、教育に関わる省庁は、的確な対策を持っていない。問題が起きたらサポートすると言う姿勢から、問題の起源を検討すると言う方向に向かわないと、解決には向かわない。

 

教育の現場では、学校も児童・生徒とも縛られて生活しており、自由な裁量は少ない。私の感じでは、教育の専門を名乗る人々の視野が狭く、子どもの成長の基本を忘れている。小さい時から自由を奪われ、喧嘩も出来ない。喧嘩は自己主張の表現であり、その後の人間関係の修復の訓練である。これを小さい時から行わないと、自己の成長は望めない。

 

現在の人たちは人間関係が成長していないので、自己主張ができなくて生きかたが貧弱である。そのために、社会への適応がかなり困難になっている。この基本を忘れていると、いつまでも問題は解決しない。

 

少子化や離婚の多さも、この問題と無関係ではない。


テレビの食レポ番組

2023年12月15日 | 自然現象

テレビの食レポ番組

 

テレビで食レポ番組がかなり多く放送されている。しかしタレントは、食の経験が乏しいのであろうか。また美味しいものを食べていないのであろうか。

 

そもそも食べるものが美味しいのは、材料によることもある。また調理の良さにもよる。さらに重要なのが、食べる人の状況による。即ち、食材・調理・食する人の状況の3要素による。

 

食べる人の状況について、テレビではほとんど考慮が無い。食べる経験の中で、食に飢えた経験があるだろうか。数日食べていなくて、食べ始めるときの旨さは、食が体に栄養として入る感覚が素晴らしい。水を数日のまずに、水が口に入った時の体に回る感覚は忘れがたい。

 

食の経験の少ないタレントが、如何においしそうに見えるか演技をしても、底の浅さが見えるだけである。日本人は、本当の経験が少なくなってきている。


美人と不美人

2023年12月13日 | 自然現象

美人と不美人

 

日本では現在見かけの良い美人が溢れている。しかし実際に見ていると、輪郭だけが美人で、内容は少ないように思われる。

 

新しい美人を見つけるのには時間が必要である。新しい国に行くと、美人を見つけるまでに時間を要する。カンボジアに初めて行った時に、リーダーの名大の先生が、鼻から口のあたりに手を当て、カンボジア人はこの辺に問題があって美人は少ないのだと言った。確かに到着してみると、美人は少ないように思われた。

 

以前にアフリカに出かけたときも、なかなか年齢もわからないし、目鼻立ちが異なって個人の区別もつきにくかった。エジプトでは、スーダン人は良く働くが国が熱いので鼻が横に広がっていると馬鹿にしていた。確かにスーダニーは、鼻が横に広がっている。見た目はエジプト人とかなり異なる。

 

カンボジア人はいろいろの人種が混じっている。中国系も多いが、マレー系と思われる色の黒い人、バングラディッシュ系などいろいろである。はっきりベトナムの中部から来た、チャム人もいる。中には確かに鼻が横に広がっている人もいる。市場で見ていた時に、鼻くそを親指で掘っていたおばさんがいた。思わず後ろを向いて自分も親指を鼻にあてがってみたが、とても入る大きさではない。

 

しかしカンボジア人に慣れてくると、その表情の豊かさに驚かされる。戦火の銃弾の中を生き抜いてきた人々の、心の豊かさは日本人とは異なる。他人の苦労を共に助け、協力してくれる様には驚かされる。またカンボジアでは多くの子どもを育てている。子どもを亡くした経験もあるであろう。それらを乗り越えてきた強さは、優しさでもある。

 

日本に帰ってみると、一目美しく見える美人は多い。しかし豊かな感情を感じられる美人は少ない。人生の経験が貧弱だと、人間性も貧弱になる。


中学での切り付け事件

2023年12月07日 | 自然現象

中学での切り付け事件

 

住んでいる場所に比較的近い中学校で、授業中に同級生をナイフで切りつける事件が起きた。どのような事情があるかは不明だが、生徒がお互いに意見を交わしてぶつかり合うことが出来なかったようだ。

 

これが現在の日本の教育の大きな問題点のように思われる。この様な衝突に至る前に、各人はかなり苦しい思いをしていたであろう。しかしながらその思いを、表に出すことが出来ずに、行動に出てしまった。これが現在の日本の教育の結果である。

 

原因は小さい時から大人が子どもを管理し、子どもの自由は認められていない。乳幼児から大人の管理下にあり、自由に喧嘩することが出来ない。従って、自分の意思を表に出すことが出来ない。出してしまうとその結果を取りまとめる技術、すなわち和解の術が発達しない。

 

その結果、いきなり堪えきれなくなり、行動に出る。話し合いも何もできない。小さい時から衝突を繰り返していないので、その結果をまとめる術がほとんどない。これは現在の日本の教育の欠陥である。教育学を専門とする方々は、この様な基本的なことに気が付いていない。このために子どもたちは、どれほど苦しい思いをしているのであろうか。文科省も、この様な基本的なことについてもっと研究をする必要がある。子ども家庭庁などは、ほとんど役になっていない。


スーパーの広告

2023年12月01日 | 自然現象

スーパーの広告

 

家から買い物に行くスーパーは、数店ある。いずれも普通のスーパーであるが、1か所は週に数回新聞に折り込み広告を入れる。私は以前に新聞配達をしていたことがあるので、広告にどのくらいに費用がかかるかはおよそに見当がつく。

 

こんなに広告費がかかったら、費用がかさみ、品物が高くなるであろう。やはりあまり買い物には行かない。生き残るのも大変であろう。


人生に勝ち負けは無い

2023年11月29日 | 自然現象

人生に勝ち負けは無い

 

多くの人が、人生を勝ち負けで考えているようだ。しかし、人生に勝ち負けは無い。勝ち負けの判断をするのには、何かの基準が必要になる。人生は色々なものの組み合わせで、一つの基準では測れない。このことに気が付いていないと、何かの基準にとらわれて勝ち負けの判断をすることになる。

 

その基準なるものが、各自の無意識によっていることが多い。しかし多くの人は、無意識の存在を知らない。知っている人も、自分の無意識についての認識は極めて少ない。人生は実際には無意識に引き回されての格闘である。無意識は普段あまり知ることが出来ないが、夢を考えると比較的わかりやすい。誰に見せられているわけでもなく、自分の中にあるものを見ているだけである。

 

宮沢賢治の「ドングリと山猫」などをどのように読んでいるのであろうか。無意識の世界を投影しているとして読んでみると、ヤマネコの姿が無意識の世界と見ることが出来る。それなりのプライドと自身の無さが、いろいろな形で語られている。通常人の無意識は、自分では意識されない。

「注文の多い料理店」も同じように、都会から来た猟師のプライドと実力が垣間見え、現地の猟師とイヌに救われる。

銀河鉄道の夜などは、夢そのもののように思える。

 

以前に「ゲド戦記」と言う物語翻訳された。最初の一巻は「影との闘い」で主人公ゲドが自分の無意識と戦い、自分のものとして行く場面である。実際の人生では、なかなか自分の無意識(影)を自分で取り込むことは難しい。

 

禅宗の臨済派でよく使われる、「無門関」と言う公安集がある。この第1則に「趙州の狗子」と言う公安がある。師匠から公安を与えられ、それに格闘して自分の世界を開く。第1則の解説に、「妙悟は、心路を窮めて絶することを要す」と言う説明がある。これは自分の意識を追究し、意識を無くすことを指している。これによって自分の本当の姿を見ることであろう。

 

自分の無意識を自分のものにすると、越後の江戸時代の僧、良寛さんの様に、静に自分の人生を楽しむことが出来るであろう。人生は自分の意識と無意識の乖離を無くすための時間である。


言葉の不思議

2023年11月22日 | 自然現象

言葉の不思議

 

最近「子ども家庭庁」などで、子どもの意見を聞き中心に据えて、子どもに寄り添っているとされている。子どもの意見を聞き、それを中心に進めると、如何にも子どもに寄り添っているように聞こえる。実際にそうであろうか。

 

実際には子どものために、あまり働きが無いように思われる。子どもに現在必要なことは、小さい時から自由にして、喧嘩をして、仲直りをする方法を手に入れることである。年齢の各段階で、喧嘩をする程度が変わり、成長する身体は非常に合理的にできている。

 

そのような事実をよく観察もせずに、言葉だけで処理をすると、上のようなことになる。多くの人が、この言葉によって「子ども家庭庁」はそれなりに仕事をしていると思うであろう。しかし実際は、子どもの成長の実態とは離れている。

 

ユングは同じ経験をした者で無いと、同じ意味には言葉が伝われないと言っている。皆さんはこの様な経験が無いであろうか。言葉による意味の違いを、深く知る必要がある。


クマの増加

2023年11月17日 | 自然現象

クマの増加

 

今年はクマが街に出た情報が極めて多い。しかも子ずれが多く、昨年冬に多く生まれた可能性が高い。また子どもは2頭のことが多く見られ、昨年の繁殖期が順調だったことがうかがえる。

 

しかし親熊が急に増えるわけはなく、この数年の間に急激に増えた年が何年かあったように思われる。10年間ぐらいに2-3回の繁殖が良好な年があったのであろう。その結果、急激にクマの数が増えたのであろう。

 

日本では一時期クマが減少して、保護に向かった時期があった。しかし現在の状況では、人の命が脅かされている。クマの駆除について非難の意見が結構ある様だが、人間の命が第一である。冷静に考えて頂きたい。

 

長野県の軽井沢でのクマ追いの実績が高く評価され、そのようにすると良いと言う意見がある。しかし簡単にできるわけではなく、かなりの時間がかかる。長野県でも全県に普及しているわけではない。事情をよく理解していただきたい。


クマの捕獲に対する苦情

2023年11月13日 | 自然現象

クマの捕獲に対する苦情

 

今年はクマの町への出没が多い。殺すと、各地から苦情が来るようだ。

しかし苦情を言う人は、クマと実際に出会ったことがあるのだろうか。

 

共生するのが良いと言う意見のようだが、実際の現場では生死をかけた問題である。安易な動物保護の意見では、人間が生活できない。

 

私は子どもの頃から、数十回はクマに出会っている。山の中ではともかく、里に出てきたクマは緊張していて恐ろしい。テレビで見ていても、クマの緊張の程度が分かる。出会ったら攻撃してくるのは明らかだ。それらのことを十分に理解したうえで、意見を述べてもらいたい。