“科学技術書・理工学書”読書室―SBR―  科学技術研究者  勝 未来

科学技術書・理工学書の新刊情報およびブックレビュー(書評)&科学技術ニュース   

●科学技術ニュース●JAMSTECなど、430万年前~1億150万年前に形成した太古の海底下堆積物地層から微生物を蘇らせることに成功

2020-07-30 09:32:49 |    生物・医学

 海洋研究開発機構(JAMSTEC) 超先鋭研究開発部門 高知コア研究所 地球微生物学研究グループの諸野祐樹主任研究員らは、米国ロードアイランド大学、産業技術総合研究所、高知大学、マリン・ワーク・ジャパンと共同で、南太平洋環流域の海底下から採取した太古の地層試料(430万年前~1億150万年前)に存在する微生物を実験室培養によって蘇らせることに成功した。

 これにより、地層中の微生物が化石化した生命の名残ではなく、生き延びていたことを明らかにした。

 地球の表面積の7割を占める海洋、その下に広がる海底には、マリンスノー(プランクトンの排泄物や死がいなど)や塵などが堆積する地層が存在する。細かい粒子で構成される海底下地層では、微生物のような小さい生き物であっても堆積物の中を動き回ることはできず、地層が形成された当時の微生物が閉じ込められていると考えられている。

 同研究では、南太平洋環流域(South Pacific Gyre=SPG)から採集した堆積物(水深3,740m~5,695m)にエサとなる物質を浸み込ませた。

 微生物が生きていれば与えたエサを取り込む(食べる)はず。21日~1年半の間、培養を行ったところ、1億150万年前に堆積した地層試料においても最高99.1%の微生物がエサを食べて増殖を始めることが判明し、白亜紀の太古に堆積してから1億年余りの間、大半の微生物が地層中で生き延びていたことが明らかになった。

 また、少量の酸素を含む環境で培養を行った時に微生物が蘇ってきたが、酸素を含まない培養では顕著な微生物の増殖は認められ無かった。つまり、酸素が地層の奥深くまで浸透している外洋の堆積物環境では、生育に酸素を必要とする好気性微生物のみが生物としての活性を維持したまま地質学的時間を生き延びていたことを示している。(海洋研究開発機構<JAMSTEC>)

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■科学技術書・理工学書<ブックレビュー>■「植物のあっぱれな生き方」(田中 修著/幻冬舎)

2015-12-08 12:21:58 |    生物・医学

 

書名:植物のあっぱれな生き方~生を全うする驚異のしくみ~

著者:田中 修

発行:幻冬舎(幻冬舎新書)

目次:第1章 ひと花咲かせる日を夢見て
     第2章 ひと花咲かせたあとの大仕事
    第3章 婚活のための魅力づくり
    第4章 実り多き生涯のために
    第5章 保険をかける植物たち
    第6章 次の世代に命を託す!

 私は、この歳になるまで漠然と「植物より動物の方が上だろう」と考えた来た。一番の理由は、動物は、動き回れるが、植物は、根付いた所で一生を終えるしかない、という点であろうか。動物なら、暑かったら寒いところに移動すればすむところだが、植物であるとそうはいかない。暑いところで根付いてしまったら、一生暑さと戦わねばならなくなる。寒くても同じだ。それに植物は、無抵抗に動物に食べられてしまう。毒物で身を守るか、とげをはやして食べられないようにするのがせいぜいだろう。それに、動物には目があるから、世界を眺めわたすことが可能だ。目のある植物は聞いたことがないから、植物は、世界がどんなになっているかも皆目分かるまい。そんなこんなを考えて見ると、どう考えても、植物よりは、動物の方が上だろうと考えざるを得ない。

 ところが、そんな“常識”を根底から覆す本が、この「植物のあっぱれな生き方~生を全うする驚異のしくみ~」(田中 修著/幻冬舎)である。同書によると植物は、動けないのではなく、動く必要がないから動こうとしないのだ、ということになる。逆に植物から見ると、動物は餌を探しにうろつきまわらねばならない、憐れな存在に見えるのだという。植物は、太陽の光と水、二酸化炭素をもとに光合成で生命を維持できる。これに対し、動物は、光合成機能がないから餌を探さねば生命を維持できず、植物、あるいは植物を食べる動物を餌としなくては、生命を維持することは不可能である。ということは、動物は植物なくしては生きていけないが、植物は動物がなくても生きていける。おしべの花粉をめしべに運ぶのは動物だから、植物だって動物なしに子孫を残せないのではないかというと、そうでもなさそうだ。植物は、自分でおしべの花粉をめしべ付けて子孫を残せるから、植物は動物なくしても生きながらえることができるのだ。

 「植物たちは、私たちと同じ生き物です。基本的に同じ仕組みで生きています。そして、植物たちは、その祖先が海から上陸して以来、約4億年間を陸上で生き抜いてきています。生きるために巧みなしくみを工夫し、不都合な環境に耐え、逆境を跳ね返してきました」と筆者は、植物の持つ生命力に敬意を払い、その巧みなしくみを一つ一つ取り上げ、いかに植物が問題を解決してきたか、詳しく解説し、最後に植物の持つ能力に対し「あっぱれ!」という評価を下す。例えば、「茎の先端を光に向けると、その下にある葉っぱの表面には、光が垂直に当たるようになり、一定の面積で多くの光を受け取ることができるのです。もし、茎の先端を光に向けなければ、光は葉っぱの表面に斜めに当たり、一定の面積で受け取る量は少なくなります。植物は、光が必要なとき、茎の先端を光の来る方向に向けることにより、多くの光を受け取れることを知っているのです」と植物がちゃんと考えて生きていることを証明する。

 植物は、動物に食べられてばかりで何の手も打てないのかというと、そうでもない。「上の芽と葉っぱが動物に食べられても、茎が折られて上の方の芽と葉っぱごっそりとなくなっても、茎の下方に側芽がある限り、一番先端になった側芽が頂芽となって伸びるのです。そのため、食べられて、しばらくすると、何ごともなかったかのように、食べられる前と同じ姿に戻ることができるのです」と植物が有する「頂芽優勢」という機能を解説する。もうこの辺になると、植物は、ただ漠然と生きているのではなく、戦略を立てて生き延びてきたことが理解でき、読者は、次第に植物が侮れない存在であることに気づき始める。さらに、「植物たちは、葉っぱで夜の長さをはかることによって、暑さや寒さの訪れを約2か月、先取りして知ります。そして、その2か月間ほどの差を利用して、夏の暑さに弱い植物は夏の暑さが来るまでに、花を咲かせ、タネをつくるのです。・・・タネなら、夏の暑さ、冬の寒さをしのぐことができるからです」と言われると、もう動物と変わらない知恵者、いや下手な動物より植物の方が、よっぽど知恵者とさへ考え始めることになる。そして同書を読み終えるころになると、読者の誰もが植物の戦略的生き方に敬意を払うようになるのである。(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書<ブックレビュー>■「死なないやつら」(長沼 毅著/講談社)

2015-07-02 06:34:15 |    生物・医学

書名:死なないやつら~極限から考える「生命とは何か」~

著者:長沼 毅

発行:講談社(ブルーバックス)

目次:第1章 「生命とは何か」とは何か
     第2章 極限生物からみた生命
     第3章 進化とは何か
      第4章 遺伝子からみた生命
     第5章 宇宙にとって生命とは何か

 この書籍のメインテーマは「死なないやつら」で、サブテーマは「極限から考える『生命とは何か』」となっているが、読み終わって振り返ってみると、メインテーマとサブテーマを逆にすると内容をより一層類推しやすいことが分かる。すなわち「極限から考える『生命とは何か』~死なないやつら~」という風にするとこの書籍の狙いがよく分かるのだ。そもそも、生命という言葉は、誰でも使う言葉でありながら、今さら「生命とは何ぞや」と問われても、多くの人はその返答に窮するであろう。人体を含む生物体は、分子、原子などからなリ立っている。そして素粒子の極限を辿るとクォークに行き着く。クォーク自体はこれ以上分割不能な物体で、生命体ではない。ところが原子、分子・・・・と物質が順次結び付いていくと、最後に生命体が出現する。考えて見れば随分不思議な話なのだ。よく我々人体は、宇宙にあった星々の元素から成り立っている、と言われる。万物の霊長である人体が、星屑とイコールとは何事だ、と言いたくもなる。最近、人工知能の実用化が進み、近い将来、人間の知能を追い抜くと言われている。そうなると、その時に人工知能を搭載した人型ロボットは、生命体でないと果たして言い切れるのであろうか。この「死なないやつら~極限から考える『生命とは何か』~」(長沼 毅著/講談社)は、そんな疑問を抱く人に、恰好な回答を与えてくれる書籍である。

 第1章(「生命とは何か」とは何か)の最後に、生命体の「長沼モデル」図が掲載されている。少々オーバーに言えば、この「長沼モデル」こそが、全てを物語っているとも言えそうだ。炭素化合物の場合、「還元端」は、炭素(C)に水素(H)が4つくっついたメタン(CH4)になる。それ以上は、もう還元が進まない。一方、炭素化合物の「酸化端」は、酸素(O)が2つくっついた二酸化炭素(CO2)である。酸化はそこでストップするのだ。つまり、この宇宙で炭素化合物が安定して存在するには、メタンか、二酸化炭素になるしかなく、それ以外の炭素化合物は、どれも不安定な状態にある。ところが地球上の生物は、それが生きているかぎり、二酸化炭素にもならず、メタンにもならずに、不安定な炭素化合物のまま存在しつづける。地球上の生命という総体をみれば、40億年前に発生して以来、そんな不安定な状態にもかかわらず、途絶えることなく存在してきた。ここまで読み進めると、何となく、生物というのは安定した存在というこれまでの漠然とした印象が、一挙に崩れ去ってしまう。地球全体を見渡してみると、生物として存在していること自体が不安定な存在なのである。しかも、それが40億年以上にわたって延々と生き延びている事実にも驚かされる。

 第2章(極限生物からみた生命)は、タイトルにある「死なないやつら」の総出演である。まず、クマムシ。クマムシは、151度Cの高温にさらされても、特殊な状態にしたクマムシは死なない。低温の方も、0.0075ケルビンという絶対零度に近いところまで耐えることができる。X線での致死線量は、人間が500レントゲン(5シーベルト)であるのに対して、クマムシは何と57万レントゲン(5700シーベルト)まで耐えることができるという。さらにこのクマムシのさらに上を行く生物がいるのだ。それは、ネムリユスリカである。このネムリユスリカは、乾燥状態下17年間眠り続け、17年後に吸水させたら元に戻ったそうだ。このような極限に住む生物は、我々の身の回りにはいないため、普通の人はあまり関心を抱かないが、この極限状態が生命の起源を解き明かすこともあり、生物学者の研究対象になっている。我々にとっては、酸素は生命の源とも言える存在だが、酸素を必要としない生物も数多く地球上に存在する。地球上の生物が光合成を行って生命を維持するのと同様に、深海では、鉄を食べるバクテリアが存在する。光合成の代わりに化学合成をしているのだという。筆者はこれを「暗黒の光合成」と名付けている。要するに我々が住む地球には、我々の想像をはるかに越える生物体が存在するのだ。

 ところで、生命の誕生はどのようにして行われたのか。これには「原子のスープ」説と「表面代謝」説(パイライト仮説)の二つの説があるという。「原子のスープ」説は、約40億年前の地球にアミノ酸や糖などの有機物をたくさん含んだ海があり、海底火山の熱水噴出孔で生じる熱水循環によって、水素やイオウなどの無機物が化学反応を起こし、有機物がつくられ、これが生命の材料となった、という説。一方、「表面代謝」説は、海底火山にある硫化鉄にイオウの原子が一個つくと、黄鉄鉱(パノライト)ができ、その時に出てくる化学エネルギーを使うと、二酸化炭素からさまざまな有機物ができるという説。今後の研究でどちらの説が正しいのか、あるいはその両方の説とも正しいのか、明らかにされることになろう。筆者は言う、「生命について考えるのは理屈抜きに、楽しいことです」と。この書の最後に「人工生命」について触れられている。2010年、「マイコプラズマ・ラボラトリウム(別名:シンシア)」という新しい生物がアメリカの研究チームによりつくりだされた。もう人間はみずから手で生物をつくりだすところにまで来ているのだ。ただ、これはDNAだけで細胞までには至っていないので、「半人工生命」としている。もう一つ、「ヒラー細胞」と呼ばれている「人工生命」がある。これは、がんで死亡した米国の女性からがん細胞を培養し、60年以上飼育している。途中で遺伝子が突然変異したため、新生物にあたり、人間由来の最初の細胞株であるという。近い将来、人間の手で、正真正銘の「人工生命」が誕生しようとしている。(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「学んでみると生命科学はおもしろい」(田口英樹著/ベレ出版)

2015-03-31 13:12:24 |    生物・医学

書名:学んでみると生命科学はおもしろい

著者:田口英樹

発行:ベレ出版

目次:第1章 「生きる」ってどういうことだろう?
    第2章 細胞の中を覗いてみよう
    第3章 生命を支えるタンパク質の世界
    第4章 細胞はエネルギーをどう生み出すか?
    第5章 生命の設計図DNA
    第6章 健康と病気の生命科学
    第7章 生命は「創れる」のか?

 「生命」という言葉自体は、ごく当たり前のことを指しているように思われるが、実は「生命と生命ではないものの違いは何か」と問い詰められると、一般の人は意外と返答に詰まってしまう。広大な宇宙の星々は実は素粒子で、それらが集まり、原子、分子を構成しており、我々の地球もその構成員なのだから、生命体の一部に組み込まれているのかもしれない。とまあ、そんな突飛な考えは別として、iPS細胞の登場以後、我々一般人にとっも、生命についての正確な知識が求められることが多くなってきたように思われる。しかし、生命科学の本格的な学術書を読んでも、一般の人にとって理解することはほとんど不可能であろう。さりとて、小学校や中学校の教科書を取り寄せ勉強するのも気が引ける。そんな時、この「学んでみると生命科学はおもしろい」(田口英樹著/ベレ出版)は、最適な書籍だ。特別な前提知識なしに読み進めることができ、しかもその内容は、生命科学の最先端の研究成果が収められているので、読み終われば、生命科学について一角のことは言えるようになっている自分に気づくだろう。

 この書籍の特徴はというと、まえがきの次の文章で明確となる。「地球上には何百万種にもおよぶ多様な生物がいることを認識したうえで、どんな複雑に見える生物も究極的には『細胞』からできているという事実からスタートします。そして、『細胞』を『分子』のレベルから説明することで生命を理解します。別の見方をすると、地上に存在するすべての生物には『普遍的な生命の原理』があるという考え方が背景となっています。全体を貫く普遍性を追求するという点では、数学や物理のように体系立っていて、従来の生物学がもつ暗記学問のイメージはすでに払拭されているといってもよいのです」。ここまで読むと、この書は、「細胞」や「分子」といった共通項によって語られるので、やたらと難しい用語を丸暗記しなくても、ロジックを使って読み進めることができ、そしてそのことが最大の特徴であることが分かる。

 ここまで来ると、「生命と生命ではないものの違いは何か」といった最初の問いかけにも冷静に対応ができそうだ。生命体は、次の3つの性質が基本的なものとして定義づけられる。その3つというのは、①膜で囲まれている→生命が成り立つ空間、つまり細胞をつくる②エネルギーをつくりつづける→タンパク質による代謝で生命を維持する③増える→DNAがもつ遺伝情報に基づいた複製、ひいては進化。なるほど、生命というものを、このような普遍的な性質に括れば、自ずから全体像が明確になってくる。これらの定義から、例えば、最近何かと話題に上るインフルエンザウイルスとかノロウイルスなどのウイルスは果たして生命かどうか、という素朴な疑問にも的確に答えを引き出すことができる。「ウイルス内部には遺伝情報としてDNA(もしくはRNA)が含まれているし、ご存じのようにどんどん増殖します。『増殖』するという性格は、生命の定義の一つでしたから、ウイルスを小さな細胞と思うのも不思議ではありません」。とここまでは、ウイルスは生命体かと思われるが、同書では、実は生命体ではないとする。この理由はウイルスは自己増殖しないから。

 ことほど左様に、生命科学は暗記の学問ではなく、あくまでも数学や物理などのように、ロジックの積み上げの上に成り立つ学問であることを、読み進むうちに自然と納得させられる。この書の最後は、「生命は「創れる」のか?」の章で締めくくられている。iPS細胞はあくまで人工多能性幹細胞であり、いろいろな細胞のもととなる細胞であり、細胞をつくったわけではない。それでは、今後、人類は果たして細胞をつくることができるのか。この書は「人類の手のひらで新しい生命体を創り上げる、と聞くと、それだけで大それた野望、いや、SFの世界に聞こえるでしょう。実際『生命を創る』なんてできるのでしょうか?それはまだわからないというのが答えですが、『創れない』と証明されているわけではありません」と述べている。というのは、最近、創る=合成ということから、「合成生物学」という分野に注目が集まってきており、「生命を創る」ことへの挑戦がなされ始めているからだ。このような新しい分野は、この「学んでみると生命科学はおもしろい」の若い読者が将来、チャレンジすべきテーマなのであろう。(勝 未来) 

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「生命はどこから来たのか?」(松井孝典著/文藝春秋)

2014-04-01 10:43:08 |    生物・医学

書名:生命はどこから来たのか?~アストロバイオロジー入門~

著者:松井孝典

発行:文藝春秋(文春新書)

目次:第1章 アストロバイオロジーとは
    第2章 生命起源論の歴史的展開
    第3章 宇宙と生命
    第4章 生命とは何か - 地球生物学の基礎
    第5章 生命と環境との共進化
    第6章 分子レベルで見る進化
    第7章 極限環境の生物
    第8章 ウイルスと生物進化
     第9章 化学進化 - 生命の材料物質の合成
    第10章 宇宙における生命探査
    あとがき - スリランカの赤い雨

 人類は、文明の発展と共に多くの発明を成し遂げてきた。自動車、鉄道、飛行機、ロケットなどの乗り物によって、地球はおろか宇宙にまでその活動範囲を広げている。これらの推進力となるエネルギーも、水力発電、火力発電、原子力発電、再生可能エネルギーと進展を遂げ、もう少しすると水素エネルギーの本格普及が始まり、さらに夢のエネルギーと言われている核融合発電にも手が届きそうな状況となって来ている。そんな、限りなく進展を見せる人類の科学技術ではあるが、未だにつくり出せないものがある。それは生命だ。万能細胞に多くの注目が集まっているが、あくまでも細胞の初期化であって、細胞を人工的につくり出しているわけではない。これほどまでに発展を遂げた人類の技術力をもってしても生命をつくり出すことは容易ではないのだ。そうなると、まず、生命とは一体何か?とか、地球上の生命は一体どこから来たのだ?といった基本に戻って考えねばならなくなる。どうも、今のところ生命体の定義すらはっきりとしてないと言うのが、現状であるらしい。それなら、定義は暫く置くとして、地球上の生命は一体どこから来たのか、というテーマが残る。

 「生命はどこから来たのか?―アストロバイオロジー入門―」(松井孝典著/文春新書)は、丁度、そんな疑問に答えるのに最適な書籍である。別に、生命科学の基礎知識が無くても読み進められるように、著者の配慮がされているのが何よりも嬉しいことだ。「入門」と付いているから当たり前だと思われようが、「入門」と謳っておきながら、素人には全く理解がいかない書籍も少なくない中、同書は正真正銘の「入門書」としての意義がある。この書の序章には、「このテーマは21世紀の学問の究極的な問いであり、アメリカ航空宇宙局(NASA)が21世紀の宇宙探査のテーマとして、『生命はどこから来たのか?』を選択し、『アストロバイオロジー』と命名したほどだからです」と書き記されている。ここで読者は、アストロバイオロジーは、NASAが名付けた新しい学問体系だと知る。さらに序章には、「生命とは何なのか、そして生命と呼ばれるものが、いかに地球に出現し、進化したのか、われわれは宇宙で孤独な存在なのか―この3つが生命起源論と呼ばれるものの根源的な問いです」と書かれている通り、ここで読者は、アストロバイオロジーの全体像が何となく分り始め、そして本文の各論へと入って行くことになる。

 そもそも、生物界は、どのように分類されているいるかと言うと、真性細菌、古細菌、真核生物の3つに分けられるという。真性細菌と古細菌は、細胞の中に核がない、すなわち原核細胞からなる単細胞の生物である。真核生物は、核がある細胞、すなわち真核細胞からなり、単細胞の生物と多細胞の生物がいる。動物や植物は、多細胞の真核生物なのである。同書は、この事柄が、何回も登場し、繰り返し、繰り返し説明されているので、読者は、生物学の基礎を自然に身に付けることができる。しかしながら、自然界は、そう簡単には理解できないような側面も持ち合わしているからややこしい。細菌のほかにウイルスが存在するが、細菌とウイルスの区分が曖昧であり、さらに細菌やウイルスが生命かそうでないかは、現在の科学では、どうも解き明かされてはいないようなのである。ここで、生物学に関しては素人の多くの読者は、面食らってしまう。細菌やウイルスは、生物かどうかは分っていないのだ、ということが分る仕組みとなっている。こうなると、もっと生物学の知識が知りたいと、同書を本格的に読み進めることになる。

 最後の章の「第10章宇宙における生命探査」においては、最近の宇宙探査から、地球外に、果たして生命が存在するのかどうかについてが述べられている。その中の話題の一つとして、1996年、火星から飛来した隕石に中に、生物の細胞化石らしきものが存在する、という報告が紹介されている。当時、NASAが特別会見を開いて、火星で生物の証拠が見つかったと発表し、大きなニュースとなった。そして、その結末はと言うと、筆者は「是と非が半々くらいといったところでしょう」と書いている。現在、火星ではNASAの火星地上探査機「キュリオシティ」が生命の痕跡を求め活動中であるが、「まだ、驚くような結果は、報告されていませんが、いずれ大発見の報がもたらされることでしょう」と書いてある通り、今後の「キュリオシティ」からもたらされるかもしれない、火星上で生命発見の大ニュースを、我々は聞くことができるかもしれない。そんな大ニュースの背後にある生命の奥深さを、同書を読むことによって少しでも理解できるようになればしめたもの。最後に筆者は、宇宙検疫の必要性に言及している。「宇宙で生命らしきものを見つけたとしても、それが本当にその場でう生まれたものなのか、慎重に調べなくてはなりません」と。
(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「宇宙生物学で読み解く『人体』の不思議」(吉田たかよし著/講談社)

2013-12-31 09:54:05 |    生物・医学

書名:宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議

筆者:吉田たかよし

発行:講談社 (講談社現代新書)

目次:第1章 人間は月とナトリウムの奇跡で誕生した
    第2章 炭素以外で生命を作ることはできるのか?
    第3章 宇宙生物学最大の謎 アミノ酸の起源を追う
    第4章 地球外生命がいるかどうかは、リン次第
    第5章 毒ガス「酸素」なしには生きられない 生物のジレンマ
    第6章 癌細胞 vs.正常細胞 「酸素」をめぐる攻防
    第7章 鉄をめぐる人体と病原菌との壮絶な闘い

 地球が誕生したのが今からおよそ46億年前で、最初の人類が誕生したのは700万年~600万年前と言われている。つまり、我々人類は、この間に形成されたわけである。この 吉田たかよし著「宇宙生物学で読み解く『人体』の不思議」は、地球の誕生してから人類が誕生するまでの間の、気が遠くなるような長い期間に何があったのかを、科学的な立場(宇宙生物学)から解き明かそうとする試みから書かれた書物である。通常であると、宇宙の話は宇宙だけの話で完結し、生物の話は生物の話で完結する。しかし、この書がユニークなのは、宇宙と生物を一つに結び付けて語っていることであり、しかも、特別な予備知識なしでも読みこなすことができるように配慮がなされていることである。話を地球誕生に戻すと、38億年前に単細胞生物が誕生する。この頃の単細胞生物は、嫌気性生物であり、酸素を吸収せずに生きていた。現在、動物も植物も酸素なしには生きられないが、生物誕生の際には、逆に酸素は生物にとっては猛毒であったというから驚きだ。その後23億年前ごろになると酸素を取り入れる好気性生物が登場し、さらに酸素が徐々に地球上に満ちてくると、単細胞生物が多細胞生物に移り変わり、6億年前のカンブリア爆発で様々な動物が誕生することになるのである。

 つまり、生命の源である単細胞生物にとっては、酸素は欠かせないものどころか、毒ガスであったという話には、愕然とさせられるが、第1章 「人間は月とナトリウムの奇跡で誕生した」においては、我々人類の体の70%を占める液体は、実は、彗星が運んできた水から成り立っているということが紹介されている。残りの30%が地球の物質から成り立っているというのである。このこともかなり衝撃的だ。我々の先祖は彗星にあったのである。彗星は、時々地球に接近し、人々の関心を引きつけるが、このことは、我々の体の70%が彗星がもたらしたものと考えると、人類が彗星に寄せる関心は、言ってみれば故郷に思いを馳せると言った意味合いがあるのかもしれない。しかし、単なる水だけでは、高等な生物は誕生はしない。高等生物は、ナトリウムイオンを使って、神経や筋肉をコントールすることによって成り立っているのだ。そうとすれば、彗星から運ばれた水を基に海が形成され、その海にはナトリウムイオンが溶け込んでいないとならなくなる。この役割を果たしたのが実は月だったという話が第1章に述べられている。月がなければ、地球はふらふらと揺れ動き、とても高等生物が存在できる環境になれなかったと言われているが、月の果たしてきた役割は、生命誕生でも絶大な役割を果たしたことが分かる。

 第4章「 地球外生命がいるかどうかは、リン次第 」にも実に興味深い話が載っている。2010年12月に「NASAが地球外生命を発見したかもしれない」というニュースが世界を駆け巡った。記者たちは「きっと火星に地球外生命が発見されたのであろう」と予想しNASAの発表会に臨んだ。ところが、NASAの発表は、「リンの代わりにヒ素を利用して生きることができる微生物が米国の湖で見つかった」というものであった。これを聞いて記者たちは「人騒がせだ」とブーイングの声を挙げた。しかし、逆に宇宙生物学の学者からは、「もし本当にリンの代わりにヒ素を利用して生きる微生物が発見されたのなら、それは間違いなく宇宙生物学上の大発見と言える。それを人騒がせと言う記者たちは、まったく科学が分かっていない」という批判が出てきたのである。つまり記者と言えどもリンと生命が織りなす38億年にも及ぶ深い因縁についての知識が少なかったか、あるいは全く持ち合わせていなかった、ということになる。生命は、①バクテリア(細菌)②原生生物(アメーバや藻類など)③菌類(キノコやカビなど)④植物⑤動物の五つに分類できるが、これら全てに共通するのが、セントラルドグマ(中心原理)である。つまり、生命は全て、DNAを転写しRNAを生み出し、RNAを翻訳して、たん白質をつくり、さらにたん白質を合成して糖や脂質をつくる。これは全ての生命に共通している。そしてこれらで決定的な役割を果たしているのがリンなのである。つまり、「リンの代わりにヒ素を利用して生きることができる微生物の発見」というNASAの発表は、正に驚天動地ものだったのだ。もっとも、これには後日談があって「どうもNASAの信憑性は薄い」ということで、今のところは一件落着しているようだ。

 この本には、たった20種類のアミノ酸から10万種類のたん白質がつくられる話とか、たん白質(P)、脂肪(F)、炭水化物(C)のPFCバランスは、現代人は炭水化物(C)が50%~70%を占めておりバランスが取れていない。この理由は、農耕文化が発達した結果だという。逆に農耕文化が発達していなかった旧石器時代は、このPFCバランスがうまく取れていたそうである。ということは、旧石器時代の食事の方が、現代人の我々よりバランスの良い食事をしていたことになる。第6章「 癌細胞 vs.正常細胞 『酸素』をめぐる攻防」でも興味深い話が載っている。生物は、酸素を取り入れることによって莫大なエネルギーを得ることに成功し、高度な機能を得ることができるようになった、一方では、酸素を体内に取り込むことによって、スーパーオキシドアニオンやヒドロキシルラジカルを生み、これが細胞膜や遺伝子を傷つけることに繋がる。要するにガンを発生させてしまうのだ。酸素があったおかげで人類は高度な機能を身に着けることができるようになったわけだが、一方では、活性酸素によって人類の敵であるガンも同時に発生させてしまう。この書は、普段我々が何気なく思ってきた生命の一つ一つの事柄が、実はこの広大な宇宙と密接に関連していることを思い知らされる本なのである。(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■ 「植物はすごい―生き残りをかけたしくみと工夫―」(田中 修 著/中央公論新社)

2013-11-05 10:35:55 |    生物・医学

書名:植物はすごい―生き残りをかけたしくみと工夫―

著者:田中 修

発行:中央公論新社(中公新書)

目次:第1章 自分のからだは、自分で守る
    第2章 味は、防衛手段!
    第3章 病気になりたくない!
    第4章 食べつくされたくない!
    第5章 やさしくない太陽に抗して、生きる
    第6章 逆境に生きるしくみ
    第7章 次の世代へ命をつなぐしくみ

 植物は、我々の身近にあるので、普通あまり考えることはない。それに対して、動物、特にペットなどは、人生のパートナーとして、何時も人間から愛され、動物保護法などという法律まである。植物、例えば雑草など、人間が勝手に切り取っても、特殊な場合を除き、非難されないし、逆に感謝される。しかし、雑草の身になって考えてみると、「何故我々だけが悪者扱いされ、切り取られても何も文句が言えないのかという」ことになる。植物は動くことができないし、まして動物のようには声を出すこともできない・・・と人間は長く考えてきた。ところが、山に生えている樹木は、微弱な電流を流し合い、人間などの敵が近づくと、互いに教え合っているということが科学的な検証から明らかにされている。こうなると、話は少々ややっこしくなる。「植物には知能がない」なんていうことは、改めなくてはならなくなるかもしれない。それどころか、太古の昔から植物は、太陽光を利用した光合成により、二酸化炭素と水から、自ら酸素と糖をつくり出して生き延びてきた。人間は、今、人工光合成の開発に躍起になっているが、実現の道のりは遠いのが現状だ。光合成の分野では、人類はまだ植物に追い付いていないのである。この意味で、植物は決して侮れない生き物なのだ。

 我々は木を見てもそれほど感激することはないが、100m近い高さの樹木がどうやって、根から地下水を汲み上げて、てっぺんの葉っぱまで水を行きわたらせているか、考えたことはあるだろうか。「そんなこと当たり前だろう」思っても、いざ自分が100m近くの高さまで水を毎日、毎日汲み上げることを想像してみるとその大変さが分かる。これが大変な作業であることは自明なことだ。そんな大変な作業を、樹木は、文句も言わず、ただ、もくもくとこなしている。どうやっているのかというと、毛管現象とイオンの荷電引力を利用して、水を上へ、上へと送り届けているのだ。これは凄い。物理学の法則と化学の法則を誰からも教えられずにマスターし、文句も言わず黙々と実行しているのだ。もうここまで来ると、植物なんて、動物のように動けもしないし、吠えられない、なんて憐みをかけるどころか、植物の持つ隠れた能力に敬服の念を感じてしまうほどである。そんなことで、日頃、動物に較べて関心度の低い植物について、素人でも分かる書籍はないかと書店を物色していたら、「植物はすごい―生き残りをかけたしくみと工夫―」(田中 修 著/中央公論新社)が目に入ったので、読んでみることにした。

 この本の最大の特徴は、全編にわたって、著者の「植物は”すごい”」という思いが熱く伝わってくることに尽きる。例えば、「第1章 自分のからだは、自分で守る」の(1)すこしぐらいなら、食べられてもいいの最初の”すごい”は、「植物たちの成長力は”すごい”」である。「キャベツのタネの重さは、1粒が約5ミリグラムです。1ミリグラムは、1グラムの1000分の1です。この1粒のタネが栽培されると、発芽して、芽生えが成長し、約4か月後には、市販される大きさの1玉のキャベツになります。その重さは、およそ1200キログラムです。1200キログラムをミリグラムで表わすと120万ミリグラムです。ということは、キャベツは、約4か月間に約24万倍に成長したことになります」という書き出しから同書は始まる。我々は、種が野菜に成長して、それをスーパーから買ってきて、毎日食べているから、何とも思わないが、このように、「約4か月間に約24万倍に成長した」という事実を突きつけられると、ただ、唖然とするだけだ。普通の動物は、逆立ちしても「約4か月間に約24万倍に成長」なんて離れ業はできはしない。これはホンのさわりにすぎず、この書では、次から次へと、植物の”すごい”が紹介され、読者は、知らず知らずのうちに、植物に”尊敬の念”を持たざるを得ないことになる。

 また、この書は、植物の”すごい”だけじゃなく、植物の”こわい”の例もたくさん出ているので、知っておきたい生活の知恵的な実用書としての意味合いも持っている。例えば「第4章 食べつくされたくない!」の(1)毒を持つ植物は、特別でない!には、だれでも知っている上品な花を咲かせるシャクナゲには、「ロードトキシン」という有毒物質を持っているので要注意ということが書かれている。我々は美しい花を咲かせる植物は毒を持っていないのではと勝手に思いがちであるが、これは何の根拠もないこと。何故、毒を持つかというと、「山の奥深くで、虫や鳥などの動物や病原菌などから、からだを守って生きるため」ということであり、別に人間を攻撃しようとして毒を持っているわけではない。人間だって、勝って気のまま草や木を切り取るのだから、植物にだった防衛手段を認めてやらねば片手落ちである、と考えれば、シャクナゲが毒を持つことも仕方がないこと。「第7章 次世代へ命をつなぐしくみ」(1)タネなしの樹でも、子どもをつくるでは、種なしの”温州ミカン”の話が出てくる。”温州ミカン”というから中国産と思いきや、日本の薩摩産で、突然変異で生まれたそうだ。それにしても種なしくだものは、どう栽培するのか。この種あかしは同書で。(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「生命は、宇宙のどこで生まれたのか」(福江 翼著/祥伝社新書)

2013-06-21 10:24:47 |    生物・医学

書名:生命は、宇宙のどこで生まれたのか

著者: 福江 翼 

発行所: 祥伝社(祥伝社新書)

発行日:2011年2月10日初版

目次: 序 章 生命は、宇宙のどこで生まれたのか―宇宙生物学の誕生
    第1章 地球上の生命の起源とは
    第2章 星と惑星の生まれた場所―初期の地球の過酷な世界
    第3章 生命とはなにか―生命を作る物質とその仕組み
    第4章 なぜ地球の生命はすべて「左手型アミノ酸」でできているのか―生命の起源を探る
    第5章 地球外に生命は存在するか
    第6章 恐竜だけじゃない! 地球生命の大量絶滅の可能性
    終 章 私たち生命を形作る物質は、どこから来て、どこに行くのか

 今、太陽系外惑星の発見が相次ぎ、大きく報道されている。これは、我々の住む地球の環境によく似た惑星を探し出して、生命の存在の可能性を探ろうという野心的な試みである。今のところ、生命の存在の発見はないが、いつの日にかは必ずや発見されるのではないかと全世界が注目している。どうも我々人類は、この宇宙の中で地球だけが唯一の生命体の存在場所であることを何か恐れているようでもある。つまり、一人宇宙において孤独の存在と言うのは好まないようなのだ。だからと言って、人類にとって脅威になるような生命体には、遭遇したくないものだとも皆思っている。何か怖いもの見たさの子供の心理にも似たようなところがあるのではなかろうか。この書籍は、そんな知的好奇心が旺盛な人にとっての恰好の「宇宙生物学」入門書と言えよう。特別な予備知識なしに、読み終えれば知らず知らずのうちに、最新の宇宙生物学の成果を読み解くことが出来る構成になっている。

 人類の体は、6割が水分で、残りの約4割がタンパク質から出来ているそうである。つまり、宇宙生物学の旅の始まりは、タンパク質であるのだが、人体をつくっているタンパク質の種類は、およそ10万種類に及ぶというから驚きだ。そして、このタンパク質はアミノ酸という物質の組み合わせから出来ている。ということは、生命を構成している物質は、水分を除けばアミノ酸ということになる。では、生命を構成するアミノ酸は、何種類あるのかというと、これがたったの20種類(天然にあるアミノ酸は350種類ほど見つかっている)だという。アミノ酸が、約100個から数千個ほど繋がったのがタンパク質。そのアミノ酸はというと、水素、炭素、窒素、酸素の4種類の元素が複数組み合わさった物質というから、これも不思議といえば、不思議な話だ。たった4種類の元素が、10万種類に及ぶタンパク質をつくりだすわけであり、単純さと複雑さとが一体化されて生命が維持されているのである。

 このほか生命にとって大切なものにゲノムがある。ゲノムは、生命の設計図に当るものであり、DNAが持っている全ての情報を含んでいる。これにより、人間は人間として存在できている。人間の赤ちゃんが成長したらワニになった、ということは絶対にないのは、このゲノムのお陰である。アミノ酸と同じように、ゲノムは生命体にとっては、基本の中の基本というべきものに当る。そして、このゲノムによると、地球上の生命は、大きく3つのグループに分けられる。一つ目は、大腸菌などを含むバクテリアなどの細菌のグループ。二つ目は、古細菌と呼ばれるそれ以外の細菌のグループ。3つ目は、真核生物と呼ばれる動物や菌類、アメーバ、それに光合成を行う植物やミドリムシなど。人類は真核生物に含まれるのだが、ゲノムには3つのグループに共通するものが含まれており、細菌といっても人類のお友達でもあるのだ。

 と、ここまで基礎知識を整理したところで、一体地球上の生命は何処から来たのか?という素朴な疑問が生まれる。この疑問に対し、ヒントを与えてくれるのが、「第4章 なぜ地球の生命はすべて『左手型アミノ酸』でできているのか―生命の起源を探る」であり、この書籍のハイライトとも言うべき部分なのである。この章の内容の確かさを裏付けるかのように、2013年4月、日本の国立天文台などのチームが「地球上の生命の元となるアミノ酸は宇宙でつくられたという説を補強する有力な証拠を掴んだ」と発表した。地球上の生命を構成するアミノ酸は、何故か「左型」と呼ばれるタイプ。何故そうなったのかが、「地球上の生命は宇宙からやってきた」という説の根拠となっている。キーワードは、「円偏光」という現象なのであるが、詳しくは同書を読めば納得がいくに違いない。いずれにしても、同書は、まるで推理小説を読み解くように、難解な「宇宙生物学」の解明に読者を誘ってくれるのである。(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「アフリカで誕生した人類が日本人になるまで」(溝口優司著/ソフトバンク)

2012-05-07 10:43:48 |    生物・医学

書名:アフリカで誕生した人類が日本人になるまで

著者:溝口優司

発行所:ソフトバンク クリエイティブ(ソフトバンク新書)

発行日:2011年5月25日 初版第1刷発行

目次:第1章 猿人からホモ・サピエンスまで、700万年の旅
        1 人類と類人猿の間にある一線とは?
     2 1000万年~700万年前、最初の人類がアフリカで誕生した
     3 美食の猿人は生き残り、粗食の猿人は絶滅した!?
     4 猿人と原人、双方の特徴を持つホモ・ハビリス
     5 原人はアフリカで誕生し、アフリカを出た
     6 謎のホビット、ホモ・フロレシエンシス
     7 ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、同時代を生きていた!
     8 十数万年前、ホモ・サピエンスがアフリカで生まれた
    
   第2章 アフリカから南太平洋まで、ホモ・サピエンスの旅
     1 北京原人が現代中国人になった、わけではない
     2 人類はいつ、どのようにしてアフリカを出たのか?
     3 ホモ・サピエンスがヨーロッパにたどり着くまで
     4 南下したホモ・サピエンスは、どのようにしてオーストラリアに渡ったのか?
     5 シベリアからアラスカへ、渡ったのは氷、それとも海?
     6 最後の未開拓地、南太平洋の島々

   第3章 縄文から現代まで、日本人の旅
     1 日本列島にホモ・サピエンスはいつ頃やってきたのか
     2 最初に日本に来たホモ・サピエンスが、縄文人になったのか?
     3 縄文人は、いつ、どこから日本列島にやってきたのか
     4 背が高く、顔が長い弥生人
     5 弥生人は、いつ、どこからやってきたのか
     6 日本人はこうしてできた!
     7 弥生から古墳時代へ、そして現代へ

 今、地球上のいたるところに住んでいる人類も、その祖先は元をただせばアフリカで生まれたホモ・サピエンスであったという。でも、今の我々日本人の体型はアフリカ人に似てはいないし、欧米人とも似ていない。それではどうして同じ人類なのにこうも異なる体型が生じたのか。こう開き直って訊かれても多くの人は返事に窮するであろう。

 そんな時、このような素朴な疑問に答えてくれるのが同書である。例えば、我々日本人は、西欧人の鼻が高いところに一種の憧れの感情で眺めることが多い。しかし、次のような解説付きで西欧人の顔を眺めれば従来とは違った見方が生じてくるかもしれない。つまり、西欧人の鼻が高いのは、もともと住んでいた土地が寒冷地であり、なるべく鼻を高くして(長くして)吸い込んだ空気を暖める必要性があったためという。

 我々人類の祖先は、6500万年前に出現したサル(霊長類)であるという。そのサルが、2500万年前にテナガザル、1700万年前にオラウータン、1000万年前にゴリラ、そして700万年前にチンパンジーと枝分かれして行った。

 その後の空白期間を経て、16万年前にホモ・サピエンス(新人)が生まれて、現在の我々と繋がるのである。同書は、まことに複雑で壮大な人類誕生の歴史をコンパクトに解説してあり、読み終えた後は、爽快であると同時に何か厳粛な気分にさせられる。(STR:勝 未来)

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