書名:世界を動かす技術思考~要素からシステムへ~
編著:木村英紀
発行:講談社(ブルーバックス)
目次:序章 システムの時代
第1章 システムはネットワークからはじまった
第2章 プロダクトシステムとプロセスシステム
第3章 システムに関する科学と技術の歩み
第4章 進化するシステム
第5章 日本の問題
「世界を動かす技術思考~要素からシステムへ~」(編著:木村英紀/講談社)は、これからの技術開発には、個別の開発に加え、システム思考が大きな要因となってくることを、各産業の具体的事例に基づき解説した書籍である。システム関連の書籍は、ともするとシステム工学そのものの学術的な話に偏りがちであるが、同書は、歴史的な実績に基づきながら話を展開しているところに特色がある。その、一つの事例として発明王エジソンが最初のシステム工学者として取り上げられている。エジソンは白熱電球を発明したが、ほんとの偉大さは、発電所を建設し、送電線を引いて、必要な場所で白熱電球を灯すシステムをつくり上げたことにある。今考えれば当たり前のことと捉えられがちであるが、送電線網の配備という、当時では前例のないシステム化の試みに取り組んだことは大いに評価されることだ。ただ、エジソンは直流の送電線網の整備を主張したのに対し、テスラは交流の送電線網の整備を主張、大論争を巻き起こした挙句、エジソンの直流の送電線網は負けて、テスラの交流の送電線網に軍配が上がる。これは、交流の方が電圧を下げやすいということによるもの。そして、現在に至るまで、交流の送電線網が当たり前とされてきた。ところが、太陽光や風力などの再生可能エネルギー利用が脚光を浴び始めた現在、直流の送電線網の方が効率的という意見が出始めている。まさかエジソンがそこまで先読みをしていたわけではないだろうが、いずれにせよ、エジソンの先を見る目が確かなことは紛れもない事実。
システム思考と言えば、モノのインターネット「IoT」が今話題となっているが、同書ではこれを直接には取り上げてはいない。しかし、「IoT」が取り上げられてなくてもそう障害はない。「IoT」は、ネットワーク経由で産業機器や公共インフラなどに設置したセンサーのデータを収集・解析して運用や保守に生かすことを指し、これはドイツでは「インダストリー4.0」と言い、米ゼネラル・エレクトリック(GE)社では、「インダストリアル・インターネット」と名付け、コンソーシアムが発足している。こう聞くと、多くの日本人は、「このままでは後れを取る」と、慌てがちになる。この結果、雑誌で「IoT特集」が氾濫することになる。でもちょっと待ってほしい。日本では少し前に「ユビキタス」という名称で呼ばれていた内容と今回の「IoT」は同じものなのである。組み込みシステム開発環境「TRON」を開発し、世界に先駆け「ユビキタス」を提唱した東京大学の坂村 健教授は、国際電気通信連合(ITU)の150周年記念賞を受賞している。つまり、「IoT」の本家は日本なのである。ただ、坂村氏も言っているように、日本の場合は、システム化に取り組む場合は、トヨタの「カンバン方式」のように、1企業内に集約されて、それ以上に広がらない。これに対し、米GE社の「インダストリアル・インターネット」は、コンソーシアムを立ち上げ、AT&T、シスコシステムズ、IBM、インテック、独ボッシュなどの企業が参加している。日本が遅れているのは、決してシステム技術そのものではなく、システム化の仕組みづくりそのものにあると言える。
「日本が遅れているのは、決してシステム技術そのものではなく、システム化の仕組みづくりそのものにある」ことの事例の一つとして、同書では、医療機器のMRIを取り上げている。MRIの世界シェアは、アメリカのGE、ドイツのシーメンス、オランダのフィリップスの3社だけで85%以上を占めているという。しかし、決して日本の東芝や日立制作所のMRIが技術的に劣っているわけでもないし、別段、価格が割高なわけでもない。今後、MRIの世界市場は、中国など世界に大きく広がろうとしている。こんな中、これまで通りであると、日本のメーカーは、アメリカのGE、ドイツのシーメンス、オランダのフィリップスの3社の後塵を拝することになってしまう。何故、技術的な遅れがないのに、日本のメーカーは、海外メーカー3社に勝てないのか。同書では、次の点を指摘する。「MRIなどの画像診断機器のニーズには、これまで大きく3つの流れがあった。それは、1990年代の『機器単独の性能向上』、1990年代から2000年代前半の『周辺サービスの充実』、そして、21世紀に入ってから現在に至るまでの『病院システム全体の寄与』である。・・・機器の性能が向上し、ラインナップが揃ってくると、画像ファイリングなどの機能、保守点検の充実などの、使い勝手をよくするための機器の周辺サービスが重要となってきた。そして、近年では、受付から検査オーダーの発注、診察料清算までの病院の業務プロセスに、如何にスムーズに取り組めるかが重要な要件になっている」。つまり、日本のメーカーは、病院の業務プロセスに至るまでのトータルのシステム化で大いに遅れをとっているということだ。
システム化の事例とは少々異なるが、現在の日本の家電メーカーの凋落も似たところがある。日本の技術者は、時間が経つにつれて技量が向上し、難しい開発に挑む。その結果、製品が多機能化し、操作も難しくなる。果たして、家電のユーザーは皆が皆、多機能化のニーズを持っているのであろうか。発展途上国の家庭などでは、多分、多機能化より、操作が易しく、低価格の家電製品を求めるであろう。そんなことにお構いなく、開発を続けるのであるならば、日本の将来はお先真っ暗となるであろう。同書は、システム化の観点に立ち、日本のメーカーに警鐘を鳴らす。MRIの事例でも分かる通り、いくらMRIの機能を向上させても世界シェアは取れない。病院システム全体を考えた製品化に取り組まねば先行する欧米のメーカーに追い付くことは不可能だ。それでは、日本でもシステム化の取り組みを強化すればよいではないか、ということになるのだが、日本のシステム化の研究体制はお寒いかぎり、と同書は指摘する。「多くのアメリカの大学は、システム科学技術を教育し、システム技術者を養成するシステム関連の研究所を持っている。・・・ドイツにはマックスプランク研究所にシステム科学技術関連の2つの研究所がある。・・・中国には科学院に「システム科学研究所」があり、・・・シンガポールにも大きなシステム関係の研究所がある」。それに対し「日本にはシステム科学技術を対象とする研究所は存在しない。大学でもシステムを専門的に教育する組織はいくつかの大学に散見されるだけである。『システム時代』に心細い限りである」。つまり、ことシステム化の研究体制に限ると、日本はどうも崖っぷちに立たされているようなのだ。
(勝 未来)