“科学技術書・理工学書”読書室―SBR―                 科学技術研究者   勝 未来

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「ニッポン天才伝」(上山明博著/朝日新聞社)

2014-09-30 12:42:53 |    科学技術全般

書名:ニッポン天才伝~知られざる発明・発見の父たち~

著者:上山明博

発行:朝日新聞(朝日選書)

目次:化学の父        桜井錠二     百年後の日本をめざした化学者
    アドレナリンの父    高峰譲吉     アメリカンドリームを体現した男
    酸化酵素の父     吉田彦六郎  ジャパンを研究した日本人
    ビニロンの父      桜田一郎    高分子化学のパイオニア
    飛行機の父      二宮忠八    ライト兄弟に先駆けた男
    蓄電池の父      島津源蔵    「日本のエジソン」と謳われた発明王
    放送の父       安藤博      「東洋のマルコーニ」と言われた天才少年発明家
    地震学の父      大森房吉    関東大震災に殉じた地震研究の世界的権威
    天気予報の父    藤原咲平    本邦初のお天気博士
    竜巻研究の父    藤田哲也    「ミスター・トルネード」と呼ばれた竜巻博士
    ペースメーカーの父 田原淳      心臓が動く謎に挑んだ解剖学者
    胃カメラの父     杉浦睦夫    胃袋の闇に光を当てた光学技師
    類体論の父      高木貞治    「数論の神様」と称された現代数学の巨人
    特殊合金の父    増本量      現代の錬金術師
    量子統計力学の父 久保亮五    湯川秀樹とノーベル賞を競ったもう一人の天才
    ゲル科学の父     田中豊一    生命の起源に挑んだ五十四年の生涯

 以前よく「日本人は、欧米の技術を導入してつくる能力には長けているが、独創性には欠ける」というようなことが、しばしば言われていた。まあなんとなく真実のような気もしないでもないが、さりとてこのことが真実かどうかの根拠も乏しいのも事実だ。多分「日本人は独創性に欠ける」ということは、明治時代の欧米に追い付け追い越せ、といった日本国を挙げてのプロジェクトを裏面から見た逆説的な見地からきているのであろう、と思うのだが・・・。幕末、小栗上野介たちが欧米の進んだ産業を現地でつぶさに調査し、横須賀製鉄所の建設などを行ったのが、日本の近代化の幕開けになったことは事実であり、物まねと言われればその通りかもしれない。しかし、人間誰だって、子供の時の物まねからスタートして、これを基に大人になり、独創性を発揮するわけであるので、幕末や明治時代の物まねが、即日本人に独創性が欠如しているということは当たるまい。さらに日本にとって不幸であったのは、第二次世界大戦で国土が焦土と化し、ゼロからのスタートとなったことだ。ここでまた、日本は欧米の物まねをせざるを得なかった。そんな時代が長かったため、どうも「日本人は独創性に欠ける」という、何か後ろめたいような自虐意識に囚われがちになる。

 「ニッポン天才伝~知られざる発明・発見の父たち~」(上山明博著/朝日新聞社)は、そんな「『日本人は独創性に欠ける』というような話は、迷信だよ」とでも言ってるようで、読み終わった時の意識は、実に誇らしく、すがすがしい気分に浸ることができる。現在では数多くの日本人のノーベル賞受賞者が生まれ、以前のように「日本人は独創性に欠ける」といった考えに囚われる人は少なくなったと思う。しかし、現在のようにノーベル賞受賞者を数多く生み出す母体となった時代について、我々の知識がどれほどあるかというと、これがはなはだ心もとない。つまり、明治時代から現在の日本の間の挟まれた時代に対し、これまであまりにも光が当てられてこなかったのではないか。その溝を埋めてくれるのがこの書である。例えば、今何かと話題になっている理化学研究所の創設者の一人で、“近代化学の父”と言われた桜井錠二の業績、さらに、世界的な物理学者である湯川秀樹に匹敵するような業績を挙げた“量子統計力学の父”と言われた久保亮五の業績を、今どれほどの日本人が知っているのであろうか。

 2002年に「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」でノーベル化学賞を受賞した田中耕一の名前は多くの日本人が知っている。田中耕一は東北大学工学部で電磁波やアンテナ工学を専攻した後、ソニーの入社試験を受けたが不合格だったというから面白い。もっともアインシュタインも大学受験に失敗しているので、試験に失敗したぐらいでくじけてはだめだという、いい教訓ではある。田中耕一はその後、島津製作所に入社し、それがノーベル賞という大輪を咲かせたのである。田中耕一の名は知っていても、田中が入社した島津製作所の創業者で“日本のエジソン”とまで言われた島津源蔵について今知っている人は少ない。島津源蔵は、洋書で独学し、わが国初のプランテ式の鉛蓄電池を完成させる。さらに島津源蔵は、明治30年以降、大容量蓄電池の開発に没頭し、クロライド式鉛蓄電池の開発に成功し、停電の時のその威力を発揮した。さらに、それまで高温を必要としていた製造方法に対し、新たに「易反応性鉛粉製造方法」を自ら考案し、日本以外に、フランス、ドイツ、イギリス、オーストラリア、ベルギー、アメリカ、カナダ、チェコスロバキア、アイルランド、スウェーデンなど世界各国の特許を取得。生涯で島津源蔵が残した特許は、世界12か国、178件に及んだという。田中耕一のノーベル賞受賞は、このような企業文化があったからこそ実を結んだのであろう。

 同書には、全部で16人の独創性を持った日本の発明者・研究者が紹介されている。それらは、「化学の父 桜井錠二」「アドレナリンの父  高峰譲吉」「酸化酵素の父 吉田彦六郎」「ビニロンの父 桜田一郎」「飛行機の父 二宮忠八」「蓄電池の父 島津源蔵」「放送の父 安藤博」「地震学の父 大森房吉」「天気予報の父 藤原咲平」「竜巻研究の父 藤田哲也」「ペースメーカーの父 田原淳」「胃カメラの父 杉浦睦夫」「類体論の父 高木貞治」「特殊合金の父 増本量」「量子統計力学の父 久保亮五」「ゲル科学の父 田中豊一」である。私が、特におやと思ったのが「ペースメーカーの父 田原淳」と「胃カメラの父 杉浦睦夫」である。ペースメーカーや胃カメラというと、漠然と何となく欧米の研究者によって開発されたものという、固定概念に囚われやすいが、実は日本人が開発したのだ。田原淳は、わずか3年半という短い研究期間の間に、心臓がなぜ動くのかという生命の本質的な謎に挑戦し、心臓刺激伝導系の全容を世界で初めて解明した。また、杉浦睦夫は、当時在籍していたオリンパスで、宇治、深海とともに「腹腔内臓器撮影用写真機」と題した胃カメラの特許を出願し、この結果、オリンパスは内視鏡のシェアで8割を占めるに至った。この書を読み終えてみると、「日本人は独創性に欠ける」という当初漠然と頭にあった考えが、影も形もなくなっていることに気が付いた。(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「江戸の理系力」(浮島さとし他著/洋泉社)

2014-07-01 11:31:37 |    科学技術全般

書名:江戸の理系力

著者:浮島さとし/武内孝夫/樽 永/望月昭明/森村宗冬/安田清人

編者:洋泉社編集部

発行:洋泉社

目次:第1章  江戸の天文暦学(暦の誕生/天文学と陰陽道 ほか)
     第2章 江戸の測量術(測量技術のあけぼの/太閤検地と国絵図 ほか)
    第3章 江戸の医学(江戸時代までの日本医学/発展する漢方医学 ほか)
    第4章 江戸の数学・和算(庶民の数学・和算/娯楽として発達した和算 ほか)
    第5章 江戸を彩る理系人たち(平賀源内/岩橋善兵衛 ほか)

 江戸時代は、それまで続いていた戦国の時代から抜け出し、日本に平和がやって来た時代である。少なくとも表面上は人々は安心して暮らせる時代がやっと到来したわけだ。江戸幕府が天下統一を指揮したわけであるが、その頃の庶民は、日本国民という意識はなかったようで、私は何々村の○○だという意識しか通常はなかったようである。まあ、それでも支障なく生きていけたわけで、幸福な面も多々あったであろう。そして、多くの庶民は、農民として生計を営んでいた。科学技術については、江戸幕府は原則禁止のお触れを出していたが、これは武器を勝手につくらせないためとも言われている。それでも、科学技術に興味を持った人物は、武器ではない、例えば、からくり人形をつくることで幕府の目を逃れたという。そのため、江戸時代につくられたからくり人形は数が多く、質も高い。そんなことを考えると、からくり人形以外に、江戸時代の科学技術には見るべきものはないと、通常は思われる。ところが、仔細に調べて行くと、日本初のオリジナルの暦の制作、当時世界最高水準の地図、世界初の全身麻酔手術など、世界水準に達しているもの、あるいはそれを超えているものすらあったことが、最近になり次第に明らかになってきた。同書は、江戸時代の科学技術入門書として、各分野ごとに豊富な写真も交えて、易しく紹介している。

 同書の全体の半分は、「第1章  江戸の天文暦学」と「第2章 江戸の測量術」に割かれている。中でも天文暦学者であり、日本独自の暦を考案し、幕府の初代天文方をつとめた渋川春海の偉業が生き生きと描かれ、興味深い。渋川春海の役職は「碁方」、つまり幕府お抱えの碁打ちであったというから面白い。考えてみれば、当時は、ゲーム感覚より科学技術的感覚で碁が見られていたのかもしれない。その頃、800年以上使われてきた宣明暦は、狂いが大きくなり、夏至や冬至が2日もずれ込んだり、日食や月食の予測を外すことが多くなって問題となっていたという。そこで、渋川春海は、中国の授時暦に改歴すべきと、幕府に意見書を提出した。しかし、意見書から2年後の日食で、春海推奨の授時暦が予測を外し、制度が悪いはずの宣明暦が的中してしまう。その原因は、中国と日本の経度の違いに原因があると考えた春海は、改良版の授時暦をつくり出すことに成功した。春海が考案した暦は、幕府により採用が決まり、ここに日本初の暦が採用されるという画期的なことが実現したのだ。このことは、渋川春海の測量や天文に対する技術力が国際的にみても高かったということのほか、幕府の科学技術に対する理解力もなかなかのものだったことを窺わせる。今現在でも、新しい科学技術に関しては、なかなか理解が得られないことも少なくないことを考えると、渋川春海を登用し、その能力を活用した、当時の幕府の科学技術政策への取り組みも適切であったと考えるべきであろう。

 「第3章 江戸の医学」では、当時の日本の東洋医学者が蘭学を学び、西洋の医学を必死に学ぶ姿が活写される。ただただ真剣に西洋医学を学ぼうとした当時の医者たちは、一人でも多くの患者の命を救いたいと必死であったことが容易に推察される。ほとんどの患者がなすすべもなく死に至る様を数多く見聞きしていた当時の医者の悪戦苦闘の様子が文章から伝わってくる。そして、そんな日本の医学も、遂に世界に追い付き、世界を抜き去る快挙を成し遂げる。それは、江戸時代後期のことで、紀州の華岡青洲が乳がんの摘出手術に成功したのである。成功に導いたのは、全身麻酔であった。アメリカの歯科医ウィイリアム・モートンが全身麻酔による手術に成功するのが、その42年後であり、まさに、世界初の快挙であったわけである。同書では、このよく知られた華岡青洲の快挙が成し遂げられるまでの経緯が詳細に紹介されている。この全身麻酔の手術が行われたのは、文化元年(1804年)10月13日であったが、この時使われた麻酔薬は青洲のオリジナルではなく、既に日本人の手によって生み出されていた麻酔薬を基に、青洲が独自に改良したものであった。このことは何を意味するのか。つまり、青洲の全身麻酔の手術の世界初の快挙は、当時の日本の医学のレベルが既に世界的な水準にあったことを意味するのだ。

 「第4章 江戸の数学・和算」では、今ではもう多くの人が知っている関考和の話が出てくるが、関考和という天才が一人で成し遂げた和算の業績そのものに加えて、当時の日本人が、数学に対し異常に関心が高かったことに注目すべきであろう。日本各地に数学の研究グループができ、互いに問題を出し合いながら、解答していくという集まりであった。当時の和算の解答が描かれた絵馬が今でも各地の神社に残されている。当時は、今のような娯楽が少なかった分、大衆の興味が数学に向かったとも考えられるが、数学の研究グループが全国各地に広がっていたというような国は、当時果たして日本以外にあったのであろうか。関考和の和算の業績は、ライプニッツの微分・積分に並ぶ偉業という評価を下す人もいるほど、当時の日本の和算は、世界レベルに引けを取らない域に達していた。明治維新になって、日本は急速に西洋の科学技術力を吸収できたが、その原因は、和算を習得していたことにあるという指摘がある。つまり、当時の日本人が初めて西洋の数学に接しても少しも動揺しなかったのは、和算でほぼ同様な概念を習得していたからだという。同書は、単に江戸時代の科学技術の表面的な事実を知ること以上に、当時の日本人がどのようにして科学技術を習得していったのかの過程が紹介されていることに、真の価値がある書籍といえよう。(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「科学の目 科学のこころ」(長谷川眞理子著/岩波書店)

2013-09-17 09:43:27 |    科学技術全般

書名:科学の目 科学のこころ

著者:長谷川眞理子

発行所:岩波書店(岩波新書)

発行日:2010年6月4日 第13刷

目次:1 生物の不思議をさぐる
    2 科学・人間・社会
    3 科学史の舞台裏
    4 ケンブリッジのキャンパスから

 先日、新宿の私の行き付けの書店で、店内に置いてある書籍を見ていたら、入口のもっとも目立つ場所に今回の書籍である長谷川眞理子著「科学の目 科学のこころ」が置いてあるのが目に飛び込んできた。今の書店は、どこでもベストセラー小説など売れる本を一番目立つ場所に置き、科学技術書などの難しい本は、あまり人目に付かない場所に置いてあるのが極当たり前のことだ。何で科学技術の、しかも地味なタイトルのこの本がこんないい場所に置いてあるのか、不思議に思って手に取り、何気なく奥付を見てみたら、1999年7月19日第1刷発行、2010年6月4日第13刷発行と書いてあるではないか。つまり、新刊ではなく、現在の13刷まで続けて印刷されている(つまり売れている)本なのである。これは、内容がしっかりとしたもので、しかもそれが今日まで根強い人気が営々と続いていることを物語っていることに他ならない。早速、購入して読んでみた。内容は期待に違わず、大変参考になり、思わず「そういう見方もあるのか」と一人考え込んでしまうような充実した科学エッセイ集となっていた。つまり、この本はある特定のテーマについて書かれている科学技術書ではなく、行動生態学を専門とする科学者である筆者が、常日頃、考えている事柄をエッセイ風に綴ったものであり、気軽に読める科学読みものなのである。気軽と言っても、それぞれのテーマについての筆者の鋭い視線が感じられ、最後まで緊張感を持って読み進められる。

 筆者の長谷川眞理子氏は、1983年東京大学大学院理学系研究科博士課程終了。理学博士。2000年、早稲田大学政治経済学部教授。2007年、 総合研究大学院大学先導科学研究科生命共生体進化学専攻教授。この本の前書きにも書いてある通り、専門は動物の行動の進化を研究する行動生態学という学問。これまで、ニホンザル、チンパンジー、シカ、ヒツジ、クジャクなど、主に大型の動物を対象にしてきたわけであるが、最近では、人間の行動と心理の進化の研究も始めているとある。岩波書店の雑誌「科学」に、1996年1月から1999年4月までの3年間に渡って連載してきたものに、加筆・修正を加えたのがこの本。筆者は執筆の動機を次のように語る。「本書は、そのようにして、一科学者である私が、科学という人間の営みに関して思うこと、考えることを、書きつづったものである。科学が自然や人間を見る目と心、そして社会が科学を見る目と心について、科学が好きな人にも嫌いな人にも、何か伝えられるものがあればと思う。もちろん、そして、科学の好きな人が一人でも多くなってほしいと願っている」

 全体は、Ⅰ生物の不思議をさぐる、Ⅱ科学・人間・社会、Ⅲ科学史の舞台裏、Ⅳケンブリッジのキャンパスから―の4部構成からなるが、「はじめに」の中に面白い話が紹介されている。19世紀の終わりごろ、プロシア政府は、もうこれで科学的発明発見は底をついただろうと判断して特許局を閉鎖してしまったという。しかし、現在まで科学技術上の発明発見は続いており、さらに今後加速度が付きそうあることを考えると、人間の見通しは、あまりあてにならないということが分かるエピソードではある。「Ⅰ生物の不思議をさぐる」の中の「進化的軍拡競争」では、人間の世界の軍拡競争に似たことが、生物の世界でも日常的に行われていることが紹介されている。例えば、カッコウは、自分ではヒナの世話をせず、ウグイスなどの他種の鳥の巣に卵を産む。カッコウのヒナはいち早く成長をし、宿主の卵を巣の外に放り投げてしまう。そこで、宿主の鳥は、カッコウの卵をいち早く見つけ、巣の外に捨てる対策を取る。カッコウは今度はそれに対応して、宿主の卵に似た卵を生むようになるという。これなどは、人間の軍拡競争を彷彿とさせると筆者は指摘する。

 山中教授によりiPS細胞が開発された現在、生物としての人間の存在が改めて注目されているが、「Ⅱ科学・人間・社会」の中の「ハロー、ドリー!」では、筆者は次のように書いている。「いまのところ、クローン技術をヒトには応用しないということで世界の意見の一致がある。しかし、現在、手持ちの生殖技術の許容範囲に関して、世界各国でガイドラインがまちまちなように、ほうっておけば、いずれ、ヒトにもクローン技術を応用しようとする研究がどこかで出てくるのではなかろうか?」これは今後大きな問題を引き起こすかもしれないことへの警告なのであろう。「Ⅲ科学史の舞台裏」の中の「デカルトの誤りとデカルトの慧眼」では、最近、一部の認知科学者によりデカルトを否定するような動きがあるが、デカルトが、いち早く、精神と物体とを峻別し、二元論を打ち出したことを筆者は、高く評価する。「自分の実感と世界の真の姿との間に、何らかのずれがあるかもしれないなどと気づくのは、なみたいていのことではない」と。最後の「Ⅳケンブリッジのキャンパスから」では、日本と欧米の研究体制の相違が紹介されており、興味深い。その中の「女性研究者はなぜ数が少ないか?」では、自身が東京大学理学部の助手をしていた時の経験が載っている。それは、所属教室の主任から「東大理学部では女性はとらないのだから、出ていきなさい」と言われたというショッキングな実話で、「はるか昔の話ではなく、1990年の話である」と筆者は強調する。何かこの問題の難しさを暗示させる話ではある。(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「古代日本の超技術 改訂新版」(志村史夫著/ブルーバックス)

2013-07-16 10:15:35 |    科学技術全般

 

 

書名:古代日本の超技術 改訂新版~あっと驚くご先祖様の智慧~

著者: 志村史夫

発行所:講談社(ブルーバックス)

発行日:2012年12月20日

目次:第1章 五重塔の心柱
    第2章 日本古来の木材加工技術
    第3章 “呼吸する”古代瓦
    第4章 古代鉄と日本刀の秘密
    第5章 奈良の大仏建立の謎
    第6章 縄文時代の最新技術

 このほど「第42回技能五輪国際大会」がドイツのライピチヒで行われ、参加国・地域の獲得メダル数が発表された。それによると第1位 韓国(金12、銀5、銅6)、第2位 スイス(金9、銀3、銅5)、第3位 台湾(金6、銀4、銅8)と続き、日本は第4位(金5、銀4、銅3)となった。これにより日本は、1999年のカナダ・モントリオール大会以来守ってきた3位以上の地位を逃した、と報じられたが、まあ、事実はそうであろうが、世界で4位の地位を得たことは賞賛されることではなかろうかと私などは思う。むしろ私が不思議に思うのが、米国はこの大会に参加したのかどうか知らないが、メダル獲得リストに掲載されておらず、GDP世界2位の中国のメダル獲得数も極端に少ない。まさか大国は、「自国に技能者は必要ない。優れた技能者を外国から呼び寄せればいいじゃないか」と考えているわけではなかろうが・・・。スポーツのオリンピックでは何時もメダル数1、2位を争う大国同士が、技能五輪となると、さっぱり振るわなくなるのは何が原因なのであろうか、知りたいものだ。

 ところで、今、日本の若い技術者が「技能五輪」において、花を咲かせている高度の技術は、何も最近になって身に付いたものではない。極端に言えば太古の昔から、日本は高度な技術を身につけた国の一つであったのである。そして、このことを裏付ける“証拠”を掘り起こし、我々の目の前に示してくれた書籍が「古代日本の超技術 改訂新版~あっと驚くご先祖様の智慧~」(志村史夫著/講談社<ブルーバックス>刊)なのである。通常、このような書籍の著者は、古代史家などの歴史家が多いのであるが、著者の志村史夫氏は、最近まで世界の半導体の最前線で活躍していた第一線の技術者であることが、この著書が説得力を持つ一つの根拠として挙げられる。つまり、昔の文献を書庫から取り出してきて紹介するのではなく、第一線の技術者としての眼力で、古代の日本の技術力を、今客観的に評価したレポートとなっているのである。

 そのことは、「第1章 五重塔の心柱」を読めばたちどころに分る。今人気絶頂の東京スカイツリーには、塔のど真ん中に鉄筋コンクリート製、高さ375mの心柱”を挿入した「世界初」の制振システムが使われている。この心柱は、ツリー本体とは分離した形で立っており・地震や強風で本体が揺れる際に、本体とは異なる動きをして、結果的にツリー全体の揺れを抑えるはたらきをするのだ。実は、この制振システムは、現存する世界最古の木造建築である法隆寺五重塔をはじめとする日本古来の木塔(五重塔、三重塔など)に必ず使われた、古代日本が誇る伝統的な技術なのである。日本には、木造の仏塔は500以上あり、これまで、その多くが建て替えを繰り返してきているが、これまで地震多発国の日本にあって、木造の高層建築物である木塔が、地震によって倒された例がほとんどないそうなのである。これは驚嘆すべきことには違いあるまい。恐るべき日本の古来の建築技術というほかない。これは、今でも脈々と息づいており、東京スカイツリーが建設中に起きた東日本大震災の地震でも、東京スカイツリーは耐え切ったのだ。

 この本の白眉は、古来日本の技術が息づいてきた木造加工技術へ対する著者の見識の高さと、洞察力であろう。著者の志村史夫氏は、それらの日本の伝統建設技術を現在まで維持発展させてきた第一線の技術者を、著者の志村史夫氏は棟梁”と呼び、最大限の敬意を払っているのである。志村氏の専門である半導体と木造建築は、相当隔たりがあるかと思えるが、志村氏は棟梁”たちから教えを請い、古代から伝わる日本の伝統的な優れた技術を詳細に分析し、それを読者の紹介するくだりなどは、感動的な気持ちにさせられる。特に、大工道具についての紹介は、一層力が入る。これは半導体の加工技術にも繋がる何かがあるのかもしれない。半導体の技術に最も近い日本古来の技術である製鉄法「たたら」の記述では、日本の古来の技術者が、今の技術でも追いつけないような高みに達していたことを発見するが、それら古の技術者へ対する尊敬の念が文章の端からこぼれてきて、読み手の方も自然に力が入る。この書は、日本古来の技術をただ紹介しただけでなく、その背景を克明に追った力作である。読み終わった後、今後も長く愛読されることを願いたい気持ちが、自然に湧き上がって来る。(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「『科学的思考』のレッスン」(戸田山和久著/NHK出版新書)

2013-05-14 10:42:21 |    科学技術全般

書名:「科学的思考」のレッスン―学校で教えてくれないサイエンス―

著者:戸田山和久

発行所:NHK出版

発行日:2011年11月10日 第1刷発行

目次:第 I 部 科学的に考えるってどういうこと?

     第1章 「理論」と「事実」はどう違うの?
     第2章 「より良い仮説/理論」って何だろう?
     第3章 「説明する」ってどういうこと?
     第4章 理論や仮説はどのようにして立てられるの?どのようにして確かめられるの?
     第5章 仮説を検証するためには、どういう実験・観察をしたらいいの?
     第6章 なぜ実験はコントロールされていなければいけないの?

    第 II 部 デキル市民の科学リテラシー―被曝リスクから考える

     第7章 科学者でない私がなぜ科学リテラシーを学ばなければならないの?
     第8章 「市民の科学リテラシー」って具体的にはどういうこと?
     終 章 「市民」って誰のこと?

 科学的に物事を考える、あるいは捉えるということは、簡単なようで実は大変難しい。昔のヨーロッパにおいて科学と哲学の境目は曖昧だった。例えば、プラトンやライプニッツのように、科学史にも哲学史にも登場する歴史上の人物がいることを見ればこのことが分ろう。この世をどのように解釈するかという問題は、科学上の大問題であると同時に、哲学上の大問題でもあったのだ。実は、このことは現在でも続いている。最先端の素粒子の研究では、科学者の中に哲学者が参加してプロジェクトが組まれることもあるという。また、最近の宇宙科学では、ダークマターやダークエネルギーという、従来の概念では捉えられなかった物質やエネルギーが存在し、この宇宙が形成されたらしいということが次第に明らかにされてきている。「これからは、これまでの物理学のように数式で理論を構築していくよりは、SF物語の世界に迷い込んだような環境で研究をしなければならない」と“嘆く”研究者もいるほどだ。

 もともと、ヨーロッパにおいては、神の正しさを証明するために科学が発達してきたという、一般の日本人からすると、到底信じられない事実がある。「神は、あらゆることを見通しており、神のお告げは、絶対的な真理なのだ。だから、我々人間は、この神の言うことの正しさを証明しなければならない」ということが西欧科学の発展の原動力となったことを忘れてはならない。つまり、現代科学にも、常に宗教の“陰”が付き纏っていることを認識しなければならないのだ。どこまでが科学で、どこからが宗教(思い込み)なのかを、我々一人一人が認識することが欠かせなくなる。例えば、東日本大震災における東京電力福島第一原子力発電所の事故でも、予備電源が本体の近くに設置されていたという、およそ科学的でないことが行われてきた。予備電源が必要になる時は、本体の回りが破壊された時である。このため、予備電源は本体とは離して設置されるのが原則だ。このことを原子力技術のプロを自認する“科学者”が見落とす。これこそが、何が科学的で、何が科学的でないかを考えさせられた、最近の典型的な事例の一つだ。

 「『科学的思考』のレッスン」(戸田山和久著/NHK出版新書)は、科学的に考えるとはどういうこと?という素朴な一般市民の疑問に答えてくれる数少ない書籍である。ここで一般市民と書いたが、現代の最先端を行く科学技術者達だって、東京電力福島第一原子力発電所の事故の例を見れば、このことを常に考えておかねばならないことが自ずと分る。著者の戸田山和久氏は、現在、名古屋大学情報科学研究科教授を務める、科学哲学者である。科学哲学とは、あまり聞かれない名称であるが、要するに科学を哲学的観点から研究する学問であり、「科学的に考えるってどういうこと?」という問いに答えてくれるには最適な人である。この書籍の最初において、著者が強調するのは、「100%の真理と100%の虚偽の間のグレーな領域で、少しでもより良い仮説を求めていくのが科学という営み」ということである。今、世間を騒がせている「原発推進派」と「反原発派」の二分法などは、一見すると分りやすく、正しいように思われるが、ここに危険な落とし穴があると著者は警鐘を鳴らす。

 この書籍の最後の方の第8章で「『市民の科学リテラシー』って具体的にはどういうこと?」が書かれているが、新聞記事を例に取り、科学的でない記事が書かれ、それを科学的な知識なしに読者が読むことの危険性が指摘され、興味深い内容になっている。最近は、放射能についてのニュースが多く流され、ベクレルとかシーベルトとかいう単位が使われているが、書く方も、読む方も、これらの用語の正確な意味を知らずにいるので、何とも変な結論が出されても、誰もおかしいとは気づかないかないから怖いことが指摘される。この第8章には、「デキル市民の科学リテラシー」として科学的に考えるための9つのポイントが挙げられているので、頭を整理する際には便利だ。さらに、ページの要所要所に「科学的に考えるための練習問題」があり、解答も付いている。そして、巻末には11冊の関連図書が紹介されている。このように、この書は、新書版ながら内容はぎっしりと詰まっており、一冊を読み終われば、科学的に考えるとはどういうことかが、自ずと分ってくる。しかし、これもただ漠然と読んでいたのでは身に付かない。この書は、参加意識を充分に持って読めば、その分得るものは大きいのである。(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「世界でもっとも美しい10の科学実験」(R・P・クリース著/日経BP社)

2013-04-16 10:45:35 |    科学技術全般

書名:世界でもっとも美しい10の科学実験

著者:ロバート・P・クリース

訳者:青木 薫

発行所:日経BP社

発行日:2006年9月19日1版1刷発行

目次:序文  移り変わる刹那
    第1章 世界を測る エラトステネスによる地球の外周の長さの測定
    第2章 球を落とす 斜塔の伝説
    第3章 アルファ実験 ガリレオと斜面
    第4章 決定実験 ニュートンによるプリズムを使った太陽光の分解
    第5章 地球の重さを量る キャヴェンディッシュの切り詰めた実験
    第6章 光という波 ヤングの明快なアナロジー
    第7章 地球の自転を見る フーコーの崇高な振り子
    第8章 電子を見る ミリカンの油滴実験
    第9章 わかりはじめることの美しさ ラザフォードによる原子核の発見
    第10章 唯一の謎 一個の電子の量子干渉
    終章  それでも科学は美しくありうるか?

 この書、「世界でもっとも美しい10の科学実験」の書名を見たら誰でも、典型的な科学技術書と感じると思うが、実は著者のロバート・P・クリースは、米ニューヨークのStony Brook大学の哲学科の教授である。つまり、純粋の科学者が書いた技術書ではなく、哲学サイドから科学の成果をいろいろな角度から観察し、世界を驚かせた10の実験を今一度見直して、科学史における新たな位置づけを試みたのが、この書籍なのである。哲学において科学哲学という、科学の成果を哲学的な見地で考察する専門分野がある。特に、最近では、量子論の最先端の研究においては、科学哲学者が参画し、研究することすら行われているのだ。

 この書で取り上げられた実験は、エラトステネスの「地球の外周の長さの測定」、ガリレオの「落下の実験」と「斜面の実験」、ニュートンの「プリズムを使った太陽光の分解」、キャベンディッシュの「地球の密度の測定」、ヤングの「光の干渉パターンの実験」、フーコーの「振り子の実験」、ミリカンの「油滴実験」、ラザフォードの「原子核の発見」、それにヨーンソンおよび外村彰の「電子の量子干渉実験」の10の実験である。これらの実験の多くは、理科系の学生なら、学校の授業で一度は教わったことのあるものなので、そう驚くことはないのであるが、この書によって、それらの実験の背景が初めて浮かび上がり、読みながら「そうか、この実験にはこんな背景が隠されていたのだ」と再認識させられる。

 学校の教科書は、数式の羅列であり、多くの学生はもうそれだけでうんざりしてしまう。その結果、それらの実験の本質を見逃しがちになる。その点、この書には、一切数式は出てこないので、数式に弱い読者にはこの上ない科学技術の実験の解説書となっている。しかも、ただそれだけではなく、これらの実験がどのような思考の上に立って行われたのかが、実験者の目線に立ち、目の前に立ちはだかる困難をどのようにして克服していったのかが、時系列的に解説されており、読者は、あたかも実験者本人になった気分で、読み進むことができる。ガリレオとかニュートンの業績は広く知られているが、例えば、キャヴェンディッシュやミリカンについてはあまり知られていない。1個の電子が帯びる電荷の値を実験で明らかにしてノーベル賞を受賞したミリカンの実験が行われたシカゴ大学に出向いた筆者は、ミリカンの名を誰も知らない現実に直面し、唖然とする。

 つまり、「世界に偉大な業績を残しても、その業績が忘れ去られることだってあるのだ。だから私は、有名人だけの実験を追いかけることはしない」とでも著者のロバート・P・クリース氏が語っているようでもある。ところでこの書には、2人の日本人が登場する。一人は、物理学者の長岡半太郎(1865年―1950年)であり、もう一人は、電子顕微鏡の第一人者で、ノーベル賞に最も近い日本人の一人と言われた外村彰(1942年―2012年)である。長岡半太郎は、原子の内部構造の「太陽系モデル」の提案者して、ラザフォードの「原子核の発見」の章の一部で紹介されている。一方、外村彰は、ドイツの物理学者のヨーンソンと併せてではあるが、「電子の量子干渉実験」の章で詳しく紹介されている。ガリレオやニュートンと並び、この書「世界でもっとも美しい10の科学実験」の中の一つの章として、日本人が採り上げられていることを知っている日本人は、果たして何人いるのだろうか。(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「誰が本当の発明者か」(志村幸雄著/ブルーバックス)

2012-05-28 10:32:45 |    科学技術全般

書名:誰が本当の発明者か

著者:志村幸雄

発行所:講談社

発行日:2006年8月20日第1刷発行

目次:序章 なぜ発明者の特定がむずかしいのか
    第1章 発明か改良かをめぐる攻防
          蒸気機関 先行発明を超えたワットの彗眼
       自動車 ドイツvsフランスの意地の張り合い ほか 
    第2章 特許裁判が分けた明暗
       映画 エジソンの権謀術策
       電話 脅かされたベルの偉業 ほか
    第3章 巨人の影に泣いた男たち
       水力紡績機 アークライトは「発明の盗人」か
       白熱電球 発明王に飲み込まれたスワンの独創 ほか
    第4章 国の威信をかけた先陣争い
       無線電信 西のマルコーニvs東のポポフ
       アドレナリン 濡れ衣を着せられた高嶺譲吉 ほか
    第5章 並び立つ発明者
       コンピューター 歴史的大発明に水を差す先行発明
       トランジスター 天才ショックレーの大ミステーク ほか

 近年は、特許制度の普及で発明者を特定することは比較的容易だが、まだ特許制度が普及していなかった時代においては、発明者が誰であるかを特定することは、そう簡単なことではない。映画は誰が発明したのか?電話は誰が発明したのか?と改めて問われると意外に返答に窮してしまう。

 特許制度が完備した最近ではどうかというと、中村修二・米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授が、青色発光ダイオードの発明で、日亜化学工業を相手に訴訟を起こした事件はまだ記憶に新しい。ことほど左様、現代においても誰が真の発明者であるかを特定するのは簡単ではない。

 そもそも発明とは何かを定義しないと話が前に進まない。我々は学校教育を受けてきたわけであるが、その学校教育の内容はというと、先人の“発明”のエキスを吸収しているのである。つまり模倣である。有名な葛飾北斎の富岳三十六景の神奈川沖之波裏は、同時代の名工であった波の伊八の行元寺の欄間の構図と瓜二つである。葛飾北斎はこの欄間を見ていたとも言われている。

 葛飾北斎は、この絵で世界的に名を知られたが、波の伊八の名を知る人は日本人でもそう多くはない。つまり、模倣と独創(発明)は紙一重のところにあるといって過言でなかろう。志村幸雄著「誰が本当の発明者か」(ブルーバックス)は、そんな微妙な発明20例について、その背景を解明しており、改めて発明とは何かを考えさせられる。(勝 未来) 

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「99.9%は仮説」(竹内薫著/光文社新書)

2012-05-15 10:46:42 |    科学技術全般

書名:99.9%は仮説―思いこみで判断しないための考え方―

著者:竹内薫

出版社:光文社

発行日:2006年2月20日初版第1刷発行

目次:プロローグ 飛行機はなぜ飛ぶのか? 実はよくわかっていない
    第1章 世界は仮説でできている
    第2章 自分の頭のなかの仮説に気づく
    第3章 仮説は180度くつがえる
    第4章 仮説と真理は切ない関係
    第5章 「大仮説」はありえる世界
    第6章 仮説をはずして考える
    第7章 相対的にものごとをみる
    エピローグ すべては仮説にはじまり、仮説におわる

 この竹内薫著「99.9%は仮説―思いこみで判断しないための考え方―」(光文社新書)は、発売当時話題となり、マスコミでも取り上げらるケースが多かったので、お読みになった方も多かろう。量子論だとか、超ひも理論だとかの最新の科学技術にまつわるテーマは、一般の市民にとって、直接触れることのできない世界の話であり、かといって専門技術書を読んでも難解で分りづらい。

 そんなこともあり、科学技術の話は専門家にまかせておけばいい、といったことに落ち着くのが関の山だ。しかし、原子力発電や地球温暖化の問題が現実になってくると一般市民だからといって、知らないで済む話でもなくなってきつつあるのが現代だ。そこで一般市民の目線で、専門の科学技術者はいったいどんな思考方法をしているのかを、やさしく解き明かしたが同書である。

 最初のプロローグで「飛行機はなぜ飛ぶのか? 実はよくわかっていない」からしてぎょっとさせられる。何時も乗っている旅客機の飛行原理が実は専門技術者にもよく分っていないらしいのだ、と。著者は、天才物理学者のリチャード・ファインマンの言葉「科学はすべて近似にすぎない」を紹介し、「科学と真理は、近づくことはできてもけっして重なることはできない、ある意味とても切ない関係なんです」「そもそも科学革命というのは、古い仮説を捨てて新しい仮説に引っ越す作業にほかならないのです」と言う。

 アインシュタインは、当時信じられたいた“エーテル仮説”を否定し、“相対性理論”を打ち立てた。ところが現代に入ると、今度はエーテルに代わり、真空を満たす“ヒッグス場”が新たに登場し、最近になりその存在が実証されつつある。そんな摩訶不思議な科学技術の世界を一度は覗いてみたいと思う人にとって、同書は最適な書と言える。(勝 未来)

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