書名:植物のあっぱれな生き方~生を全うする驚異のしくみ~
著者:田中 修
発行:幻冬舎(幻冬舎新書)
目次:第1章 ひと花咲かせる日を夢見て
第2章 ひと花咲かせたあとの大仕事
第3章 婚活のための魅力づくり
第4章 実り多き生涯のために
第5章 保険をかける植物たち
第6章 次の世代に命を託す!
私は、この歳になるまで漠然と「植物より動物の方が上だろう」と考えた来た。一番の理由は、動物は、動き回れるが、植物は、根付いた所で一生を終えるしかない、という点であろうか。動物なら、暑かったら寒いところに移動すればすむところだが、植物であるとそうはいかない。暑いところで根付いてしまったら、一生暑さと戦わねばならなくなる。寒くても同じだ。それに植物は、無抵抗に動物に食べられてしまう。毒物で身を守るか、とげをはやして食べられないようにするのがせいぜいだろう。それに、動物には目があるから、世界を眺めわたすことが可能だ。目のある植物は聞いたことがないから、植物は、世界がどんなになっているかも皆目分かるまい。そんなこんなを考えて見ると、どう考えても、植物よりは、動物の方が上だろうと考えざるを得ない。
ところが、そんな“常識”を根底から覆す本が、この「植物のあっぱれな生き方~生を全うする驚異のしくみ~」(田中 修著/幻冬舎)である。同書によると植物は、動けないのではなく、動く必要がないから動こうとしないのだ、ということになる。逆に植物から見ると、動物は餌を探しにうろつきまわらねばならない、憐れな存在に見えるのだという。植物は、太陽の光と水、二酸化炭素をもとに光合成で生命を維持できる。これに対し、動物は、光合成機能がないから餌を探さねば生命を維持できず、植物、あるいは植物を食べる動物を餌としなくては、生命を維持することは不可能である。ということは、動物は植物なくしては生きていけないが、植物は動物がなくても生きていける。おしべの花粉をめしべに運ぶのは動物だから、植物だって動物なしに子孫を残せないのではないかというと、そうでもなさそうだ。植物は、自分でおしべの花粉をめしべ付けて子孫を残せるから、植物は動物なくしても生きながらえることができるのだ。
「植物たちは、私たちと同じ生き物です。基本的に同じ仕組みで生きています。そして、植物たちは、その祖先が海から上陸して以来、約4億年間を陸上で生き抜いてきています。生きるために巧みなしくみを工夫し、不都合な環境に耐え、逆境を跳ね返してきました」と筆者は、植物の持つ生命力に敬意を払い、その巧みなしくみを一つ一つ取り上げ、いかに植物が問題を解決してきたか、詳しく解説し、最後に植物の持つ能力に対し「あっぱれ!」という評価を下す。例えば、「茎の先端を光に向けると、その下にある葉っぱの表面には、光が垂直に当たるようになり、一定の面積で多くの光を受け取ることができるのです。もし、茎の先端を光に向けなければ、光は葉っぱの表面に斜めに当たり、一定の面積で受け取る量は少なくなります。植物は、光が必要なとき、茎の先端を光の来る方向に向けることにより、多くの光を受け取れることを知っているのです」と植物がちゃんと考えて生きていることを証明する。
植物は、動物に食べられてばかりで何の手も打てないのかというと、そうでもない。「上の芽と葉っぱが動物に食べられても、茎が折られて上の方の芽と葉っぱごっそりとなくなっても、茎の下方に側芽がある限り、一番先端になった側芽が頂芽となって伸びるのです。そのため、食べられて、しばらくすると、何ごともなかったかのように、食べられる前と同じ姿に戻ることができるのです」と植物が有する「頂芽優勢」という機能を解説する。もうこの辺になると、植物は、ただ漠然と生きているのではなく、戦略を立てて生き延びてきたことが理解でき、読者は、次第に植物が侮れない存在であることに気づき始める。さらに、「植物たちは、葉っぱで夜の長さをはかることによって、暑さや寒さの訪れを約2か月、先取りして知ります。そして、その2か月間ほどの差を利用して、夏の暑さに弱い植物は夏の暑さが来るまでに、花を咲かせ、タネをつくるのです。・・・タネなら、夏の暑さ、冬の寒さをしのぐことができるからです」と言われると、もう動物と変わらない知恵者、いや下手な動物より植物の方が、よっぽど知恵者とさへ考え始めることになる。そして同書を読み終えるころになると、読者の誰もが植物の戦略的生き方に敬意を払うようになるのである。(勝 未来)