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讃岐の金比羅宮 参拝 1

2012年11月22日 | 伊予松山歴史散策
20数年ぶりに金比羅さんに行って来た。
11月21日に行く事は10月から決めていた・・天候がよければ、この時期は暑くもなく少し寒いぐらいの方がいいから・・785段の石段を登らないと本宮に行けないから・・かなりの汗を掻くので寒いくらいの方がいい。

さて金比羅宮は、明治元年(1868年)の神仏分離令で金刀比羅宮と改称して神道の神社になり、主祭神の名は大物主神と定められ、相殿(あいどの)に崇徳天皇を祀った
讃岐の金比羅さん呼ばれ、海の守護神として親しまれており1,368段(御本宮まで785段)の石段からなり、御祭神は大物主の神で崇徳天皇を合祀されている。

明治元年(1868年)の神仏分離令で金刀比羅宮と改称して神道の神社になり、主祭神の名は大物主神と定められ、相殿(あいどの)に崇徳天皇を祀っている。
またここには、旧金毘羅大芝居(きゅうこんぴらおおしばい)、金丸座(かなまるざ)という、天保6年の建築で、現存する日本最古の芝居小屋として国の重要文化財に指定されており、歌舞伎役者による公演が毎年盛大に行われている。

JR琴平駅・日本一の燈籠・大 門・ 五人百姓・旭社・本宮等々参拝時に目に付いた物を撮って来た。

朝9時20分に自宅を出て松山自動車道、高松自動車道を乗り継ぎ善通寺ICで降りJR琴平駅隣接にある市営西駐車場に車を置き参拝した・・その画像を三回に分けて掲載します。


大正時代に建てられたJR琴平駅で、その北欧風の洒落た外観で老若男女の人気を集めており、駅前の広場にずらりとならべられた古めかしい石燈籠と、駅舎の洗練された欧風の建物が不思議なコントラストをつくり出していたまた、同じく、駅前の広場に展示されている巨大な蒸気機関車の動輪は、琴平が、香川県ではじめての本格的な鉄道「讃岐鉄道」の発祥の地であったことを今につたえている


琴電琴平駅横にある高さ日本一の燈籠、夜には火が灯り、美しい夜景が眺めることが出来るまた、春は桜がとてもきれいで琴平町の名所の一である
 東讃岐の人々が6年の歳月を費やして万延元年(1,860)に完成した高灯籠。瀬戸内海を航海する船の指標として建てられたもので、高さ約27mの塔から放つ灯は、丸亀沖の船に届くように設計されたといわれている、内部は3階建てで壁は江戸の人々の落書きで埋まっているそうだ


参道から少し左に入ると旧金毘羅大芝居(きゅうこんぴらおおしばい)、金丸座(かなまるざ)という、芝居小屋がある
天保6年の建築で、現存する日本最古の芝居小屋として昭和45年に国の重要文化財に指定されており、歌舞伎役者による公演が毎年盛大に行われている・・現在の建物は昭和47年から4年の歳月を掛けて移築復元されたと説明がある


金毘羅大芝居・金丸座正面に掲示してある役者の名板


金比羅宮は急な石段が多く膝の弱い、悪い人の為に籠が用意されている


籠の料金表


このような石段表示の石碑が建立されていた


大門で、籠はここまで後は自分の脚力で歩かないと本宮参拝は叶わない
大門は、慶安2年(1649)高松城主、松平頼重の寄進とあった


石段を上っていくといろんな建造物が置かれている・・画像は備前焼の狛犬


こんぴら参りの犬
江戸時代、こんぴら参りの袋を犬の首に掛け飼い主にかわって袋に初穂料と道中の食費を入れて飼い主が旅人に託した犬、無事代参を済ませると再び旅をして家族の元へ、何時頃かこんぴら参りのこの犬を「こんぴら狗」と呼ぶようになったそうだ


大門を潜った奥の大きな船のプロぺラが奉納されていた
海運の神様とあって、平成6年9月今治造船、檜垣俊幸氏が奉納、直径6m 19,2トンの重量と記載されていた


掲示板にアフリカ象とあった・・何故象が奉納されたのか詳しい説明板はなかった・・奉納者は東京の樽谷さんとあった

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