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新潟市&習志野市研修旅行紀行 5 新潟市・北方文化博物館新潟分館

2012年11月12日 | 伊予松山歴史散策
新発田市の国指定名勝「清水園」と日本100名城第31番指定の新発田城を見て最後の研修地である北方文化博物館新潟分館に向かった。

移動時間は、約50分バスの車窓から越後平野を見ながら、そして神田さんの案内を聞きながらバスの旅であった。

北方文化博物館新潟分館は、長岡在の清水常作が別宅として明治28年に建てたものであるが、同氏は出雲崎町尼瀬の西山油田の掘削により巨万の富を握り水力発電を始め各種事業を興した人物であったが不幸にも42歳で逝去され、その後明治末期第6代伊藤文吉が新潟別宅として購入し、増改築を行い北方文化博物館新潟分館とした。

ここを訪れる目的は、秋山好古の副官の一人であった山内保次が一時期過ごした屋方の見学であった。

秋山好古には優秀な副官が3名いた。
豊邊新作・建川美次・山内保次で3名とも新潟出身である。

豊邊新作は、長岡で文久3年5月に生まれ、昭和2年2月19日逝去、享年66歳。
明治13年陸軍士官学校入学、同15年卒業して騎兵少尉となり、第5代騎兵実施学校長、樺太守備司令官、騎兵第4旅団長を経て最後は中将となった。
秋山好古が最も信頼をした副官で、黒溝台の戦いでは、秋山隊配下の豊邊支隊長としてコサック騎兵隊の猛攻を決死の覚悟で凌ぎ、奉天会戦では敵弾が右足貫通を受けた時でも陸軍病院に行かずして戦った。
新作の父は、長岡藩家老、河井継之助と従兄弟同士である。

建川美次は、明治13年10月3日生まれ、昭和20年9月9日逝去、享年65歳。
山中峯太郎の冒険小説『敵中横断三百里』のモデルとなった人物で、好古の命令で建川挺進斥候隊長として6騎でロシヤ軍の動向情報を詳しく探りその活動日数は23日間1200Kmの斥候活動の情報で日本軍が優勢な戦いが出来た。
帰還日を過ぎても帰って来ない建川挺進斥候隊、好古は、敵地で戦死したかと心配していたが、建川斥候隊長以下6名全員帰還した。隊員の体は痩せ細り激務のあとが伺え好古は最大の労をねぎらったとある。
建川は、その後中ソ大使として日ソ中立条約に調印した。

山内保次は、明治14年7月16日生まれ、昭和50年11月10日逝去、享年94歳。
新潟中学・陸軍士官学校共に建川美次とは一年後輩で、陸軍士官学校14期生である。日露戦線では、秋山好古隊に属し、特に奉天会戦前好古の命令で斥候隊長として5騎を率い建川美次斥候隊よりも5日早く出発した。行程1000Km、情報内容は建川斥侯隊とほぼ同じ内容で奉天会戦に大きく貢献した。

また、山内保次は秋山好古騎馬像製作時に好古の騎乗姿のモデルになりその時のレプリカが東京の山内家に大切に保存されている。保次は馬の絵を描くのが巧かった。
なお、山内の息子の山内保武は、太平洋戦争中に栗林中将率いる第109師団後方参謀となり、硫黄島で戦死した。陸軍少佐(陸士47期)であった。

北方文化博物館新潟分館の離れにある山内保次が一時期過ごした屋方を、伊藤分館長さんから説明を受けた。
ここは、一般公開していない特別な場所でお茶のお接待を頂きながら貴重なお話を聞くことが出来た。
見学後、悲しい出来事があった横田めぐみさんが拉致された日本海海岸に行きめぐみさんが早期に元気で日本に帰られる事を祈願し新潟最後の好古足跡を辿る旅を終え東京に移動した。
今回好古の足跡を辿る研修の旅では、北方文化博物館第8代伊藤館長さん・佐藤室長さん・神田評議員さん、清水園、新潟分館の方々には大変お世話になりいい勉強が出来ました。
ありがとうございました。

画像は、10月30日撮影。


北方文化博物館新潟分館玄関:(新潟市中央区南浜通り2番町562番地)


山内保次が一時期過ごした屋方(北方文化博物館新潟分館の離れにある・未公開)


山内保次が一時期過ごした部屋一人で生活、時々必要に応じ奥様が来られていたそうだ・・住まわれた時期は、
戦前新潟地区司令官時代


北方文化博物館新潟分館の枯山水の庭園


秋山兄弟生誕地の秋山好古騎馬像で、この銅像は富山県出身の横江嘉純が製作した
嘉純は好古の馬上姿は見た事がなく、モデルになったのが山内保次である


山内保次は秋山好古の副官として信頼が厚く特に馬の絵を得意とした


北方文化博物館新潟分館見学の後、残り少ない貴重な時間を割いて見学・・萬代橋、新潟地震でもびくともしなかった橋


新潟県護国神社


新潟県護国神社境内に伊豫大洲藩(現在、愛媛県大洲市)船殉難者慰霊碑があった


新潟県護国神社の直ぐ傍にある日本海海岸、ここで横田めぐみさんが拉致された海岸
早く元気で日本に帰ることが出来ますようにと願った


新潟平野・信濃川・佐渡島も眺望出来る「朱鷺メッセ・31階建て」


朱鷺メッセ・31階展望室からの信濃川


「新潟ブールス」の歌詞に出てくる新潟駅・・画像は私が初めて秋山好古揮毫石碑の写真取材に行った時に撮影・・平成22年3月17日、小雨が降っていた
忘られなくて ひとりさまよえば  青い灯がゆれる 新潟駅よ
  愛した訳じゃ ないんだと  強がりいえば ああ…
  新潟は 新潟は 霧に更けてゆく 
コメント
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