EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

新潟市&習志野市研修旅行紀行 8 習志野市大久保 2

2012年11月15日 | 伊予松山歴史散策
秋山好古は、日露戦争会戦が始まると陸軍騎兵隊の総指揮官として習志野から出征し、凱旋した地で好古の家族も生活、そして母貞が逝去した場所、伊豫松山とは非常に縁の深い地である。

大久保の騎兵連隊跡地、騎兵第一旅団跡地等々の現地に行き研鑽した後タクシーで陸上自衛隊第一空艇団内にある秋山好古の絶筆となった好古揮毫石碑「軍馬慰霊之碑」と「御馬見所・現 空艇館」を見学して習志野最後の研修を終えた。

自衛隊内の説明は今野広報担当官から伺った。
今回は秋山好古生誕地で活動している研究員と好古の孫も参加しており特に詳しい親切な説明をして頂いた。

註1:御馬見所・現 空艇館とは
  大元帥(明治天皇)が晩年お身体の事を考え明治44年東京目黒の騎兵学校内に建設された。天皇は、騎兵隊の演習や騎兵学校の卒業式には必ず出席された。
騎兵学校が大正5年習志野に移転した際習志野のこの地に移築され、昭和37年に「空艇館」と改名され現在に至っている。

註2:習志野の地名由来
明治6年4月29日大和田原(現在の千葉県習志野)で陸軍大将西郷隆盛の指揮下で近衛兵の大演習が行われた。演習の内容は今までに無いきびきびとした素晴らしい大演習を観閲された天皇は西郷に今日の指揮は誰が行っているかと問われ、指揮は、少将の篠原国幹ですと言われると、そうですかこれからも「篠原に習え」が「習篠原→習志野」現在の習志野の地名由来であると言われている。

画像は、10月31日撮影。


陸上自衛隊第一空艇団正面玄関で・・中の施設を写さない事を条件で撮影


陸上自衛隊習志野駐屯地正面玄関で・・中の施設を写さない事を条件で撮影


陸上自衛隊第一空艇団、御馬見所前にある秋山好古揮毫の「軍馬慰霊之碑」
揮毫は昭和5年10月5日の筆で絶筆となった。昭和11年11月1日刊行された伝記「秋山好古」の背文字はその揮毫署名を写したものである。


御馬見所(現 空艇館)正面


御馬見所(現 空艇館)正面にある説明板


御馬見所(現 空艇館)二階のバルコニー内部でここから明治天皇が騎兵隊の訓練等々を観閲された場所


御馬見所(現 空艇館)二階に掲示されている歴代の騎兵実施学校長の写真で秋山好古は第2代騎兵実施学校長を務め、好古が一番信頼をした豊邊新作は第5代校長を務めた


明治29年8月15日に第2代目騎兵実施学校長を拝命時の秋山好古
階級は陸軍中佐、38歳の時であった


第5代目騎兵実施学校長を務めた時の豊邊新作・・好古が最も信頼をしていた副官


歴代の騎兵実施学校長の写真横に西中尉の絵が掲げてある


御馬見所(現 空艇館)内は戦前戦後のいろんな資料が展示してあった
私は今回二度目で、平成17年9月11日に行った時より展示内容が充実していた
外観も改修され綺麗になっていた


明治36年6月に東京四谷区西信濃町から習志野薬園台に移転した当時の写真
下の写真、中央が好古のおっ母さん「貞さん」その右が好古の奥さん「多美さん」
軍人に抱かれているのが長男「信好さん」・・明治39年3月まで生活した
当時は、千葉県千葉軍二宮村薬園臺18番地であった


明治36年当時住んでいた好古の住宅があった所で現在は、洋服の青山(画像のよう)になっていた
コメント
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