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今年も「椿まつり」がやってきた・伊予路に春を呼ぶ 椿神社祭り

2016年02月15日 | 伊予松山歴史散策


今年もやって来た、伊予路に春を呼ぶと言われている「椿祭り」が2月14日から16日まで、松山市居相二丁目にある伊予豆比古命神社で始まった。
中日の15日(月曜日)カメラ持参で参拝に行って来た。「家内安全と今年一年元気に過ごせますように、東北震災早期復興、元気のある日本復活を祈願しました。」
境内では、北朝鮮拉致家族救出愛媛の会員が早期解決の署名運動が行われていたので署名をした。
椿祭りは毎年旧暦の1月7日~9日に開催される。初日は曇天、二日目は晴天に恵まれ大勢の家族ずれが参道を埋め尽くしていました。
本殿参拝は、愛媛県県警の警察官が参拝者の制限、整理をし、事故の無いお参りが出来る様配慮されていた。

同神社では例年通り参拝者は45万人の人出があると見込んでいるそうで、愛媛県最大の神社大祭であります。
参道は約600mありますが両サイドに露天商が並び境内には縁起物の熊手や「名物の・おたやんあめ」を参拝の帰りに買い求めていた。
参考に、伊豫豆比古命神社(いよずひこのみことじんじゃ)は愛媛県松山市居相町にある神社である。式内社、旧社格は県社。神紋は十六弁八重表菊です。
地元では椿神社、椿さんとも呼ばれている。開運縁起・商売繁昌の御利益がある神社として崇められている。
「伊豫豆比古」の読み方については、神社では「いよずひこ」としているが、「いよづひこ」と読んでいる例も多い。本来の意味からいえば「いよ-づ-ひこ」であり、「豆」は格助詞「つ(づ)」であるが、ここでは同神社の表記に従う。
江戸時代には松山藩主・久松系松平氏の篤い崇敬を受けた。現在では縁起開運の神として、崇敬者は全国に広がるという。
【正式名称】
 伊豫豆比古命神社は、御鎮座(御創建)二千余年の古くより、尊称・敬称も親しく「椿神社」「お椿さん」とも慕われ、縁起開運・商売繁昌の神様として、四国四県はもとより、広く全国から崇敬を寄せられている神社です。
【通称号】
 「椿神社」「お椿さん」は、松山市内・四国四県で特に敬称を込めて呼ばれているが、この由来は、『往古、伊豫豆比古命・伊豫豆比売命の二柱の神様が舟山(境内図参照)に御舟を寄させ給い、潮鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきなのかみ)が纜(ともづな)を繋いでお迎えした。』との伝説が示すように、神社周辺は一面の海原であり、『津(海の意)の脇の神社、すなわち「つわき神社」が時間の経過と共に「つばき神社」と訛った。』との学説の一方、民間伝承では、現在も境内一帯に藪椿を主に、各種の椿が自生しているが、「椿の神社」つまり「椿神社」と呼ばれるとの説話があります。
 大政奉還が行なわれて幕政が閉じられ、廃藩置県の実施を見て明治を迎えたとき、伊予の国8藩も例外に漏れず、現在の愛媛県が誕生した。県名策定に際し、古事記・日本書紀にも記されている、当神社の御祭神の一柱、愛比売命から県名とされが、都道府県名に御神名を冠されたのは、愛媛県のみのようだ。
なお境内には例年8月に開催される全国高校俳句甲子園大会で最優秀句に選定された句が記念の玉垣句碑として建立されている。今日行ってみると昨年開催の第17回俳句甲子園個人最優秀句の句碑が建立されていた。
また祭礼の様子を地元CATVがライブ放映をしており、NHKはじめ地元TV放送局の中継車が神社境内に移動して放送していた。
 

好天に恵まれた中日(2月15日)600mの長い参道には多くの参拝者で一杯であった。


600mの長い参道左右に出店も出ており大忙しの様子でした。


参拝の前に清水で手を清めて本殿に向かう参拝者。


山門前に在る赤い大鳥居は、天皇陛下在位60年を記念して氏子が建立した。


境内には、北朝鮮に拉致されている全員の救出を願う愛媛県の会が署名活動をしておられた。早く帰って来て下さいと願い署名をして来た。


参拝する拝殿は立派で、奥の本殿では祈祷が行われていた。


参拝も終わり、帰りは数あるお札・お守りを受ける。・・どれにしようか迷っている参拝者。


縁起物の熊手も売っている。・・売れると三本締めで締める。


椿神社会館前に地元TVの中継車が待機、放送関係者(アナウンサー・カメラマン・放送機器操作員)が中継準備で忙しそうであった。


境内に展示してある、木造の狛犬一対。
神社の説明には
狛犬は、宮中や神社に置かれた守護獣の像で、普通の獅子と一角をもつ獅子との姿に作られ、阿吽を表すのが一般的である。獅子形だけの一対もあり、この狛犬はそれである。もとは木造のもので神社の神殿内に置かれていたが、のちに石造りとなって参道の両脇に配されるようになった。この神社の狛犬は、木造で、獅子型だけの一対である。様式化されていて、作行は、雄渾精緻である。銘文を欠き塗料等も剥落しているが、室町時代末期のものと考えられ、松山市内では他に類例を見ないものである。
口を開けている「阿犬」が64cm・口を閉じた「吽犬」が67cmの高さである。
昭和52年3月25日、松山市指定有形文化財。
椿神社の説明板に記されている。


境内には各町内記名の幟が立てられていた。


境内には、毎年8月松山市で開催される、全国高校俳句大会(俳句甲子園)で個人最優秀句に選定されると句、学校名、個人名が石碑に刻印しその誉れを讃え永久に句碑玉垣として建立される。


一昨年開催の第17回までの個人最優秀句は、句碑玉垣として建立されていたが、
昨年、第18回俳句甲子園全国大会、個人最優秀句には愛媛県立宇和島東高等学校3年の兵頭輝さんの「号砲や飛び出す一塊の日焼」が選ばれたが、句碑は未だ建立されてなかった・・早く建立してあげて下さい。

コメント
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