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秋山好古揮毫石碑紀行 47 西予城川町高野井公園の碑

2016年02月18日 | 伊予松山歴史散策


西予市城川町高野子281番地 高野井公園ある「忠魂碑」

1.碑   文 :  忠魂碑
2.所 在 地:  西予市城川町高野子281番地 高野井公園
3.揮 毫 者:  陸軍大将 秋山好古
4.建 立 者:  在郷軍人分會 「発起人:在郷軍人分會・昭和3年11月建立
5.建立年月日:  昭和 3年 11月 
6.石碑大きさ:  高さ1m46㎝ 横幅66㎝ 厚み45㎝㎝

忠魂碑建立は、昭和3年11月と刻印されているから、昭和天皇の即位の礼が行われた記念に、この地区から日清・日露戦役に出征され戦死された御霊を敬う碑として建立されたのではないか。



昭和3年11月建立、秋山好古が北豫中学校校長時代の筆で綺麗な字を書いている。好古70歳の時である。
石工さんも文字を深く刻んでいる。


忠魂碑向かって左側で、そこに揮毫者「陸軍大将 秋山好古謹書」と刻まれている。
秋山好古は昭和4年4月1日、陸軍大将を退役します。
石碑には、肩書のないただの秋山好古謹書と刻まれた石碑が数基あるが、これは昭和4年4月1日以降に揮毫したものである。


現在、西予市城川町高野子281番地 高野井公園ある「忠魂碑」が移転前の貴重な写真で、昭和20年10月、連合軍最高司令官マッカーサー元帥通達で、軍人が揮毫し教育施設にある石碑の撤去命令が発せられ、廃棄として処分された石碑が全国に多くあった推察されるが、城川町の石碑は、場所を変更して現在地に再建立されたものと考えられる。
好古が揮毫した石碑で撤去命により再建立された石碑が3基ある。
一つが、愛媛県護国神社にある「天壌無窮」で元は松山市立清水小学校にあった。
二つ目は、宇和島市吉田町安楽寺にある「忠魂碑」で元は喜佐方小学校にあった。
三つ目が、西予市城川町の「忠魂碑」の後ろの建造物は、学校か?それとも他の教育に関する施設か不明である。

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