南土居町の遍路石(道しるべ石)を見ながら約800m、歩くと国道11号線に出会う。
横断歩道橋を渡ると久米小学校が見えて来る。
小学校の前を通ると直ぐに三叉路になり、右が渡部宅で北西角に立派な遍路石がある。
最近は、女性の歩き遍路さんが多く、一日30km歩いたとして約40日程度掛かる。距離は約1300kmある。長い遍路道である。女性の歩き遍路さんの為に、ある遍路宿は無料宿泊を提供しているとか。
では、鷹子町の遍路石・その1です。
四国遍路石の中で、一番立派ではないかと誉れの高い遍路石と言われ、石に揮毫してある適切な文字等々総合してであろう。
久米小学校北にあります。
所在地は、松山市鷹子町24番地、渡部宅北西角。
大きさは縦34cm・横35cm・高さ151cm。
文字は、南面上部に、指型、下に「みきへんろ道」。
西面に、上部横に「道法」その下に五行で、「松山札之辻二里
・三津浜三里・久万町六里・来見六里・郡中三里」。更にその下に「施主、乃万与三衛門・同七郎衛門・三好嘉右衛門・荻山平左衛門・景浦幸兵衛」。
北面に、「文久二年壬戌三月」「為村中安全冥加」と二行に、その下に「世話人 景浦幸兵衛」と書かれている。
東面には、上部に南を指さした指型(西林寺方面)その下に「きゃくへんろ道」とある。これは逆打ち遍路道案内である。
この遍路石の文字は、三輪田米山の揮毫で、遍路石の大きさと、文字の立派さ、彫りの深さといい実に見事である。四国の遍路石は現存約1000基 あるとされているが、その中でも一番の遍路石と言われている。彫りの深いのは驚くほどで、東面の「ん」と南面の「ろ」の字は穴が開き互いに続いている。
お遍路さんに案内する文字は深く大きく分かりやすく、その他の文字は少し浅く小さめに(控えみに)刻んである。
東面で、上部に南を指さした指型(西林寺方面)その下に「きゃくへんろ道」とある。
これは第49番浄土寺から、第48番西林寺に逆打ちする遍路道案内である。
西面で、上部横に「道法」その下に五行で、「松山札之辻二里
・三津浜三里・久万町六里・来見六里・郡中三里」。更にその下に「施主、乃万与三衛門・同七郎衛門・三好嘉右衛門・荻山平左衛門・景浦幸兵衛」。
北面で、「文久二年壬戌三月」「為村中安全冥加」と二行に、その下に「世話人 景浦幸兵衛」と書かれている。今から153年前の建立である。
右の道路は、現在、県道東部環状線40号線で、左の道路は、旧金毘羅街道で現在は、県道久米垣生
線190号線」である。
「四国遍路ひとり歩き同行二人」女性の歩き遍路さんで、第45番岩屋寺から第46番浄瑠璃寺まで35km、途中久万高原町から松山市に入る間に標高720mの三坂峠を越えなければならない遍路道である。
この女性は、福井県からの巡拝で、第46番浄瑠璃寺の手前でお断りをして撮らせて頂きました。
大人は、1時間に約4,8km歩くとして、第45番岩屋寺から第46番浄瑠璃寺まで約7時間30分かかる。
長距離も、弘法大師さんと一緒に歩けるから前に進む事が出来るのでしょう。
くれぐれもご安全にと言葉でお送りした。
横断歩道橋を渡ると久米小学校が見えて来る。
小学校の前を通ると直ぐに三叉路になり、右が渡部宅で北西角に立派な遍路石がある。
最近は、女性の歩き遍路さんが多く、一日30km歩いたとして約40日程度掛かる。距離は約1300kmある。長い遍路道である。女性の歩き遍路さんの為に、ある遍路宿は無料宿泊を提供しているとか。
では、鷹子町の遍路石・その1です。
四国遍路石の中で、一番立派ではないかと誉れの高い遍路石と言われ、石に揮毫してある適切な文字等々総合してであろう。
久米小学校北にあります。
所在地は、松山市鷹子町24番地、渡部宅北西角。
大きさは縦34cm・横35cm・高さ151cm。
文字は、南面上部に、指型、下に「みきへんろ道」。
西面に、上部横に「道法」その下に五行で、「松山札之辻二里
・三津浜三里・久万町六里・来見六里・郡中三里」。更にその下に「施主、乃万与三衛門・同七郎衛門・三好嘉右衛門・荻山平左衛門・景浦幸兵衛」。
北面に、「文久二年壬戌三月」「為村中安全冥加」と二行に、その下に「世話人 景浦幸兵衛」と書かれている。
東面には、上部に南を指さした指型(西林寺方面)その下に「きゃくへんろ道」とある。これは逆打ち遍路道案内である。
この遍路石の文字は、三輪田米山の揮毫で、遍路石の大きさと、文字の立派さ、彫りの深さといい実に見事である。四国の遍路石は現存約1000基 あるとされているが、その中でも一番の遍路石と言われている。彫りの深いのは驚くほどで、東面の「ん」と南面の「ろ」の字は穴が開き互いに続いている。
お遍路さんに案内する文字は深く大きく分かりやすく、その他の文字は少し浅く小さめに(控えみに)刻んである。
東面で、上部に南を指さした指型(西林寺方面)その下に「きゃくへんろ道」とある。
これは第49番浄土寺から、第48番西林寺に逆打ちする遍路道案内である。
西面で、上部横に「道法」その下に五行で、「松山札之辻二里
・三津浜三里・久万町六里・来見六里・郡中三里」。更にその下に「施主、乃万与三衛門・同七郎衛門・三好嘉右衛門・荻山平左衛門・景浦幸兵衛」。
北面で、「文久二年壬戌三月」「為村中安全冥加」と二行に、その下に「世話人 景浦幸兵衛」と書かれている。今から153年前の建立である。
右の道路は、現在、県道東部環状線40号線で、左の道路は、旧金毘羅街道で現在は、県道久米垣生
線190号線」である。
「四国遍路ひとり歩き同行二人」女性の歩き遍路さんで、第45番岩屋寺から第46番浄瑠璃寺まで35km、途中久万高原町から松山市に入る間に標高720mの三坂峠を越えなければならない遍路道である。
この女性は、福井県からの巡拝で、第46番浄瑠璃寺の手前でお断りをして撮らせて頂きました。
大人は、1時間に約4,8km歩くとして、第45番岩屋寺から第46番浄瑠璃寺まで約7時間30分かかる。
長距離も、弘法大師さんと一緒に歩けるから前に進む事が出来るのでしょう。
くれぐれもご安全にと言葉でお送りした。