EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市窪野町:窪寺跡の彼岸花群生

2015年09月14日 | 伊予松山歴史散策
すっかり有名になった松山市窪野町北谷地区の「彼岸花」群生地、昨日(14日)鑑賞に行って来た。ここ彼岸花群生地区は、非常に珍しく遠くは大阪からバスで鑑賞に来られるそうです。今日も新居浜市から撮影に来られていた。また彼岸花を鑑賞しながら俳句を作るグループも来ていた。近くに由緒ある正八幡神社があり 秋山好古が揮毫した 注連石がある。
彼岸花は、地主さんが自分の鑑賞の為にと22年前に植栽し、その後地元住民たちが支援して大切に管理育成している。
桜(染井吉野桜)の木も植栽されており、28年前に植え込んだそうだ。56本あった。面積は、3ヘクタール位あるそうだ。
この地区には、四国88ヶ所第46番札所「浄瑠璃寺」があり、四十五番札所・岩屋寺(上浮穴郡久万高原町)から巡礼する遍路道があり昨年、四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念でお遍路さんの巡礼者が多かったそうです。 お遍路さんと地元住民の見ず知らずの人同士が出会い、言葉を交わし、心を通わせ「(お・も・て・な・し)、お持て成し」の心でお接待をしている姿をみると心が和む。・・いい光景である。
「彼岸花」の群生地の直ぐ上に一遍上人が修行をした窪寺跡の石碑がある。
昨日撮影に行ってみると少し早すぎた。全体の7分位で9月の連休頃が見頃になるのでは?その頃にもう一度行ってみる事にする。私は5年前から写真を撮っているが昨年から花(株)が少なくなった。地球温暖化の為でしょうか?茨城県、宮城県で大きな水害が発生し、阿蘇山が噴火しこの所日本列島異変続き。
画像は、9月14日、撮った彼岸花群生地区(松山市窪野町北谷)。


県道207号線から左に折れる2,5km手前に指示看板が設置してある。・・これは個人の方が設置している。


一年振りの松山市窪野町北谷にある「彼岸花群生地区」に行ってみたが開花時期が少し早かった。未だ蕾の花がかなりあった。お彼岸頃が見頃の様だ。


彼岸花は、別名「曼珠沙華」とも呼び異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもあったが最近は趣が変わり活花として観賞するようになった。・・世も変わったものである・・・季語・花言葉 ・秋の季語。
花言葉は「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」。
迷信 として「花の形が燃え盛る炎のように見えることから、家に持って帰ると火事になる」と言われている。


個人が鑑賞の為に植栽したが、今は地元住民たちが支援して大切に管理育成されていて、群生地の中には画像の様に数か所遊歩道が作られ鑑賞しやすくなっている。お持て成しの心でしょうね。


群生地は、雑草は除草され素晴らしい管理の中、彼岸花は育っている。年配の方が三脚を使って一生懸命撮影していた。


山から流れ出る小水が超小さな渓谷に見立てて真剣に俳句を作っていたご婦人がいた。


彼岸花は、全草有毒な多年生の球根性植物、この球根が年々絶えて来ているのか一昨年から少なくなった。


彼岸花の分布は、北海道から琉球列島まで見られるとあるが、この地の様な群生地は西日本でも無いそうで、大阪から団体で鑑賞に来られるそうです。






この方は新居浜市から来られたそうです。


「彼岸花」の群生地の上に、時宗の開祖である一遍上人が修行をした窪寺跡の石碑があり、一遍上人生誕750年・没後700年を記念して石碑が建っている。


一遍上人修業の地の説明板が設置されている。
一遍上人は、延応元年(1239年)伊予国の豪族、河野通広の第2子として生まれ幼名は、松寿丸といった。生まれたのは愛媛県松山市道後温泉の奥にある宝厳寺の一角といわれ、元弘4年(1334)に同族得能通綱によって「一遍上人御誕生舊跡」の石碑が建てられている。本家の河野氏は、承久3年(1221)の承久の乱で京方について祖父の河野通信が陸奥国に配流されるなどして没落し、一遍が生まれた頃にはかつての勢いを失っていた。河野一族の極楽往生を願い全国遊行を行っていたが、父の死をきっかけに還俗して伊予に帰る。しかし一族の所領争いなどが原因で、文永8年(1271)32歳で再び出家、信濃の善光寺や伊予国の窪寺、同国の岩屋寺で修行する。窪寺は、一遍上人成道の地として極めて重要な所である。


「彼岸花」の群生地の上に、時宗の開祖である一遍上人が修行をした窪寺跡の石碑があり、一遍上人生誕750年・没後700年を記念して平成元年9月24日に石碑が建立された。
平成25年8月10日午後2時過ぎに一遍上人の生誕地である、宝厳寺が全焼、本堂に安置されていた、国指定重要文化財「一遍上人立像」が焼失した。この様な悲しい出来事を思いながら記念碑を見ながら俳句を作っていた。何処かの俳句結社の人達。



「彼岸花」の群生地は、松山市窪野町北谷の山の麓にあり、背後には1000m級の四国山地の山々がある。平地とはかなりの気温の差がある関係か未だ紫陽花が咲いていた。
コメント (1)
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