EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

秋山好古 揮毫石碑「忠魂碑」

2009年11月24日 | 往年の名車 メグロ
秋山好古 揮毫石碑「忠魂碑」

平成21年11月21日・22日に広島城・岩国城・津和野城跡・萩城跡紀行を終え湯田温泉に宿泊し、23日午前8時30分に湯田温泉を出発、国道262号線・山陽自動車道・国道2号線・西瀬戸自動車道(通称、しまなみ街道)・国道196号線・今治小松自動車道・松山自動車道・国道33号線経由で自宅に帰る途中、愛媛県今治市宮窪町に立ち寄った。

自動車道は、土日祝日は特別料金で走行出来大助かりである。ETC適用割引で、湯田温泉から自宅まで2000円で走行できる。土日祝日以外であれば、通常料金11,150円で、ETC適用割引でも7,840円必要である。
 
さて、愛媛県今治市宮窪町は、毛利水軍の中心をなした能島村上水軍の本拠地である。現在は三島村上水軍(能島・因島・来島)の資料を展示する立派な村上水軍博物館がある。

博物館のすぐ近くに、坂の上の雲の主人公の一人である秋山好古が揮毫した石碑が建立されている。石碑の碑文は、忠魂碑で、日露戦争で戦病死された方々の慰霊を現す石碑である。

この石碑が最近傾き始め、新たに土台を造り直し、完成したので写真撮影の為に立ち寄った。立派に出来上がっていた。
秋山好古が揮毫した石碑は、平成17年から調査を開始し、現在全国に44基発見されていて、1基を残し全て写真取材を終えた。

今年1月7日が秋山好古生誕150周年記念になりその記念に揮毫石碑写真集を発行した。秋山兄弟生誕地で販売している。

未調査の1基は、先日新潟市で発見され来春取材に行く予定である。
車で、日本100名城紀行をしながら行きたい。今から楽しみにしている。

画像は、愛媛県今治市宮窪町にある秋山好古揮毫の石碑である。
11月29日(日)からNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」が放映されるので是非ご覧頂きたい。
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萩城跡

2009年11月24日 | 往年の名車 メグロ
萩城跡

平成21年11月21日と22日に掛けて、広島城・岩国城・津和野城跡を紀行しその次に訪ねた。
これで中・四国地方の日本100名城紀行が終了した。
津和野を22日の午前11時過ぎに出発、県道13号線・国道315号線・国道262号線・萩道路を経由し12時40分、69,5kmを1時間30分の走行で萩城跡に着いた。

萩城は、戦国時代津和野城主、吉見氏が出城を造ったのが始まりで
1600年関ヶ原の戦いで西国の総大将であった120万石の大大名、毛利輝元は、その責任を取らされ長門・周防の2国36万石に減封され、城郭創建に付いて幕府に許可も求めると萩に築城命令が出された。1604年に着工し1608に落成したとある。

萩城は、平地に天守を持つ城郭(平城)を造り、指月山にも城郭(山城)を造る独立した二つの城を造っている。
1863年第13代藩主の時、藩府を山口に移転、萩での藩政は終わる。
明治7年廃城令に伴い天守を初め居館を解体した。

22日萩城を訪ねてみると現存する城門・櫓はなにも無く、天守台と石垣を残すのみであった。ただ旧厚狭毛利家の萩屋敷の長屋が現存してあった。

指月山裏手は、日本海に面してあり海上輸送に適していて出入口にあった城門の石垣と櫓の跡があった。
この地で維新の志士達が育ったのかと思うと感慨深いものがある。

萩城跡は、日本100名城第75番目で、私は42番目の紀行である。
此れで中国・四国の100名城紀行を完成した。中国・四国の100名城は22城ありその内、現存天守を持つ城が、6城ある。

画像は、萩城天守台で、創建当時の天守は、望楼型5層5階で赤瓦葺であったとある。
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津和野城跡

2009年11月24日 | 往年の名車 メグロ
津和野城跡

平成21年11月22日、広島城・岩国城を紀行しその次に訪ねた。
天候は曇天で、岩国を午前8時に出発、国道2号線を経由して国道187号線・国道9号線を乗り継ぎ、109,5kmを2時間20分の走行で津和野に着いた。

津和野城跡には、観光リフトがあり此れで登城した。
標高376mのレイキ山山頂に1282年(弘安5年)元寇襲来の警備のため吉見氏により造られ当時は、石垣はなく土塁だけの城であった。
関ヶ原に戦い後、毛利とともに萩に移り、1601年(慶長6年)東軍に属した坂崎出羽守が3万石で入城し全域に渡って石垣で強化、坂崎氏断絶の後は、亀井氏代々の居城として継がれ長州に対して監視の為に使われたとある。

城は、1686年落雷で火災が発生し天守も焼失以後再建されず、明治4年廃藩置県により山頂の城郭の建物は解体され、昭和17年国指定史跡に指定、昭和46年リフトが完成、平成18年4月6日、日本100名城66番に選定された。

観光リフト山頂駅から20分足元の悪い道を歩くと凄い石垣が見えてくる。この時代の石工他多くの職人達の苦労が伺える。何時もの事であるが卓越した技術集団を何処で城主は集めて結集して築城したのか凄い技術だと感心する。
津和野城跡は、歴史をとどめる巨大な石垣が見所である。

なお、元寇襲来時の戦いでは暴風雨の自然の力も味方して勝つ事が出来たが、勝因は鎌倉幕府の優秀な武将達が大和の国を護る為に命を懸けて戦った為で、伊予の国から幕府の命を受け参戦し、博多湾の石塁を背にして勇敢に戦った河野通有・「河野の後ろ築地」の戦いで名を馳せた。

この時朝廷は、「神風が吹いた」と言ったそうだ。これが神風の言葉の発祥だ。

津和野城は、日本100名城第66番目で、私は41番目の紀行である。次は、萩城跡、に行く。

画像は、津和野城を代表する高石垣でこの上に三十間台があり、此処からの津和野の城下町が一望出来素晴らしく絶景である。
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