EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

水野 廣徳

2009年11月01日 | 伊予松山歴史散策
水野 廣徳

秋山兄弟生誕地で好古揮毫石碑写真展示しているが、昨日写真が劣化したので新しく取り替え作業をした。4年10ヶ月間経過すると屋外展示だから色あせた。
帰りに松山市柳井町三丁目にある蓮福寺により水野廣徳の墓参をしてきた。
水野廣徳は、明治8年旧伊予松山藩士水野光之助の次男として三津浜に生まれた。幼少で両親を失い母方の叔父笹井家に養われ中学校を終え海軍兵学校に入り明治33年海軍少尉となる。秋山眞之の後輩で日本海海戦では第41号水雷艇長として海戦に加わりその後海軍省の「明治37年・38年海戦史」の編纂に従いつつ、日本海海戦記「此一戦」を著し一躍有名になる。その後軍備縮少を唱えて軍部とあわず退役して軍事評論家となった。昭和20年10月18日逝去、享年71歳
蓮福寺は、近代的な建物でお墓のマンションといった感じだ。奥に少し墓地として残してある。
水野廣徳の墓は、寺の奥にある墓地にある。
墓石の後ろに、平成6年に記念碑が建立されている。表に碑文「平和護念之碑」裏に、平和論者・海軍軍人・水野廣徳・・略歴が刻印されている。

画像は、水野廣徳が建立した水野氏累代之墓、左に平成7年7月に南海放送と蓮福寺が建立した水野廣徳著作集出版記念の石碑である。
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする