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津和野城跡

2009年11月24日 | 往年の名車 メグロ
津和野城跡

平成21年11月22日、広島城・岩国城を紀行しその次に訪ねた。
天候は曇天で、岩国を午前8時に出発、国道2号線を経由して国道187号線・国道9号線を乗り継ぎ、109,5kmを2時間20分の走行で津和野に着いた。

津和野城跡には、観光リフトがあり此れで登城した。
標高376mのレイキ山山頂に1282年(弘安5年)元寇襲来の警備のため吉見氏により造られ当時は、石垣はなく土塁だけの城であった。
関ヶ原に戦い後、毛利とともに萩に移り、1601年(慶長6年)東軍に属した坂崎出羽守が3万石で入城し全域に渡って石垣で強化、坂崎氏断絶の後は、亀井氏代々の居城として継がれ長州に対して監視の為に使われたとある。

城は、1686年落雷で火災が発生し天守も焼失以後再建されず、明治4年廃藩置県により山頂の城郭の建物は解体され、昭和17年国指定史跡に指定、昭和46年リフトが完成、平成18年4月6日、日本100名城66番に選定された。

観光リフト山頂駅から20分足元の悪い道を歩くと凄い石垣が見えてくる。この時代の石工他多くの職人達の苦労が伺える。何時もの事であるが卓越した技術集団を何処で城主は集めて結集して築城したのか凄い技術だと感心する。
津和野城跡は、歴史をとどめる巨大な石垣が見所である。

なお、元寇襲来時の戦いでは暴風雨の自然の力も味方して勝つ事が出来たが、勝因は鎌倉幕府の優秀な武将達が大和の国を護る為に命を懸けて戦った為で、伊予の国から幕府の命を受け参戦し、博多湾の石塁を背にして勇敢に戦った河野通有・「河野の後ろ築地」の戦いで名を馳せた。

この時朝廷は、「神風が吹いた」と言ったそうだ。これが神風の言葉の発祥だ。

津和野城は、日本100名城第66番目で、私は41番目の紀行である。次は、萩城跡、に行く。

画像は、津和野城を代表する高石垣でこの上に三十間台があり、此処からの津和野の城下町が一望出来素晴らしく絶景である。
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