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萩城跡

2009年11月24日 | 往年の名車 メグロ
萩城跡

平成21年11月21日と22日に掛けて、広島城・岩国城・津和野城跡を紀行しその次に訪ねた。
これで中・四国地方の日本100名城紀行が終了した。
津和野を22日の午前11時過ぎに出発、県道13号線・国道315号線・国道262号線・萩道路を経由し12時40分、69,5kmを1時間30分の走行で萩城跡に着いた。

萩城は、戦国時代津和野城主、吉見氏が出城を造ったのが始まりで
1600年関ヶ原の戦いで西国の総大将であった120万石の大大名、毛利輝元は、その責任を取らされ長門・周防の2国36万石に減封され、城郭創建に付いて幕府に許可も求めると萩に築城命令が出された。1604年に着工し1608に落成したとある。

萩城は、平地に天守を持つ城郭(平城)を造り、指月山にも城郭(山城)を造る独立した二つの城を造っている。
1863年第13代藩主の時、藩府を山口に移転、萩での藩政は終わる。
明治7年廃城令に伴い天守を初め居館を解体した。

22日萩城を訪ねてみると現存する城門・櫓はなにも無く、天守台と石垣を残すのみであった。ただ旧厚狭毛利家の萩屋敷の長屋が現存してあった。

指月山裏手は、日本海に面してあり海上輸送に適していて出入口にあった城門の石垣と櫓の跡があった。
この地で維新の志士達が育ったのかと思うと感慨深いものがある。

萩城跡は、日本100名城第75番目で、私は42番目の紀行である。
此れで中国・四国の100名城紀行を完成した。中国・四国の100名城は22城ありその内、現存天守を持つ城が、6城ある。

画像は、萩城天守台で、創建当時の天守は、望楼型5層5階で赤瓦葺であったとある。
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