5月26日から29日までの3泊4日で、新千歳から韓国・釜山に行って来た。
目的は、JARL北海道地方本部が交流を進めている韓国アマチュア無線連盟(KARL)釜山支部の「第16回全国ARDF競技大会」に参加する北海道選手(3名)を応援する訪問団の一員としての参加。
本部長のJA8ATG局を団長に、道内各地から参集した総員9名の訪問団は26日11:50新千歳空港からの直行便で釜山・金海国際空港に向け飛び立った。就航しているB737-900には満席の188名が搭乗しており、その8割は韓国からの旅行者とのことだった。
ほぼ定刻の14:30金海国際空港に着陸。空港では釜山支部の皆さんの派手な横断幕での出迎えを受け、我々は歓迎されていることを肌で感じた。しかし、この横断幕をワゴン車の側面に付け走り出したのには驚いた。案の定、途中で紐が切れ取り外すこととなった。
ホテルは、釜山駅の広場の前、交通の便は良さそうだが、歴史もあるのだろうが一流ホテルとは言えなかった。(ホテルの看板には「一級ホテル」とあったが....。)
釜山駅。韓国の首都ソウルまでは高速鉄道で2時間40分。
夜の釜山駅。
早速、釜山支部長のHL5BPW局による歓迎夕食会。ホテルの近くの料理店で韓国の名物料理の代表格とも云える「サムゲタン」を賞味。サムゲタンは鶏の腹の中にもち米や高麗人参、ナツメなどを詰め、長時間煮込んだスープ。栄養価が高く、滋養強壮に良いといわれているそうだ。もちろん、キムチも添えられている。キムチもいろいろ種類があるようだが、この日は「ペチュキムチ(白菜)」がやけに旨かった。
2日目 いよいよ「ARDF競技大会」だ。ホテルからワゴン車で30分ほどの郊外にある運動公園が会場で、すでに選手も集まっている。選手は約40名で国内各地から集まり、車で3時間かけてきた方もいた。
スタートは、集合場所からデラックスな貸し切りバスに乗って15分ほどのところに移動。いよいよスタート。渡された地図から想定すると直線で6~7kmの距離になりそうだが、2時間の制限時間内で多分10KM近くは走るだろう。体力勝負だ。
選手の到着を待つゴールでは、YL局が食事の準備をする傍らで、演奏会。奏でる曲もジャズからポップス、日本の演歌まで幅広く、彼らもアマチュア局とのこと。大いに会場を盛り上げている。
ゴールの運動公園内は、日曜日とあって家族連れで大にぎわい。こども達は広場を自転車、ゴーカートで走り回っている。韓国は市街地を自転車で走ることは出来ないそうだ。そこで、広場には貸し自転車が並べられ、こうして休日に子供ばかりでなく大人も自転車を借り乗り回しているとのこと。
友達同士で遊びに来たという女の子。なかなかカメラに目線を合わせてくれなかったが、楽しそうな仕種につい1枚
次々にゴールする選手の中で、北海道から出場した3選手の内、M50クラスのJG8FBG局が並みいる韓国選手を相手に堂々の3位入賞。FBG局おめでとう。
表彰式の後、北海道地方本部長と釜山支部長の間で記念品の交換が行われた。
最後に参加者全員での記念撮影。
ホテルに戻り、夕食までの時間、釜山駅前の市場に顔を出してみた。歩行者天国?というより車も通れないような細い小路に、日用雑貨をはじめ野菜、果物、鮮魚など所狭しと並べられ、歩くにも大変だ。韓国ならではの珍しいものを探したのだが、どれをみても日本でよく見かけるものばかり。確かに気候はそれほど変わらないからなぁ....。
函館でも見たことのある魚が並んでいた。
果物はほとんど同じもの。珍しいものを口にしたかったが、残念...。
いよいよ、期待の歓迎夕食会。韓国ドラマでよく見られる、韓国伝統の宮廷料理をベースにしたという韓定食。ご飯と鍋物(チゲ)に20種類以上のおかずに各種キムチが付いている。次から次と出てくるのには驚かされるが、ここもキムチは美味しい。
出されるお酒は韓国焼酎、この焼酎25度というが彼らは強く、あまり酔った感じはなく2次会に誘い出された。韓国でも「はしご」があるという。最後は、カラオケ。歌う歌は、日本の演歌。夜12時近くの繁華街、日曜日にも拘わらず、まだまだ賑やかだ。
夜12時過ぎの繁華街、千鳥足で歩く酔っぱらいの姿は日本と同じ。
三日目。今日は自由行動日だが、前支部長のHL5PPT局のご好意で慶州(キョンジュ)を案内してもらうことになった。
慶州までは高速道路に乗って車で約2時間、世界遺産に登録されている古墳公園と仏国寺を案内してくれた。
古墳公園は、新羅王朝の王族が眠る古墳群で、大陵苑と呼ばれており、この中の天馬塚は内部が公開されている。
天馬塚は周囲が157m、高さは13mと比較的大きく、王の陵とされている。発掘の際、白樺の皮で作られた障泥に天を飛ぶ馬の図が出土したことから天馬塚と名付けられたとのこと。
また、仏国寺は創建が6世紀前半で、その後大規模に拡充され、最盛期は現在の10倍の規模だったとのこと。その後、豊臣秀吉の朝鮮出兵で焼失したが、修復された。どの建築物を見ても芸術性が醸し出されており、1時間そこそこの時間では無理。もっとじっくり見物したいものだ。
入り口に「日本語名誉通訳案内員」の名刺を持ったボランティアガイドの申(シン)さんが、流暢な日本語で最後まで案内してくれた。勿論、ガイド料は受け取らなかったが、実は申さんはお寺の前でお土産屋を経営しており、「日本へのお土産は、是非私のところで買っていって...。」だって......。
慶州は新羅王朝1000年の栄華を伝える世界遺産の町で、市内各所に貴重な遺跡が点在している。まさしく「屋根のない博物館」で見所が沢山ある。次の機会があったら、この街で歴史散策を楽しんでみたいものだ。次はあるかな.......。
釜山に戻り、歓迎夕食会までの時間、釜山市内の高台にある龍頭山公園(ヨンドゥサンコンウォン)の中にそびえる高さ120mの釜山タワーに昇った。このタワーは釜山のランドマーク、タワーの展望台からは釜山港や釜山市内が一望できる。すっきりと晴れた日は、日本の対馬も見ることが出来るそうだ。
釜山港で、コンテナ船がここから世界に運ぶ、物流の基地。ここから見る夜景も素晴らしいと思う。
人口400万人を超える。高層ビルの建ち並ぶ釜山市街地。
夕食は、釜山駅から車で30分ほどのところにある広安里(クァンアルリ)地区で海鮮料理だ。9階建てのビルにある全店が刺身店。
一階の生け簀にいる魚を買って店で刺身にしてもらう仕組み。ここでもヒラメ、ハマチ、イカにタコと日本と変わらない。しかし、味は?
我々が食事をした刺身店は9階にあり眺めも抜群。刺身も良いが夜景も素晴らしく、何度もシャッターを押した。左下は海水浴場で、夏場は大変な賑わいとのこと。
四日目 いよいよ帰国。ホテルから空港まではタクシーで移動。早朝とあってタクシーのメーターも80kmを超えている。片側4車線、有事の時は滑走路...。
あっという間の4日間、釜山支部の皆さんの大歓迎を受け、また、天気にも恵まれ楽しい旅だった。そして、新千歳で訪問団の一行と別れたが、皆さんも疲れの中にも満足感が満ちている様子だ。お疲れ様でした。
また、訪問中、釜山支部長のHL5BPW局は、9月の渡島檜山支部大会に参加するため函館に来ることを約束してくれた。歓待された半分ぐらいはお返しをしたいが、どの程度のことが出来るか、これから渡島檜山支部のみんなと相談し、満足して帰ってもらうことを考えようっと。
目的は、JARL北海道地方本部が交流を進めている韓国アマチュア無線連盟(KARL)釜山支部の「第16回全国ARDF競技大会」に参加する北海道選手(3名)を応援する訪問団の一員としての参加。
本部長のJA8ATG局を団長に、道内各地から参集した総員9名の訪問団は26日11:50新千歳空港からの直行便で釜山・金海国際空港に向け飛び立った。就航しているB737-900には満席の188名が搭乗しており、その8割は韓国からの旅行者とのことだった。
ほぼ定刻の14:30金海国際空港に着陸。空港では釜山支部の皆さんの派手な横断幕での出迎えを受け、我々は歓迎されていることを肌で感じた。しかし、この横断幕をワゴン車の側面に付け走り出したのには驚いた。案の定、途中で紐が切れ取り外すこととなった。
ホテルは、釜山駅の広場の前、交通の便は良さそうだが、歴史もあるのだろうが一流ホテルとは言えなかった。(ホテルの看板には「一級ホテル」とあったが....。)
釜山駅。韓国の首都ソウルまでは高速鉄道で2時間40分。
夜の釜山駅。
早速、釜山支部長のHL5BPW局による歓迎夕食会。ホテルの近くの料理店で韓国の名物料理の代表格とも云える「サムゲタン」を賞味。サムゲタンは鶏の腹の中にもち米や高麗人参、ナツメなどを詰め、長時間煮込んだスープ。栄養価が高く、滋養強壮に良いといわれているそうだ。もちろん、キムチも添えられている。キムチもいろいろ種類があるようだが、この日は「ペチュキムチ(白菜)」がやけに旨かった。
2日目 いよいよ「ARDF競技大会」だ。ホテルからワゴン車で30分ほどの郊外にある運動公園が会場で、すでに選手も集まっている。選手は約40名で国内各地から集まり、車で3時間かけてきた方もいた。
スタートは、集合場所からデラックスな貸し切りバスに乗って15分ほどのところに移動。いよいよスタート。渡された地図から想定すると直線で6~7kmの距離になりそうだが、2時間の制限時間内で多分10KM近くは走るだろう。体力勝負だ。
選手の到着を待つゴールでは、YL局が食事の準備をする傍らで、演奏会。奏でる曲もジャズからポップス、日本の演歌まで幅広く、彼らもアマチュア局とのこと。大いに会場を盛り上げている。
ゴールの運動公園内は、日曜日とあって家族連れで大にぎわい。こども達は広場を自転車、ゴーカートで走り回っている。韓国は市街地を自転車で走ることは出来ないそうだ。そこで、広場には貸し自転車が並べられ、こうして休日に子供ばかりでなく大人も自転車を借り乗り回しているとのこと。
友達同士で遊びに来たという女の子。なかなかカメラに目線を合わせてくれなかったが、楽しそうな仕種につい1枚
次々にゴールする選手の中で、北海道から出場した3選手の内、M50クラスのJG8FBG局が並みいる韓国選手を相手に堂々の3位入賞。FBG局おめでとう。
表彰式の後、北海道地方本部長と釜山支部長の間で記念品の交換が行われた。
最後に参加者全員での記念撮影。
ホテルに戻り、夕食までの時間、釜山駅前の市場に顔を出してみた。歩行者天国?というより車も通れないような細い小路に、日用雑貨をはじめ野菜、果物、鮮魚など所狭しと並べられ、歩くにも大変だ。韓国ならではの珍しいものを探したのだが、どれをみても日本でよく見かけるものばかり。確かに気候はそれほど変わらないからなぁ....。
函館でも見たことのある魚が並んでいた。
果物はほとんど同じもの。珍しいものを口にしたかったが、残念...。
いよいよ、期待の歓迎夕食会。韓国ドラマでよく見られる、韓国伝統の宮廷料理をベースにしたという韓定食。ご飯と鍋物(チゲ)に20種類以上のおかずに各種キムチが付いている。次から次と出てくるのには驚かされるが、ここもキムチは美味しい。
出されるお酒は韓国焼酎、この焼酎25度というが彼らは強く、あまり酔った感じはなく2次会に誘い出された。韓国でも「はしご」があるという。最後は、カラオケ。歌う歌は、日本の演歌。夜12時近くの繁華街、日曜日にも拘わらず、まだまだ賑やかだ。
夜12時過ぎの繁華街、千鳥足で歩く酔っぱらいの姿は日本と同じ。
三日目。今日は自由行動日だが、前支部長のHL5PPT局のご好意で慶州(キョンジュ)を案内してもらうことになった。
慶州までは高速道路に乗って車で約2時間、世界遺産に登録されている古墳公園と仏国寺を案内してくれた。
古墳公園は、新羅王朝の王族が眠る古墳群で、大陵苑と呼ばれており、この中の天馬塚は内部が公開されている。
天馬塚は周囲が157m、高さは13mと比較的大きく、王の陵とされている。発掘の際、白樺の皮で作られた障泥に天を飛ぶ馬の図が出土したことから天馬塚と名付けられたとのこと。
また、仏国寺は創建が6世紀前半で、その後大規模に拡充され、最盛期は現在の10倍の規模だったとのこと。その後、豊臣秀吉の朝鮮出兵で焼失したが、修復された。どの建築物を見ても芸術性が醸し出されており、1時間そこそこの時間では無理。もっとじっくり見物したいものだ。
入り口に「日本語名誉通訳案内員」の名刺を持ったボランティアガイドの申(シン)さんが、流暢な日本語で最後まで案内してくれた。勿論、ガイド料は受け取らなかったが、実は申さんはお寺の前でお土産屋を経営しており、「日本へのお土産は、是非私のところで買っていって...。」だって......。
慶州は新羅王朝1000年の栄華を伝える世界遺産の町で、市内各所に貴重な遺跡が点在している。まさしく「屋根のない博物館」で見所が沢山ある。次の機会があったら、この街で歴史散策を楽しんでみたいものだ。次はあるかな.......。
釜山に戻り、歓迎夕食会までの時間、釜山市内の高台にある龍頭山公園(ヨンドゥサンコンウォン)の中にそびえる高さ120mの釜山タワーに昇った。このタワーは釜山のランドマーク、タワーの展望台からは釜山港や釜山市内が一望できる。すっきりと晴れた日は、日本の対馬も見ることが出来るそうだ。
釜山港で、コンテナ船がここから世界に運ぶ、物流の基地。ここから見る夜景も素晴らしいと思う。
人口400万人を超える。高層ビルの建ち並ぶ釜山市街地。
夕食は、釜山駅から車で30分ほどのところにある広安里(クァンアルリ)地区で海鮮料理だ。9階建てのビルにある全店が刺身店。
一階の生け簀にいる魚を買って店で刺身にしてもらう仕組み。ここでもヒラメ、ハマチ、イカにタコと日本と変わらない。しかし、味は?
我々が食事をした刺身店は9階にあり眺めも抜群。刺身も良いが夜景も素晴らしく、何度もシャッターを押した。左下は海水浴場で、夏場は大変な賑わいとのこと。
四日目 いよいよ帰国。ホテルから空港まではタクシーで移動。早朝とあってタクシーのメーターも80kmを超えている。片側4車線、有事の時は滑走路...。
あっという間の4日間、釜山支部の皆さんの大歓迎を受け、また、天気にも恵まれ楽しい旅だった。そして、新千歳で訪問団の一行と別れたが、皆さんも疲れの中にも満足感が満ちている様子だ。お疲れ様でした。
また、訪問中、釜山支部長のHL5BPW局は、9月の渡島檜山支部大会に参加するため函館に来ることを約束してくれた。歓待された半分ぐらいはお返しをしたいが、どの程度のことが出来るか、これから渡島檜山支部のみんなと相談し、満足して帰ってもらうことを考えようっと。